連載

 
『東京の杉を考える』/第12話

文/ 萩原 修

あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 
 
 

育てるデザイン

 「デザイン」という言葉が嫌になることがある。それは、デザインという仕事が芸術と誤解されたり、「かっこいい」とか「おしゃれ」とかいう意味と同じように思われたりする時だ。ましてや、「デザインのためのデザイン」に遭遇した時には、気分が悪くなる。

 「デザイン」って、何ですか?と聞かれると困る。一言でなんて言えないから、身振り手振りで、事例を持ち出し、汗をかきながら説明することになる。説明しても無駄な場合が多い。たぶん、「言葉って何ですか?」とか「経済って何ですか?」と聞かれているのと同じようなことなんだと思う。なんとなくわかっているけど、説明しようとすると難しい。あたり前に身に付いているほど、難しいんだと思う。

 いつも「デザインで何が可能なのか」ということを考えている。世の中すべてがデザインの対象で、やれ、「政治」をデザインするだとか、「社会」をデザインするだとか言うけど、ぼくは、そんなふうに「デザイン」という言葉の意味をひろげすぎるのは、好きじゃない。とりあえず「デザインは、モノや環境に、必要に応じてきちんとかたちをあたえる仕事」だと言った方がわかりやすくなると考えている。世の中を良くしたり、人を幸せにするために「デザイン」でできることはなんなんだろう。

 先日の5月26日。グリーンフォーラム「木と生活のデザイン」の第2回が開催された。
http://www.greenwise.co.jp/green_forum02.html
八王子を拠点に活動する建築家の戸田晃さんの話を聞く会だ。戸田さんは、もともとその場所に建っていた建物の古い建具や床材を使った自邸をつくって注目をあびた人。1階コンクリート造で2階は木造。土間と中庭のある気持ちのいい住宅だ。今回は、その自邸を中心に、住宅の庭との関係を考えようというもの。庭は、戸田さん自ら手をかけて、つくっている。この自邸がきっかけで、庭にはまったと言う。

 多くの建築家を知っているが、戸田さんみたいに自ら庭づくりをしている人はあまり聞かない。建築家は、どちらかと言えば、人工的な建物の美に関心が向かい、植物はつけたしみたいに考えている人が多い。正直、ぼくもあまり植物に関心があるわけではない。なぜかと言えば、植物は、人工物みたいに自分でコントロールすることができないと思っているからだ。しかし、戸田さんの庭づくりの話を聞いていて、植物を育てることもデザインなんだなあと思えるようになった。自然の力を利用しながら、失敗しながら、日々手をいれていくことで、自分が想像している以上の庭をつくり続ける。それは、終わりのない営みだ。

 「ぼくが死んだら、庭の木はすべて切って欲しい」と言う戸田さん。荒れ放題になった庭を想像するだけで、死んでも死にきれないと冗談とも本気ともうけとれる発言。それほどまでに庭に愛着がある。庭以外でも、家に手をいれ続け完成することがない。家は建てたら終わりではなく、そこからはじまる。そんなあたり前のことを、あらためて考えさせられる。戸田さんの話を聞いていると、デザインの可能性は、まだまだあるんだなあと思う。つくって、売って、終わりじゃないデザイン。使い続けるデザイン。時間をかけて、育てるデザイン。そこに可能性がある。スギダラトーキョーの活動もそんなふうに「育てるデザイン」の試みをしていきたい。

 グリーンフォーラムの3回目は、8月4日。南雲勝志さんに話を聞く。もちろん、スギダラの話が中心になると思う。多摩センターに集結できるのを楽しみにしています。

 

 

 


 
 

●<はぎわら・しゅう> 9坪ハウス/スミレアオイハウス住人。

 



   
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