連載

 
新・つれづれ杉話 第22回 「道具箱」
文/写真 長町美和子
杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
  今月の一枚

※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。

「別にまっすぐじゃなくていい」とばかりに、堂々と斜めに取り付けられたドアの取っ手。そして、「鍵はかかればそれでいい」と無造作に金具と南京錠でつながれたドア。両方とも2004年に中国・蘇州近郊の町で撮った写真。水路に面して、レンガ積みしっくい塗りの今にも崩れそうな小さな家が並ぶ界隈で、 人々はたくましく生きているのでした。

 
 
 
 
 
 
 
    道具箱
 

子供の頃、母が着物を縫っていた話はこれまでいろんなところで書いたり話したりしてきましたが、父もまた、母以上にこまめにモノをつくる人でした。現役時代の父の仕事はテレビ局のエンジニア。学生時代に電気工学を専攻し、四国から上京してきて、街頭テレビ(力道山の空手チョップに人々が群がっていたらしい)の調整からスタートしたのです。

家には父の道具箱が2種類ありました。一つは電圧メーターやハンダごて、ケーブル、ラジオペンチ、ニッパー、ビニールテープなどが入った電気工具箱。もう一つは、トンカチ、木槌、ドライバー、たくさんの釘やネジなんかが入った大工道具箱。「道具箱持ってきて」と頼まれると、私は「どっちの?」と聞き返したものです。

昔のブラウン管テレビは、何かの拍子にすぐに映りが悪くなったので、休みの日になるとよく父はテレビの裏の蓋を開けて、口をとんがらせて基盤や配線をいじっていました。私はその横にしゃがんで助手を務めながら(父は当時から目が悪かったので)、ケーブルのエナメルの切り方や銅線の出し方、接続の仕方を見よう見まねで覚えました。

電気技師じゃない時の彼は、腕の立つ大工でした。6畳と4畳半と台所だけの公団住宅で、流し台が狭いと母が言えば、ガスコンロをL字型に張り出して置けるようにキッチンカウンターを増設しましたし、ベランダの洗濯機置き場が不便だと聞けば、台所からフラットに続く縁台をベランダにつくりました。今思えば、この小さな縁台はとてもよくできていたと感心します。というのも、写真を見るとベランダの水勾配にぴったり合わせて束(ツカ)の接地面が斜めにカットしてあり、床面の水平がきちんと出ているので。それに、蝶番で取り付けた長細い木の蓋をサッシのレールの溝にパタンと倒せば、雨の日に洗濯機をゴロゴロとお風呂の前まで移動できるようになっていました(そのための洗濯機用キャスター付き台車までつくったんだワ、そういえば)。

モノもお金も乏しいあの時代、必要があればまずは自分の手でどうにかする、それが両親の姿勢でした。とにかく狭い住まいだったので、父や母は、限られたスペースをいかに過ごしやすくするかに心を砕いていたのでしょう。家の中には他にもこまごまとした工夫がたくさんありました。

一方で、父は遊び上手でもありました。しかし根が真面目な人なので、家族のレジャーであっても子供だからといって加減はしてくれません。私は小学1年生で長靴の底にアイゼンをくくりつけ、スキーのストックを持って、腰に命綱をつけて雪山に登りましたし、スキーはエッジと体重移動の講釈から始まり、特訓で涙と鼻水が凍って帰りたくなるほどでした。

もちろん遊園地や動物園にも行きましたが、私の心に深く残っているのは、家でもくもくとモノをつくっていた父の姿です。子供用のオモチャをつくってくれたわけでもなく、夏休みの宿題を一緒にやってくれたわけでもありません。でも、それでよかったと思うのです。

近頃、なんとなく日本社会全体がサービス過剰で(国の政策だけはサービス過剰になりませんが)、お子様向けになっているのが気になります。製品の開発も建築も、テレビや雑誌の企画も、映画の内容も、教育だってそうです。「簡潔でわかりやすく」が合い言葉のようですが、どうもそれを言い訳に、底が浅く突っ込みが足りないのをごまかしているような気がします。それは、消費者(情報の受け手)を一段低いものに見ていると言い換えることもできるでしょう。

つい先日、ある地方都市で企業と大学と自治体が協同で取り組む、新しいまちづくりのための実験的な建築スペースを体験する機会がありました。その意気込みは素晴らしい。優秀な学生がコンセプトを練り、地域をいかに盛り上げるか、新興都市の人と人をいかに結んでいくか、一生懸命に考えられています。でもね、出来上がったものがお粗末このうえない。建築家だって参加してるのに、断熱も通風もきちんとされていない建築物は、見た目はいかにも現代的ですが、蒸し風呂のようでとても快適とは言えません。「2年だけの仮設ですから」「協力企業のパーツを使うという条件がありますから」、と質問すればサッと言い訳が返ってきます。

世の中のイベント的なもの、というのは、多分にこの傾向があると思うのです。「実験だから実用的でなくてもいい」「これをきっかけに何か感じてもらえればそれでいい」そういった名目で、使えないモノを世の中につくるのは、厳しいことを言うようですが、ゴミを増やしているだけにすぎません。

社会に対して、今足りないモノやコトを提案したり、人々に活動の意義を伝えたいと思うのであれば、それがちゃんと生きるようなモノづくりをするべきであって、ワークショップや実験に参加する人のレベルに合わせて計画の内容を下げる必要はないと私は思います。「子供に体験してもらうため」「学生に参加してもらうため」「専門知識のない一般人にも楽しんでもらうため」……プロジェクトのクオリティを下げる口実はいくらでも見つかります。でも、そうした言い訳がほんの少しでも混ざっているプロジェクトは、プロダクツでも建築でも教育でも、人の心に長くは残っていきません。

大人が、プロが、真剣になって取り組む仕事に、学生や子供や一般の人ができる範囲で参加する。その結果、自分が社会の一部として役立つ喜びを感じるし、達成感があり、完成したモノやコトを将来まで大事に使っていこう、守っていこうと思えるのだと思います。夢中になって本気で仕事に取り組む大人が、自らの背中を見せること。それが「伝える」ということではないでしょうか。

余談ですが、つい2,3日前、仕事で戦後に建てられた実験住宅の解体移築の取材をの取材をしてきました。公共物ではありません。元のクライアントの息子が私財をなげうって東京から秋田まで小さな家一軒をまるごと連れてきたのです。それだけのことをさせる原動力となっているのは、その住宅への愛着であり、その住宅から受け取ったさまざまな思いでした。建築家(白井晟一という人です)にとっては、戦後の日本社会や建築界に対しての新しい提案、自分がやりたかったことが詰まった実験的な建物ではありましたが、それが単なる実験に終わらず、一つの建築としての完成度が高かったからこそ、半世紀以上にわたって一族の人々が代々大事に住み継いでこられたのでしょう。私にとっても実に感動的な素晴らしい体験でした。

   
   
   
   
   
 
 
  <ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり

   
   
 
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