連載

 
東京の杉を考える/第19話 「武蔵五日市に通うこと」
文/ 萩原 修
あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 
 

2007年10月13日に、武蔵五日市に行って、山を見学してから、ぼくの意識は少しずつだけど、変わりはじめている。11月、12月に1回ずつ、そして2008年1月23日で、4回目の武蔵五日市通いとなる。今のところ、さしあたっての緊急の課題があるわけではない。材木店の中嶋さんと、デザイナーの佐藤親子に、武蔵五日市をあちこちと案内してもらい、いろんな話をしているだけだ。
 
武蔵五日市には、予想以上に資源がある。山があり、川がある。考えようによっては、都会よりも贅沢な暮らしができそうだ。都心に通勤している人もいれば、観光で訪れる人もいる。思いがけないおいしい料理に出会うこともあれば、人気の店がぽつんとあったり、雑誌によく登場するようなつくり手と気軽に出会うこともできる。地元の人たちは、お祭りでつながっているようにも感じる。行政ももっとよい環境にしていきたいという思いもあるようだ。

ある時、ふと思った。武蔵五日市は、東京都の何なのだろうかと。庭であり、市場であり、遊び場なのだろうか。都会のスピードとは、あきらかに違う。景色や空気もあきらかに違う。東京の人にとっては、心の清浄機みたいなところなのだろうか。もし、東京の人のすべてが、月に1回でも武蔵五日市方面に行くようになったとしたら、いらいらした人が少なくなり、ずいぶんと東京にゆとりが生まれるのではないかと夢想してしまう。

ぼく自身、それを実行したくて、今年は最低でも月に一回は、武蔵五日市を訪れることに決めた。非日常としての、武蔵五日市ではなく、武蔵五日市をぼくの日常に組み入れたいと考えている。それには、武蔵五日市に遊びに行くのではなく、仕事をしにいけるようになりたいと思う。今年は、その準備体操みたいなものなのかもしれない。仕事だからと行って、すぐにお金になる必要はなくて、誰かのお役にたてればいい。

これまで4回の武蔵五日市通いで、おぼろげながらスギダラトーキョーとして、やるべきことが見えてきている。『環境』や『コドモ』や『教育』や『ものづくり』のことが、中心のテーマになりそうだ。思いもかけない出会いがあり、偶然が必然になって、展開していくような予感がしている。今は、あまりつながっているようには見えないことが、いつのまにかからみあい、大切な何かに育っていく。そんなイメージをもっている。

1月23日は、東京はめずらしく雪だった。もちろん、武蔵五日市でも雪だった。白い木、林、森、山、川、そして、家。すべてが白い世界になった時、それまでは見えなかったつながりがみえた気がした。人も解け合って、ひとつの世界になれたなら、そこには、どんな幸せがあるのだろうか。

 

●<はぎわら・しゅう> 9坪ハウス/スミレアオイハウス住人。

 



 
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