特集 日向市のまちづくりと、プロジェクト本「新・日向市駅」発刊!
  「新日向市駅」編集後記
文/ 辻 喜彦
 

今、目の前に刷り上ったばかりの「新日向市駅」が堂々と「立って」いる。
モノ凄い嬉しさと終わった寂しさが入り混じった複雑な心境。モノづくりの完成は、いつも同じだ。 
いやぁ〜、でも長かった〜! 

   
 
   
  ●はじまり
   
 

遡ること二年前の暮れ近く、篠原教授から突然、ご連絡を戴いた。
「いよいよ日向の本を作ろうと思うので、プロジェクトの年表をまとめてほしい! 正月休みに構成を練りたいんだ!」
ボクは、この日向プロジェクト全般に関わっており、またその前年には、日向市駅開業に合わせた「日向本(通称・青本)」や「事業記録報告書」、そして学会論文などをまとめていたこともあって、手元にはコツコツと集まっていた約十年間のデータと井上さんが書かれた秘蔵日記のコピーがあった。
(この井上日記が無かったら、今回の本は時間を追ってまとめることは到底出来なかったと思う)
年末直前に何とか十年分の年表をまとめて、研究室へお届けした。
取り敢えずボクの役割は、これで終わり、篠原先生が執筆されるのだろうと思っていた。
年が明けて、先生から関係者へ「シナリオ」メモが配信された。 
そのメモには、「芝居の脚本のように、このプロジェクトを関係者が語る形にしたい!」とあった。
今までの、いわゆる「景観本」や「まちづくり本」とは全く違うスタイルが、そこには示されていた。
暫くすると、今度は井上さんや中村さんたちから原稿を書くためのデータ探しの要請が届くようになった。
「この原稿を書くのも、まとめるのも大変だろうな・・・。」 
まだ何処か他人事の感があったから、気楽に対応していた。
井上さん、内藤先生、佐々木さん、いつもより遥かに速く中村さんから、少しづつ原稿が集まり始め、本の骨格が組立てられていった。なぜかボクの手元にもそれらが届き始めていた。

   
 
   
  ●芝居を見ているような・・・夢の時間
   
 

また暫くすると篠原教授から再度、ご連絡を戴いた。
「『日向本』のとりまとめを手伝って欲しい!」
すぐに研究室に伺うと、先生はニコニコしながら云われた。
「黒澤明監督の『七人の侍』みたい、日向のまちづくりのために野武士どもが一人また一人と加わっていく風な構成にしたいんだ!」 
早速、「七人の侍(黒澤明監督)」のシナリオ本をamazonで探し出し、先生へお送りした。
黒澤明のシナリオは、細かく場面説明されている訳ではないのに、シーンが浮かんでくる。
当初は「日向市駅から」という仮タイトルのシナリオの冒頭は、藤村さんと正一さんの車中での会話だった(新日向市駅・第二幕)。
「スーツ姿のオジサン二人が、狭い車中でお互いに難しい顔をしてボソボソと何やら交渉している・・・。」
そんなシーンがイメージできた。
まちづくりやデザインの現場の最初から最後までが、こんな風に読み手に伝わるとしたら、凄いことだと思った。
これまでの本には、結果は描かれているが、そのプロセス・葛藤が描かれることはなかったからだ。
しかし現場の最前線に立っている人たちは、実はその苦しい部分をどうやって超えるかを知りたいのだ。

それからは、とにかく夢中だった。
本来業務の合間を縫って、どんどん増えていく原稿を夜中に整理するのは、とても楽しい時間だった。
集まってきた原稿を幕ごとに組み直して、シナリオ風に整理し、その原稿をまた皆さんへ送って細かな点を確認してもらい、さらに篠原先生に校正して戴く。何度もそんなやり取りが続き、送る原稿もどんどん厚くなっていった。
中村さんとは、ほぼ毎日、互い原稿をチェックし合い、それはまるでプロジェクト最中のやりとりの再現のようだった。 
また、このプロジェクトの全貌を把握していると思っていたのに、細かなことになると、間違っていた記憶や初めて知る裏話、描けることや描けないことなどが、次々と現れてきた。
皆さんが大変気遣ってくださったが、この作業を辛いと思ったことなど一度もなかった。
むしろ皆さんの生原稿に最初に触れられる喜びの方がずっと大きかった。読むたびにドキドキした。
この作業だけに没頭できたら、どんなに幸せかとも感じていた。

