連載
  杉と文学 第20回 『古都』 川端康成 1962年
文/ 石田紀佳
  (しばらくまんがは休止します。)
 
京都で生まれ、まがりなりにも繊維関係の仕事についていたのに、この本を読んでいなかったのは不覚だった。でも出会いはいつだって意味のある巡り合わせ、のはず。
  川端康成の京都の定宿は、わたしの母の親友の実家で、なんとなくその部屋から見える景色をわたしは知っていたような気でいた。それでもしかしたら古都に出てくる庭が、その宿の庭をモデルにしているのかと思って、母にたずねた。
  ずいぶん前に読んだであろう小説なのに、彼女はことこまかに古都の背景を覚えていて、そのことに私は驚いた。
  「古都の木が柊家にあるのか知らないけど、あれは中京区の、多分、室町の繊維問屋の中庭の木に毎年スミレが2輪咲いて双子の苗子が北山丸太の杉の里に貰われてたんじゃありませんか?」とすぐ返事が返ってきた。昔の人のほうが今より本をよくよく読んだのか、京都にいる人にとって、この小説は実際の出来事のように親しみやすかったのか、まるで千恵子や苗子がほんとうにいたようだ。
  こうやって現実と虚構がまじわる。
  ようやくこの小説を読んだわたしは、西陣で織り出した杉の柄の帯を見てみたくなっているし。
   
  川端康成は新聞連載時に具合が悪かったようでずいぶん睡眠薬を使ったらしい。それで夢うつつで書いたと後書きに告白している。どうりで妖しげな小説だ。千恵子と苗子のやりとりがまるでレズビアン的描写に感じるのはわたしだけ、かな。
   
  ともあれ、スギダラの方は必読書。
  北山杉にひかれる千恵子が「杉がみな、まっすぐに、きれいに立って、人間の心もあんな風やったら、ええなと思うのどっしゃろか」といいながら、しかし自分は「まがったり、くねったり」しているという。
  それに対して千恵子の養父、
  「……北山杉みたいな子は、そらもう可愛いけど、いやへんし、いたとしたら、なんかのときにえらいめにあわされるのとちがうやろか。木かて、まがっても、くねっても、大きなったらええと……」。
   
  川端康成は北山杉ではなかったのだろうけど……。
 

まがってもくねっても、まっすぐでも、折れるものは折れ、永らえるものは永らえる、ということか。

   
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
ソトコト(エスケープルートという2色刷りページ内)「plants and hands 草木と手仕事」連載中
   
 
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