連載
  杉と文学 第24回 『遥拝隊長』 井伏鱒二
文/ 石田紀佳
  (しばらくまんがは休止します。)
 
戦争のために、とひとことで片付けられはしないのだが、大きくは戦争のために気が狂ってしまった岡崎悠一32歳の自宅には杉の垣根があった。 この杉垣は、悠一の父が亡くなったあと、母がひとりで稼いでつくったものだ。さらにはその「杉垣や四囲の風景に対して、ちっとも調和のない〜コンクリートづくりの厖大な門柱」までつくった。この母親の意気込みには近所の人たちも一目おき、村長までがその門柱をほめ、その後悠一は幼年学校に推薦された。
  父のない家に貫禄がついたという門柱は母のがんばりのしるしだった。まるで門柱のために悠一が推薦されたかのように母親は「門柱をこさえといてよかったずらあ」といった。 しかし幼年学校にいった悠一は士官学校を経て、マレーに派遣され、そこで事故にあい、足と頭を負傷して送還された。
   
  岡崎悠一はときおり発作が出ると、まだ戦争中だと思い込んで、道ばたであった人に号令をかける。それを「軍国主義の亡霊」といって怒ってしまう人もいるが、たいていは悲しい気持ちで悠一の発作のおさまるのをまって、とりなす。
   
  悠一が怪我をした事故の原因は、ある上等兵が「戦争っちゅうもんはぜいたくなものじゃのう」と爆弾を落とすのを見ていったことを隊長である悠一が怒ったことにある。それを噂しながら兵隊のひとりがふと、わしはマレー人がうらやましい、「国家がないばっかりに、戦争なんか他所ごとじゃ。のうのうとしてムクゲの木を刈っとる」という。
   
  題名になっている「遥拝隊長」という悠一のあだなは、彼がまだ事故にあう前につけられたものだった。彼には滅私奉公の性癖があり、戦況について朗報があるたびに東を拝み、それを隊のものに強要した。これはもうすでに狂気の兆しだが、当時はそれが狂気とはみなされなかった。戦争の恐ろしさがそこにある。
   
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
杉暦web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori.htm
ソトコト(エスケープルートという2色刷りページ内)「plants and hands 草木と手仕事」連載中
   
 
Copyright(C) 2005 GEKKAN SUGI all rights reserved