そうして季節は、あっという間に春から夏を過ぎ、いつしか秋が近づいていた。

今回、「本の編集」という作業に携わる機会を得て、つくづく思ったのは、
このプロジェクトに関わってきた人たちの「絆の強さ」だった。
業種も立場も年齢も異なるのに、原稿やデータ、写真をお願いすると皆さん、すぐに対応してくれる。
久しくお会いしていない人への原稿依頼も二つ返事で引き受け、アイデアも出してくれる。
日向プロジェクトでの「絆」が脈々とつながっているからだ。
篠原先生の「本」にしたい熱い想いをみんなが理解しているからだ。
おそらく、この本を読んで頂いたスギダラ仲間の方々が共感される部分だと思う。
日向プロジェクトは、今でこそ多方面から評価されているが、その最中は暗闇のトンネルの中で、みんな必死に出口の明かりを探し求めていた。その苦しさを共有してこそ生まれた「絆」なのだ。
また、この作業を通じて、改めて多くの方々とゆっくりこのプロジェクトを振り返る「時間」も戴いた。
実は余り向き合って話したことのなかった正一さんや津高さん、永崎さんともお話しできた。
この「絆」と「時間」は、ボクの財産だと思った。
こうして積み重ねられた、みんなの約十年の歴史を綴るシナリオは、7月にはたった17頁だった原稿が、11月には180頁にまで膨れ上がっていた。

   
 
   
  ●出版できない?!
   
 

日向プロジェクトならぬ「日向本プロジェクト」の前にも厚い壁が立ちはだかった。
とりまとめた分厚い原稿を篠原先生が、これまでもGS群団の奮闘記を出版している彰国社へと持ち込んだ。
編集担当の大塚由希子さんとも何度も打合せし、原稿の詰めを行った。
そして修正や追加をまた皆さんに何度もお願いし、何とか出版企画会議まで持ち込んだ。
しかし、細かな経緯は省略するが、月一度開かれる出版企画会議が難航した。
篠原先生も、内藤先生も、執筆者の皆さんも、そしてボクも悶々とした二ヶ月だった。
「いざとなったら自費でも出す! 書いてくれた皆に申し訳ない。」 
先生からそんな言葉も発せられた。
それが昨年末から今年初めにかけての出来事だった。

   
 
   
  ●出版できる!!
   
 

出版のGOサインは、突然舞い降りてきた!
しかも刊行は、四月末の日向市駅前交流広場オープニングに間に合わせることになった。
実質残り二ヵ月、ゲラ校正、年表チェック、120点の掲載写真選定、キャプション、著者略歴・・・とフル回転だった。
出張先にもパソコンと原稿を持ち歩き、移動時間に校正していた。
「本を書く」ことと「本を出版する」ことの違いがよく分かった。
出版本は一般読者に買ってもらい読んでもらわなければならない。
担当の大塚さんの顔つきもだんだんと厳しくなってきた。
大塚さんいわく、
「この対立のシーンの写真はありませんか?」・・・喧嘩の最中に写真など撮ってる訳ないでしょ!
「呑み会以外に皆さんの笑顔の写真はありませんか?」・・・確かに、いつも呑んで笑っている写真ばかりだ。
面白いもので楽しかったシーンは、原稿も写真も記憶も鮮明だが、辛かった時は、原稿にしか表わされていない。
時間を記録するということは大切だが、実に難しいことである。

最後に一番大変だったのは、巻頭のキャスト紹介と巻末の著者略歴だった。
なにしろキャスト(著者)だけで32名いる本なんて普通は無い。
一人ひとりの略歴と顔写真を送って戴き整理した。
そしてキャスト紹介。
篠原先生と大塚さんは、執筆者の顔と役割、キャラクターが読み手に伝わるようにしたい!とのことだ。
いくら仲間とはいえ、「この人はこんなキャラです!」と15文字位で表現する才能と勇気はボクには無かった。
結局、一度ボクが書いたキャスト紹介は、ダメ出しがだされ、先生が書き直して下さった。
これが明瞭かつ的確なのだ。思わず顔がニヤけてしまう。
例えばナグモさんは、「大酒呑みだが、デザインセンスは抜群!」といった具合である。ホッとした。
実は、執筆者の面々には、このキャラクター紹介のことは内緒にしていた。
だから、この本を手にして初めて目にする自分のキャラということになる。 
大変お世話になり、ご迷惑もかけた皆様へのサプライズである。

   
 
   
  ●そして出版!!
   
 

平成20年4月17日、大塚さんが刷り上ったばかりの「日向本」もとい「新・日向市駅」を届けてくださった。
「厚い!」「重い!」 ずっしりとした濃い時間の厚さと重みだった。
しかし、この本は執筆者だけのものではない。
このプロジェクトを支えてくださった更に多くの人たちの想いも詰め込まれている。
だから「厚く(熱く)」「重い(想い)」のだ。
モノづくりを通じた熱い想いが、人と人とを結びつけていく。
日向での出来事は決して特殊解ではないはずだ。
そのことを「月刊杉」読者の皆さんへ伝えたいと思う。

   
 

最後に改めて、この紙面をお借りして、
編著の一員として加えて戴いた篠原先生、内藤先生と執筆・協力戴いた皆様へ心から感謝の意を表します。
ありがとうございました!

   
   
   
   
 

●<つじ・よしひこ>アトリエ74建築都市計画研究所

   
 
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