連載
  杉と文学 第12回 『かげろうふの日記遺文』 室生犀星 1959年
文/写真 石田紀佳
  (今回おまけはお休みします)
 
 
 

今回も杉をたずねて文庫本を手にとりましたが、さいごまで杉は出ませんでした(読み飛ばしているかもしれませんが)。原作の蜻蛉日記にも書かれていないのでしょうか。
しばらくは杉をたずねる読書の旅となりそうです。でも駄洒落好きなスギダラ、スギとスキをかけて、人を好きになることについてのお話ですから、まあ、よしとしてくださいね。小説はだいたいそういうことがテーマだからしばらくは「スキと文学」ですね。

室生犀星晩年の作だそうですが、登場人物たちはみな19才から27才くらいまで。人にもよるのかもしれないけれど、恋愛まっさかりの年頃でしょう。自分についていえばそうです。なさけないなあと思いつつ、好きな人のことばかり気になっていたし、いまなら多少我慢もあきらめもするところを、後先考えずに恋がらみの行動をとっていました。

「町の小路の女」に魅せられた藤原兼家。本妻とも側室ともちがう、なまを生きる女というのか、冴野という貴族にとっては下賤な女が描かれています。原作の蜻蛉日記には数十行しか記されていない「町の小路の女」に冴野という名をつけたのは室生犀星。そしてその数十行から想像をひろげて書かれたのがこの小説というわけです。
冴野は兼家と2年の逢瀬の末、男子を死産して、行方をくらましてしまいます。蜻蛉日記の著者、すなわち兼家の側室道綱の母は、原作のなかでそれを非常に喜んで書いています。しかし、室生犀星は「町の小路の女」との出会いで道綱の母が女として深まっていく様子を描きます。すさまじいし、理想的すぎる気もしますが、すてきなことではあります。

兼家の女渡りをただの好色とはせずに、「好色とすれすれに自分を磨いている相当に深い思慮」とか「男というものは〜〜、立身のために心にたくさんの痴情の栄養がいる」などと、知的女性の代表である道綱の母にいわせる。そして「ここにある女の悶えをどうしてくれるのか」と、道綱の母を悩ませますが、答えは出しません。
けれどもいわゆる男の身勝手を肯定するだけでなく、最後には兼家が「女の胸にだって、二人の男が深い事情があって住む場合だって、あるように思われる」といいます。生きているかぎり男も女も終わりのないのが恋かもしれませんね。

   
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
ソトコト10月号より「plants and hands 草木と手仕事」連載開始(エスケープルートという2色刷りページ内)
   
 
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