連載

 
東京の杉を考える/第24話 「交流会からはじまること」
文/ 萩原 修
あの9坪ハウスの住人がスギダラ東京支部長に。東京から発する杉ものがたり。
 
 

1998年4月から2004年6月までの約6年間、D-net(ディーネット)というデザイン関係者の『交流会』を主宰していた。2ヶ月に1回のペースで、39回開催し、のべ5000人が参加した。会場は、知り合いのデザイン事務所やインテリアショップなどで、毎回、場所を変えるのも特徴だった。京都や大坂でも開催した。最初は、自分と同世代の1960年代生まれの人を中心にしていたが、そのうち1970年代の人たちも増えていき、年代にこだわるのはやめた。

そもそも、この『交流会』をはじめたのは、同世代のデザイン関係者である建築、インテリア、プロダクト、グラフィック、クラフトなどのそれぞれのデザイン分野が分断されていると感じたからだ。それぞれの分野で活躍をはじめた人たちがお互いに顔見知りになることで、さらにいい仕事につながっていったらいいなと思った。

その想いがどの程度、結果に結びついたか、全体を把握することは難しい。それでも、この『交流会』をきっかけに、いろんな人たちが知り合い、つながっていき、何かが生まれていったことには間違いない。ぼく自身のことを考えても、この活動をやっていることで、いい出会いがたくさんあった。波長のあう建築家やデザイナー、編集者などと仕事をこえて、個人的なつながりができたことで、やりたいことがやりやすいようになっていった。

『交流会』を企画し運営していくのには、それなりの労力がかかる。『交流会』を開催することで、それ自体で利益が生まれることは難しい。そもそも、お金のないデザイナーや学生も参加できるような金額で開催するためには、無償で会場を提供してくれる人を探す必要がある。案内をつくり、告知することも慣れないうちは、毎回、試行錯誤の連続だった。それでも休むこともなく続けられたのは、はじめての人とでも気軽に話ができる貴重な場所だと感じていたからだ。

展覧会のオープニングパーティーや、セミナーのあとの懇親会に参加することも多いが、実は、社交的ではない自分にとって、こういう席はとても苦手で、できるだけ参加したくないとさえ思っている。たいていは、知り合いの人を見つけて話をするか、会場の片隅でぽつりと一人でいる。でも『交流会』は、交流することを唯一の目的にしているので、知らない人どうしでも話がしやすいし、主宰者としては、それぞれを紹介することで、つながりができていくのを実感できるのが何よりうれしい。

D-netの「交流会」を休止した後もカンケイデザイン研究所での「働き方とデザイン」をテーマにした「交流会」や中央線デザイン倶楽部での「地域とデザイン」をテーマにした「交流会」などを継続して開催している。自分の中で「交流会」という形式が定着し、重要な位置をしめるようになった。

「スギダラトーキョー」でも継続して交流会を開催することで、いっしょに活動できる仲間を増やしていきたいと考えている。7月12日には、武蔵五日市の秋川の川べりでバーベキューをしながらの交流会を開催する。さて、どんな出会いがあり、どんなことにつながっていくのかだろうか。流れにさからわずに、そっと自然体でうけとめたい。

   
   
   
   
   
   

●<はぎわら・しゅう> 9坪ハウス/スミレアオイハウス住人。

 



 
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