この間、仕事で山口県のとある工務店に行きました。棟梁は、すでに息子に代を譲って引退していましたが、工場に隣接する銘木置き場にストックされている木材は、すべて彼が30年以上かけてコツコツと集めてきたもの。
「ほら、樹齢300年の赤松。これなんか最高のメンマツですよ。」
めんまつ? メンって何ですか。そう聞くと、「松にはオン(オス)とメン(メス)があるんだ」と棟梁。オンは強い、メンは優しい、と彼は言います。
「ケヤキはきつい」「千年以上の木は目が詰んでるからイライラする。住宅には向かない」
棟梁は木の性格をまるで人の話でもするように表現するのです。実際に建てられた家に行って、なんでここにこの木を使ったのか、と質問しても、「スッとして優しいからな」くらいしか答えが返ってきません。じゃ、この柱は? 「楓のいいのがあったから」。うー困った困った。面白いんだけど、これじゃ取材にならんじゃないか。
でも、そのうち、棟梁のいちばんの褒め言葉は「優しい」なんだとだんだんわかってきました。目に優しい、触れて優しい、素直にスッとして優しい、木目が優しい。褒められる材にはもちろん杉が含まれています。日本人が杉を好むのは、理屈じゃなくて感覚によるところも大きいんじゃないか、と、木を語る棟梁のうれしそうな目を見ていて思いました。
日本人の感覚的な材の選び方については、以前、若い建築家からも話を聞いたことがあります。海外の建築事務所で長年勉強していた彼は、「僕はこう思うんですけど」と前置きしてこんな風に話してくれました。
「欧米に行って写真を撮ると、日本と空の青さが違うじゃないですか。パキーンと透き通っていて、建物の形も影も何もかもくっきりとしてる。あれって湿度の違いなんですよ。日本は湿度が高いから遠くのものがかすんで見えるけれど、湿度が低い国では遠くの山や建物の輪郭がはっきりと見える。だからね、欧米では建物の外形や空間の形に関心が向かったんだと思うんですよ。それに対して、日本は遠くのものがぼんやりしているから、遠くの形よりも近くのもの、室内のテクスチャーが大事だったんじゃないかな。お茶の世界、数寄屋なんかカンペキに触覚ですよね」
表面が毛羽立ってるとか、すべすべしてるとか、木目が際立ってるとか、日に透ける紙の危うさ、床柱の木の皮のざらっとした感じ、土壁の柔らかさや陰翳、網代組みの天井の奥行き。きっと日本人は、目から受けるそういった細かい感覚を、まるで指先でなでるように頭の中に思い描きながら空間を味わってきたのでしょう。
そんな中で杉は、棟梁が表現するように「スッとして優しい」木として、長く愛されてきたに違いありません。まだまだ「これは何の木ですか?」と聞かなければほとんど見当もつかない私ですが、樹種がわかるわからないは別にしても、いつかは棟梁みたいに「いいねぇ、この木は優しいねぇ」「これはちょっとキツイねぇ」なんて言ってみたいもんです。 |