特集 秋田 窓山WS&デザイン会議報告
 

窓山再生WS&デザイン会議 奮闘記

文/写真 菅原香織
 
  ●山の神が微笑んだ3日間
 

10月11日、12日、13日に秋田県能代市二ツ井で開催された「窓山再生デザイン会議&ワークショップ」は天気予報が見事に外れ、澄み渡る青空とぽっかりと流れる雲間から差し込む秋の日差しの中、大盛会のうちに開催された。内容については窓山再生WS&デザイン会議の公式ブログに詳しいので、ここでは窓山デザイン会議までの道のりについて語りたい。

   
  ●開催まであと6ヶ月
 

4月19日。この日GSデザイン会議のセミナー、「領域を超えた新しいデザインの方向性」が東京の内田洋行で開催される。本来なら私が行くべきところを、どうしてもはずせない用事のため、温ダラこと菅原温子に、セミナーの取材と窓山デザイン会議のPRを任命する。(北のスギダラ参照)が、「ボス!やっちまいました!」...事前の勉強不足と会場の雰囲気に完全に舞い上がったダラダラの温ダラに代わって、南雲さんが「今年は秋田でデザイン会議をやります」とPRしてくれて、篠原先生はじめ武田先生、小野寺さん、スギダラの皆さんが来て下さることになった、との報告を受ける。「温ダラー、頼むよぉ〜!」いよいよ腹くくらなきゃ!と二人で気合いを入れる。このときもプレッシャーを感じてはいたが、まだ半年あるしとのんびり構えていた。のちに後悔先に立たず、を思い知ることに。

   
  ●開催まであと4ヶ月
 

6月5日、東京で南雲さんがGSデザイン会議の総会で窓山の説明をしている頃、シンクロするように秋田駅前の某所でもカトーさんと、温ダラと窓山デザイン会議のテーマと落としどころについてケンケンガクガク議論していた。里山再生とはなんなのか?デザイン会議と窓山の再生とどうからんでいくのか?東北の田舎の山奥のほんとに小さい集落の将来についてどれだけの方が興味を持ってくださるのだろうか?など、お互い抱いている思いやギモンをぶつけあった。「どうして窓山では食っていけなくなったのか、それは窓山だけの問題じゃない。スギダラケの日本全国の里山に共通する問題だ。」「地域が持続し続けるためには、じぇんこ(お金)かせがねば!食っていけなきゃ、経済を抜きにしては地域再生は語れない。」じゃあ、山のど真ん中の窓山の再生はどう考える?ってことなのか?そうだ。これまで都市再生とデザインについて語られる機会はあったけど、デザインの観点で農山村の再生を語る機会はほとんどなかったのではないだろうか。集落と集落のある農山村の地域が生きていくためのデザインを、窓山をケーススタディとして考えるってことか。地域づくりに関わる専門家が学生や地元の人と一緒に考え、共有する。窓山のことをきちんと語ることは日本の将来を語ることになる、それが窓山デザイン会議の落としどころ、と3人で確認しあった。翌日、南雲さんとのメールで東京と秋田で同じ晩、東京では篠原先生が「風景論はもちろん専門だし、すぐに話せるけどそれだけではつまらない。日本の地方の集落がこれからどうやったら食っていけるか?それが大事だ。食っていけないから集落がなくなるんで、生き残るための方法を語りたい」と語られたとのこと。東京でも秋田でも最後が同じところに向かっていくところが、今回のWSの成功の暗示しているようだった。

