特集 杉コレ in 都城

 
飫肥(オビ)スギを改めてみる  
文/有馬孝禮
−杉コレ in 都城の意義−
 

 我々は都城に向かうあらゆるルートから田畑と共存するスギの木立ちを、そして整然と並ぶ人工林スギをみることができる。歳のせいか「日本の風景だなあ」とつくづく思うようになった。スギは日本を代表する樹木、木材で学名は Cryptomeria japonica D.Don である。この学名の ジャポニカ japonica は「日本の」という意味である。この学名の名付け親であるD.Don がこのjaponicaをどのように意識していたか知る由もないが、「スギ、すぎ、杉」という言葉に何も思い浮かばない日本人はきわめて少ないと思われる。木材を知る人ならやわらかい木目を思い出し、心休まるというかもしれないし、さわっただけで傷がつきやすいと思うかもしれない。堂々とした神社の大木や、うっそうとした鎮守の森の杉木立を思う人もあれば、台風になぎ倒された杉林を思い、手入れの遅れに心傷める人もあろう。花粉症の人ならばそれだけでくしゃみや鼻水が出るかもしれない。

 

 宮崎県の人口はおよそ日本の1/100であるが,スギ素材生産量は日本のスギの1/7〜1/6で、平成3年以来連続日本一となっている。その中でも都城は原木市場が3カ所もあり、日本を代表するスギ製材産地である。当地のスギはオビスギといわれ、400年を超える植林の歴史がある。特性としては低ヤング係数であるが強度はそれほど低くなく粘り強い。心材は含水率がやや高く変動幅が大きく、シロアリに対する抵抗性や耐久性に関係する成分がやや多い。肥大成長が盛んであることから年輪幅は広い。したがって銘木、化粧造作資材としてみると秋田や吉野のスギと比較されるものではないが、古くより造船用材(弁甲材)、生活資材として使われ、味わいのある質実剛健とでもいえるものである。

 

鉄結

 

飫肥杉の山並み。

 

 杉コレが都城で開催されることとなった。当たり前といえば当たり前である。むしろ今までなかった方が不思議なくらいである。本来木の香かおる「木の街」「スギの街」であるはずであるが。それを感じさせる街とは言いがたい。あまりに身近な存在すぎて表に出てこないといってもいいのかもかもしれない。1年前にさかのぼるが、全国の高等専門学校デザインコンペテイションが都城で行われた。そのときのプロポーザルコンペテイションのテーマは「商店街のマスカレード」であった。各地のアーケードの商店街がシャッター通りといわれることが少なくない昨今であるが。活力を戻すべく商店の前面、駐車場などに設置する「商店の仮面」(マスカレード)となる街具の提案を求めたものである。その使用素材として当地のスギが提供された。限られた時間に精度よく完成できたことは通直なスギであったことが特筆されるところであるが、資材提供、支援者たちである木青会のメンバーは、ルールの中で作品の制作には全く手が出せなかったのである。今回は提案された設計を実物に仕上げる製作者となった。木材の専門的な目から見て、技術的にむずかしい面も多くあり、実際の作業手順など具象化には蓄積すべきものは多いであろうと予想された。その苦闘の状況は容易に想像できるが、実録はご本人たちによって別途記されるであろう。一般的にイベントで創作される作品は大きく次のようなジャンルに分けられる。(1)作品に対して訪れる客が雰囲気や新たな展開を作る、(2)関係するものがやる気をおこし追加工夫をする、(3)そのものが特筆に値する魅力があり集客するなど、予想、期待されたとはいえ、これらに沿って作品を区分してみると展示された作品はいずれかを持っているものであった。何よりも重要なことは主体者がさわりながらスギの持つ可能性を見いだしたことであろう。今回の杉コレでは基本的デザインの提案いただいたが、それを現実のものとして可能にしたことも重要である。今後どのような展開がなされるかが、その作品群の真の評価となるであろうから、その追跡の調査など次のステップを期待したい。

   
  高等専門学校デザインコンペテイション:「商店街のマスカレード」

 

鉄結
  杉コレの審査に望む筆者(前列左)


  ●<ありま・たかのり>鹿児島県生まれ。
宮崎県木材利用技術センター所長
東京大学名誉教授

 
 
   
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