連載

 

スギダラな一生/第12笑 「パリとカンボジアそしてスギダラ」

文/ 若杉浩一
波嵯栄さんとの出会い、建築家シリル・ロスへの繋がり
 

今年はなんせ、またまた激しい時間が過ぎていく。スギダラのイベントそして社内の激動の日々、そして新しい開発。それに輪をかけた新しい出会い。今回は、とあるきっかけでスギダラの仲間となった、パリ在住の建築家「シリル・ロス」のお話をしたい。彼は、父がカンボジア人そして母はフランス人で、カンボジア出身の建築家である。

なぜ彼とシリル会うきっかけができたか?
そのきっかけをつくってくれたのは、パリに拠点を持つデザイン会社「DE-SIGNE」の代表、波嵯栄さんとの出会いから始まる。出会いは10年前、まだ一人ぼっちで誰も受け止めないデザインを中尾君と、やっていた頃だった。来客と言っても会社的な存在はほとんどない僕には、勘違いな人か、余程、暇な人しか来なかった。そこへ波嵯栄さんが現れた。凄い海外のデザイナーを紹介してくれた。素晴らしかった。そんな仕事がうらやましかった。出来れば何らかの機会があればもっと知りたかった。しかし当時その権限すらない事を、僕の顔を見ておそらく波嵯栄さんは即座に理解されただろう。

それから10年が経った。また突然のアポイントが入った。「10年ほど前にお会いしている」とのこと。思い出せなかったが、ひょっとしたらあの憧れの世界のデザイナー達を紹介してくれた暑苦しい人かも、と思っていたが確証はなかった。そして現れたのはやっぱり、あの「波嵯栄」さんだった。名前は出てこないのだがそのときの情景と、気持ちが戻ってくる。少しの昔話を終え、その後を知ってもらうために、僕らのつくったショウルームやスギダラケを見てもらった。フランスの洗練されたデザインからすると随分、荒くれているし、スギなんて使っているからお洒落で素敵なフランスとはあわないだろうと思っていた。しかし、終わった後の波佐枝さんの顔は違っていた。興奮と言うか、何と言うか、明らかに喜んでいてくれた。そして僕に、ある建築家の作品を見てくれと言うのだ。僕は作品集のページをめくるごとに、明らかに心を奪われていった。カンボジアでの建築、素材も資金もないであろう。しかしそこには豊かで英知に溢れた、未来への可能性を感じる作品があった。「なんて建築家なんだ。これは本物だ」と思った。(僕の思う本物なので、かなり一方的です)まだ38歳なのに、この作品の量と質にはびっくりさせられた。自分がデザイナーですと言うことすら恥ずかしく思えた。

是非一緒に仕事がしたい、いや、会って話がしてみたい。そう思った。そう波嵯栄さんに伝えると、波嵯栄さんは、さらに興奮した顔で「そうでしょう、絶対合うと思います。若杉さん達がやっている事と同じものを感じます」と嬉しそうに言った。取りあえず、今は建築といっても、今現在、また会社では、またまた出場禁止「レッドカード」を貰っている僕と千代田には、そんな権限も何もないのだが(しかし、今は仲間がいる)是非会いたいと約束した。

それから2〜3ヶ月が経っただろうか?僕らのインテリアチームがVIPルームのデザインで困り果てていた。会社の顔になる空間、しかし社内では身内のデザインが、どうも信頼されない(身内や社内ってそういうモノである)参っていた。
僕らへの信頼性は別にしても、世の中には趣味や粋狂ではなく、きちんとしたものを提示すべきだ。デザインは形の多様性ではない。「何を目指し、何を考え、何を思い、何を伝えるか?」社内を含め「そのこころざしを社会と共有できる何かを感じ合えない限り、出す意味すらないと思う。」(篠原先生は情感の共有とおっしゃった)そのときにまた僕の中の野獣が出てきた。「俺たちがやってみたかったことをやろうぜ。みんな、あのシリル・ロスで行こう。どうだ?」みんな唖然としていた。そして、彼の作品集を見せ、暑苦しく語った。しかし次の瞬間、皆の顔は興奮していた。「やろう!そうしよう」それからは早かった。直ぐに連絡を取り詳細の連絡に入った。スケジュールや段取り。