   
  ●開催まであと2ヶ月
 

8月11日月曜日。開催まであと2ヶ月。4月から本業のほうに忙殺されて気がつけばもう夏休み。7月中旬にアポイントを取って、南雲さんと窓山デザイン会議の趣旨説明と講師の正式依頼のため篠原先生の研究室を訪ねる。約束の午後3時、秋田から行くと東京の夏は灼熱地獄だ。しかし政策研究大学院大学のロビーから研究室のドアの前にくるまでに、その暑さも忘れるほど緊張はピークに達し、喉に舌が張り付き、自分が何をどう喋ったか今でもあまり記憶にない。とにかく、頭の引き出しの中身をありったけ使って思いを伝えた。そんなわたしの頼りない説明と不躾なお願い(旅費のみで謝金なし!!)にもかかわらず、篠原先生はデザイン会議の講師を快くお引き受けくださり、会議開催にあたって参考になりそうな情報や人を教えてくださった。さらに窓山デザイン会議の行く末までも示唆していただき、もう感激で胸が一杯に。約束時間の5時となり、研究室を後にする。エレベーターまできたときに、あ!写真を撮らせていただくのを忘れた!引き返しておそるおそる研究室のドアをノックする。「先生のお写真を撮らせてください」笑顔で応えてくれた篠原先生。ツーショットの写真まで撮らせていただく。あー、よかったぁ。窓山での再会を約束して研究室を後にした。18時から新宿で武田先生、辻さん、千代田さん、若杉さんら東京の有志のみなさんが集まってくれて、窓山デザイン会議のキックオフを開催してくれることになっていた。会場に向かう道すがら、付き添ってくれた南雲さんから、「篠原先生が2時間も話を聞いてくれるなんて、そう滅多にないことなんだよ!」と聞き、恐いもの知らずの自分の言動に、暑さとは別の汗がどっと出た。

   
  ●開催まであと20日
 

9月20日、窓山デザイン会議のスケジュールがほぼ固まったところで、告知のための公式ホームページを立ち上げる。毎日少しずつ手を加えるが、家に帰ってからか仕事の合間にしかできないので遅々として進まず。よし、できた!と思って「確認メール」を出すと、南雲さんから直ぐに「ダメ出しメール」が。多いときには立て続けに5〜6通届く。直してから返事をしようと返事をしないでいると、こんどは南雲さんから電話がくる。「すぎっちさー、どうしてメールの返事よこさないんだよー、もしかして、あれこれいちいち細かいこといってめんどくさいなーとか怒ってんの?」「全然怒ってないですよー、直してから返事しようと思ってただけで...」「なんだかさー、(大雑把な)すぎっちがダンナで、(細かいこといってる)俺が女房みたいだよなー」なんてやり取りをしながら、徐々にWEBサイトの体裁が整ってゆく。たとえ東京と秋田と離れていてもITを使えばリアルタイムに共同作業ができる。いや、第1線のデザイナーによるマンツーマンの情報デザインの授業を受けていると言った方が正しいかも。情報発信をすれば良いってモノではない、やはりそこにもデザインが必要なのだ。

   
  ●開催まであと7日
 

10月3日。今日は参加申込の締め切り日。現地コーディネーターの加藤さんに、夕方にはファクシミリで最終参加者名簿を送ると言っていたのに、プレス資料の作成や後援先からの連絡確認、公式ホームページの更新などに追われて、気がつけば夜の9時半をまわっていた。あわてて加藤さんに電話をする。たしか今日は窓山の地元のスタッフが集まって最終の打ち合わせをするっていってたな。ところが事務所に電話しても、ケータイに電話してもつながらない。いつものケータイ不携帯?電池切れ?そこでおそらく一緒でいるであろう、イケメン社長ことすずきハウスプランの隆美さんのケータイに電話をする。が、でない。でもイケメン社長なら必ず着信に気がついてくれるだろうと思い、先に南雲さんに電話をする。「南雲さん、参加者、地元の人も入れて60名超えますよ!後援も秋田県と、美短と、地元の新聞社からもいただけそうです!」「ほんとにー!?すごいじゃん、やったねー、すぎっちー!」「おかげさまでー!ありがとうございますー!!」残り1週間で仕上げの準備を行うべく確認して電話を切る。程なくしてイケメン社長から着信。「いやーすんません。カトウですー。ケータイの電池が切れちゃって。でも、もう食材やら、おこぜや会場の資材方、受け入れ準備の打ち合わせはばっちり終わりましたよ♪」「最終人数が遅れちゃってすみません。地元の方をいれて参加者60人超えましたよ!」「えっ?えっ!ほんとに!そんなに来てくれるの!すごいね!(スタッフにむかって)おーい、全部で60人超えるとよ!『うぉー!!(スタッフの雄叫び?)』でも、いまさっき決まったプラン、もう一回やり直しだなぁ!(笑)」

