杉のある風景-越後杉vol1摂田屋

文/ 南雲勝志

 

 
 
 

前回の越後杉、”のうりんジャー”1回だけで終わるのはもったいないので、もう少し越後杉を紹介したいと思っている。といってもどこまで続くかわっからないので、杉のある風景という不定期連載にしていこうと思う。2〜3回は越後杉。そのあとはどこに飛ぶか・・・

先日長岡造形大学の渡辺誠介 准教授の案内で長岡市の摂田屋地区をまわる機会があった。長岡駅から南に一駅、宮内駅からほど近い場所にある。近くを通ったこともあるのに、恥ずかしながら、今まで摂田屋の存在を知らなかった。
摂田屋とは醸造のまちである。酒、醤油、味噌の醸造所がまとまって存在している。水と米や大豆といった素材に加えて越後杜氏が揃っていたこと、交通の要所であったことがその理由であろう。木造と土蔵がほとんどそのまま残っていて少し時代を遡ったような錯覚を覚える。
ただ、中越地震では建物が老朽化していることもあってかなりの被害を受けたとのこと。一部修復もしたが、完全になくなった建物、また修理に至らない建物もかなりあった。

 
  旧三国街道入り口。左が越の紫店舗(創業1837年創業)、右が吉乃川酒造の酒蔵(1548年創業)

 

摂田屋という地名は接待屋から来ていると渡邊先生から教えてもらった。もともと江戸時代は天領に組み込まれていて、参勤交代で籠に乗った殿様もこの地だけは歩いて通過したという。そして 驚くことに、旧三国街道が当時のままの幅員で残っている。上の写真はその入り口。左は越のむらさき、右が吉野川酒造である。この先吉乃川酒造の工場の中を突っ切っている。脇に赤道(あかみち)と呼ばれる1mほどの国道もある。

※【赤道】公図上には存在するが、地番の記載がない道路である敷地をいう。登記簿上は無籍地とされ、道路法の適用がないが、国有地である。この呼び名は公図上着色された色に由来する。

   
  (左)店舗入り口。左の地蔵の下部には左ハ山道、右ハ江戸の案内が。(右)黒く染まった吉乃川酒造の杉壁

     この地に立った瞬間、麹の発酵する臭いがプーンと漂う。そしてその菌によって杉壁は特有の黒い色に染まっていく。ほとんど真っ黒だ。またそれが何ともいえない味を醸し出している。
旧三国街道を進んでいくと(といっても工場敷地に入っていくという感覚)巨大な清酒タンクが何本も並び、先ほどの木の建物とコントラストを奏で、清酒蔵の独特の風景をつくっている。 このあたりの道路や付属物をこれらの風景に沿うよう現在、市の方で計画を作成中である。
実はこの日は、年に一度の蔵開きで、会場にはジャズコンサートの練習の音が鳴り響き、盛り上がっていた。ゆっくりと美酒に浸りたかったのであるが、予定が入っていたため、非常に残念ながら今回は後ろ髪を引かれる思いで断念した。 来年は必ず飲むんじゃー!
 
  ほとんど工場の敷地のよう。
 

吉野川酒造を抜け、機那サフラン酒本舗へ向かった。石積みの立派な屏に囲まれている。門をくぐる。すごい屋敷だ。鬼瓦と鯱(しゃちほこ)がその栄華を物語っている。

 
  (左)機那サフラン酒本舗。建物は大正15年に建てられた。右は修理中の蔵。(国の指定有形文化財)

 

    

機那サフラン酒本舗は明治時代の創業で、全国的に知られ、一次は養命酒と肩を並べていたという。母屋の横にある蔵の軒下や扉には豪華な鏝絵(こてえ)が施されている。深い雪国の文化とはほど遠い派手やかさで、経営者の強いこだわりを感じるものだ。残念ながら現在この蔵は中越地震で被災し修理中であったため、その鏝絵はじっくり見ることが出来なかった。修理も簡単ではなく、NPO「醸造の町摂田屋町おこしの会」が中心になり、なんとか登録有形文化財に指定出来たことや、地震の復興基金で何とか修理に繋がったらしい。しかし、裏手に回ると被災と老朽化によってかなり傷んだ工場や蔵が何も手当をされないまま存在している。加えて世代交代の問題もある。いろいろ模索をしているが、今のところ良い解決策が見つかっていない状態だ。
「このままの状態がしばらく続くともう元には戻せないでしょう。」と渡邉先生も語っていた。残しておきたいのに、何とかしたいのに、そう思われても惜しまれながら消えていく建物も多い。もちろんお金の問題は大きいが、共有の財産を守るシステムの問題がもう少し進歩してくれない限り、この現状はなかなか解決しない。日本には同じような悩みを抱えている事例が多い。

機那サフラン酒は現在細々と製造しているだけで、あまり簡単に買うことが出来なくなった、と聞いて、機那サフラン酒を売っているという宮内駅前の酒屋で二本買って帰った。

※【登録有形文化財(建造物)】
 平成8年10月1日に施行された文化財保護法の一部を改正する法律によって、保存及び活用についての措置が特に必要とされる文化財建造物を、文部科学大臣が文化財登録原簿に登録する「文化財登録制度」が導入されました。
 この登録制度は、近年の国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く継承していくために作られたものです。これは届出制と指導・助言・勧告を基本とする緩やかな保護措置を講じる制度であり、従来の指定制度(重要なものを厳選し、許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完するものです。(文化庁HPより)

 
  恐らく創業以来使われているであろう看板。
 
  今回は見られなかった、みごとな鏝絵。
 
 
  裏手には傷んだ建物が点在する。

  杉と日本人の需要と供給のバランスがとれていた時代の建物は、なんだか懐かしいし、安心して見ることが出来る。風雪に耐えながら、しっかりと生活や産業を支え、しかも風景を作ってきた。そこに我々に何か訴えかけているようにも見える。

杉を使ってもらおうと需要拡大を図っている今、残念ながらこのような風合いのある表情をなかなか見られなくなってきたように思う。丈夫で長持ちする。暖かくて快適。最近はどちらかというと派手なキャッチフレーズを並べてセールスポイントにしている。
でも杉の家は本来、素朴で自然な使われ方の繰り返しの中に、その性能を発揮し続けてきたのではないだろうか。





次号から2回佐渡の風景をお送りします。
  ●<なぐも・かつし>デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 


 
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