しかし、そうは簡単に行かない。会社からは「そんな外人とは会わないし、頼むつもりもない」頭ごなしにそうなった。しかしこんな事であきらめるつもりは、もともとない。波嵯栄さんだってそうだ。そうこれは運命なのだ。波佐枝さんからメールが入った。「たとえ仕事に繋がらなくても、会わせたいと思います。日本への飛行機代さえなんとかしてもらえれば、機会をつくります」というメールだった。これには答え無いわけにはいかない。野獣が許さない。「そうだ、勉強会として呼ぼう!それなら文句はないはずだ。」僕はとっさにシリスロスのセミナーを開催することを考えた。デザインチーム(社内1チーム関連会社3チームの計4社)の合同セミナーとして呼ぶ。出来れば、この機会にメディアや仲間にシリル・ロスを知ってもらおうという企画を思いついてしまった。それぞれのチームは快諾してくれた。シリルと会う段取りはできた。思い込みと、思い上がりもここまでくれば現実だ。後は生シリルを味わうだけだ。

そして期待が渦巻く中、シリル来日の日がやってきた。ネットで調べるが、シリルの作品はおろか、顔すら出てこない。「ひょっとしたら女性だったりして、そういえば勝手に男と決めつけていた。スッゲ〜美人だったりして」なんて勝手な妄想を膨らませていた。

そして現れたのはまるで少年のようなキラキラした目をした若き建築家だった。お互いの仕事を紹介しながら、明日のセミナーの準備、打ち合わせ、そして通訳の方(なんとジャンヌーベルの通訳をした方だった)とのプレゼン内容の確認を行った。シリルの話を聞いた通訳の野原さんは興奮していた「若杉さん、僕は彼の話はすごく新しいと思います。こんな考え方、アプローチがあった事に感動しています。明日のセミナーは盛り上がりますよ」そう言ってくれた。

そして、彼と皆と楽しい食事をしながら、デザインの話ですっかり盛り上がった。彼の作品や彼の仕事は状況や場所によって表現が変わる。現地の素材を出来るだけ使い、職人と対話をしながら、現地の技術をつかい、相手や場所、土地柄の文脈を感じながら出来上がっていく、だから素朴であり簡素でありなぜか懐かしい、そして新しい。伝統を理解し未来へつなげていく。それは建築だけにとどまらず、一緒につくり、コトを起こしていくことへ繋がっていく。「形は最終的には相手や場所や時間で変わっていく。僕は人と、場所と、社会の関係性をつくる事だと思うんです」と言っていた。
僕は震えがきてしまった。初めて会うのに、もう既に沢山の時間を共有している感じがする。しかも同じ事を感じている事に感動してしまった。「シリル。君はなんて素晴らしいんだ。僕らは会う運命に会ったんだ。」思わず日本語で喋ってしまったが、彼は「僕もそう思う」と言ったに違いないと確信した。その日は明日のセミナーをある事を忘れ、感動の時間と酒に、酔いしれた。お陰で、すっかり二日酔いの中で当日を迎える事となった。

当日のシリルの話は実に感動的だった。彼が如何に思慮深く、率直に建築に関わっているかがひしひしと感じられた。
「僕は建築というものは動物の背骨をつくる事だと思います。背骨に肉や血が流れ、だんだん動物と言う形を成してくる。やがて背骨の存在は見えなくなってしまう。生活者や地域や時間が形を形成する。そういうものでありたいと考えています。」
「形や、スタイルを問われると、僕は実は答えられません。それは風景や、そこに住む人たち、素材によって変わるものなので、形は変わっていくのです。もし、どうしてもスタイルとは、と聞かれれば、僕はシドロモドロになりながら言葉を選びながらしか喋れないと思っています。なぜなら関係性とは変化するものだからです。」
「僕は出来るだけ、その土地の素材や技術、そして自然のものを利用しようと思っています。水や風、そしてその場の風景や植物全てが建築の要素であり文脈だからです。」
「歴史や文化は形だけではない。現代の素材や技術、そして今と言う時代に新しい文脈として再構築させなければならない。昔のものをそのまま持ってくる事ではないのです。」
「残念ながら、僕のやり方はフランスでは余り評価はされていません。なぜなら、スタイルをいつも問われる、そしてファッションとしての形が優先される。しかし、まちは生きている。様々なものの関係性の結果がスタイルとして現れる。アジアや東京はそう言う意味ではダイナミックで魅力溢れる場所だと思います。」