   
  ●開催まであと6日
 

参加を表明してくれた方だけでなく、今回参加はできない方からも続々とメッセージが送られてきた。みなさん、ジーンとくるような良いことを書いてきてくれる。と同時に、集落の再生という重いテーマにどのような成果をあげられるのか、不安に思う気持ちも行間から感じられる。何度か訪れたことのある人もいるが、大半はどんなところか全く想像もつかないのだから仕方がない。とはいえ、少しでも参加者の不安を取り除かなければいけない。過去に行われた秋田杉ツアーや窓山デザインコンテストの関連記事、現地までのアクセス、地図など、思いつく限りの情報を提供しようと、持ち物に関して記事を書くために週間天気予報をみる。すると11日雨の確立60%!午後からはくもり時々雨.....こりゃいかん、翌日晴れたとしても、これじゃおこぜまつりや稲刈り、会場準備ができない!うーん、これが屋外イベントの肝なんだな。窓山と宿との往復、参加者のピックアップ等を考えて雨天の際のスケジュールを加藤さんと相談する。週明けに、再度バス会社と宿との連絡をとってくれることに。当初予定していたキャンプは中止にせざるを得なかったが、学生たちの宿はきみまち塾から温泉付きの農業環境改善センターに変更になった。あとは晴れてくれたら!

   
  ●開催まであと4日
 

10月7日火曜日、秋田県庁の記者クラブに各新聞社へのプレスリリースの投げ込みと、秋田県庁のミヤダラこと宮崎和彦(全国植樹祭室長)さんを表敬訪問。今回は同じ日におとなりの北秋田市で、森林祭があり、日中は出席できないということで、白神山地のガイドブックや「森っち」のピンバッジをいただく。(ちなみにガイドブックの写真やイラストはすべて宮崎さんによるもの。)職場に戻ると、木高研の明杉さんからの資料もとどき、あとは会場で配布するレジメや資料の準備、記録のためのカメラやビデオ機材やマイクの手配!名簿の作成!名札の作成!やり残していることが次々でてきて、焦る、焦る。まずは温ダラに招集をかけ、残りの仕事の役割分担をする。ああ、後悔先に立たず、とはこのことか!

   
  ●開催前日
 

いつもなら置いて行くのだが、土日は夫も泊まりの仕事のため、今回は息子と娘を窓山に連れて行くことに。準備のため早めに職場を切り上げ自宅に戻り、窓山に行く支度をさせる。娘は「白神さんちに行くんだよねー」とはしゃいでいるが、年頃の息子は渋々顔。普段アスファルトの道しか歩かない子どもらは何かを感じてくれるだろうか。地元の人たちは「なんもね(なにもないよ)」という。たしかに、電気と電話は通っているが、携帯電話は通じない。舗装もされていなければ、上下水道もない。病院も、学校も、コンビニも、公共交通も山を下りて町に行かなければない。普段当たり前にあるものが「なんもね」窓山。本当に何もないのか?それを、彼らの目で、足で、肌で感じてほしい。
答えはデスクトップにはない。窓山にあるのだ!

   
  ●開催当日の朝
 

自分の荷物をまとめているところで夜が空けた。今日から3日間。どんな展開が待ち受けているだろう。雲が流れて隙間から青空が見える。窓山は、晴れだ。最強の晴れ女が行くんだから間違いない!
「ほら〜!早く起きれ〜!!窓山さいぐどぉ〜!」

   
   
   
   
  ●<すがわら かおり> 教員
秋田公立美術工芸短期大学 産業デザイン学科 勤務 http://www.amcac.ac.jp/
日本全国スギダラケ倶楽部 秋田支部長 北のスギダラ http://sgicci.exblog.jp/
 
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