どうだろうか?この身を委ねた、おおらかさ。時間や、界隈性や、人々の営みという存在を受け入れる。変化や多様性というものを受け入れようとするデザイン。まさに関係性の中で生まれる新しい価値を見いだしているではないか?
一人ではない、順列でもない、循環するという新しい関係?
え〜い、めんどうくさい。そうだ、全てが一員であると言っているのだ。
まさしくスギダラではないか?どうやら、やはりスギダラはスギを超え、国を超え何かに繋がっていると確信した。そうでないと、こんな示し合わせたようなうまい話は成立しない。
ジャズでいうとセッションで神がかりの音やリズムが出てしまったという感じだ。体が、いや何かが叫んでしまったのだ。全く感動ものである。身震いさえ起る。

セミナー、そして懇親会は大変盛り上がった。お互いの素性も歴史も違う仲間が一つの未来への思いによって編み込まれた瞬間だった。
シリルも僕らも、パーティーの後の2次会でもこの場を終わりたくない気持ちでいっぱいだった。後日に波嵯栄さんから聞いたのだが、シリルはパリに帰ってから、杉を使って、デザインをしてみたいと言っているそうだ。日本で是非一緒にやりたいと思っている。そしてカンボジアでも、パリでも杉を通じてアジア、そして日本のオリジンを、「懐かしい未来」をデザインしてほしい。
フランスでの評価なんて関係ない。いずれ直ぐにシリルの時代が来る。何故なら僕らそしてスギダラのいやアジアのDNAがそう言っている。
さあ、皆さん、またまた、暑苦しい仲間が増えました。
益々面白くなってきました。スギダラがパリに進出する日も近いぞ〜〜!!
お〜〜!!

(スギダラパリ支局開設を願って、そして、シリル・ロスの更なる感動のデザインを期待して、そして、そして、こんな素晴らしい機会と時間を頂いた、波嵯栄さんとブラッキンさんに感謝の気持ちを込めて。)

   
   
 
 
  セミナーの様子。
 
  セミナーで紹介されたシリル・ロスの作品より、アトリエの階段。階段の内部には様々な大きさのカンバスをたてて収納する。
 
  カンボジア空港VIP棟。国賓級の方のみが訪れる建物。
   
  カンボジア医療研修センター。木を囲んでいる池はもともとあったもの。塀には竹を使用している。   医療研修センター内部
 
  カンボジアにあるレストラン
   
  レストランの外部。この草は蚊よけのためのもの。   レストラン内部
 
  カンボジア・養護施設の中のダンススタジオ。資金がなく、ボランティアで設計し、学生と一緒に施工したらしい。
 
  ダンススタジオ内部
   
  ダンススタジオ内部の廊下   懇親会でのシリル・ロス
 
  懇親会にて。左から内田洋行・向井社長、シリル・ロス、南雲さん、若杉さん、サムスンの吉田さん。
 
  懇親会の終わりに、インテリアチームの親方・石橋さん、締める。前左が石橋さん(ほがらか!)、前右が若杉さん、中央奥にシリル・ロス。
 
  セミナー・懇親会が終わって集合写真。最前列に寝そべっているのは、千代田さん(お約束)。その後で、シリル・ロスと内田洋行・向井社長が握手。
   
   
   
   
   
   
 
  ●<わかすぎ・こういち>インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長

 

 

 
 Copyright(C) 2005 GEKKAN SUGI all rights reserved