連載
  スギダラな一生/第32笑 「解らないことが、解った!!」
文/ 若杉浩一
  営業の現場で頑張っている若きデザイナーの仲間へ
 
   
最近、景気のあおりを受け、経費削減、人員削減とやたらと手を打たれていく。ご多分に漏れず我がデザインチームもこういう時こそ、真っ先にターゲットになる。なんともはやである。
これは僕のところに限った事ではなく、大抵のインハウスデザインチームはそんな状況に曝されているようだ。10数年前、殆ど崩壊寸前、デザイン4名、設計3名から始めたチームも二つの部に成長し、40名弱のチームになった。しかし成長とともに組織は僕らの意志には何も関係なく二分され、あの一緒に頑張って来た仲間もバラバラになってしまった。モノづくり一筋に捧げたメンバーが壊れていく、そして力を失っていく姿や、我々のチームに魅せられ入ってきた若い仲間が組織力に翻弄されていくのを目の当たりにし、なんともチームの儚さや非力さ、そして大きな組織の力の暴力に落胆をしてきた。
   
  よくある話なのだが、問題は殆どの経営陣や組織がデザインなるものを理解していない、いや知ろうとしない。そして概ね、こんな概念を押し付けられる。
「絵書いて、形や色を考えて仕事になるノー天気な奴らだ、カッコばかり付けて、勝手な事を言う。稼いでいるのはこっちなんだ、まったく苦労を知らん奴らだ。」と大体位置づけられる。体制から見てデザインとは全くつかみ所がないシロモノなのだ。
「まあ製品を開発するうえで、世はデザインが重要だということになって来ているから、取りあえず人材はいるが、本当に必要なのか? なにしろ実態があまりわからん!! いやハッキリ言って、芸術は苦手なのだ。横文字ばかり並べて、些細な、どうでもいいことを針小棒大に言い、社会や、世界まで持ち出してインテリぶって、大騒ぎをする。お陰でかからんでもいい金が随分かかる、それは全てあいつらの所為だ!!売り上げ、利益!!今必要なのはデザインじゃねえ、営業だ!!お〜〜!!」と、まあこんな感じになるのである。僕もこれに負けるものかと、随分戦って来た、そして色々な経営陣に面と向かって吠えて来た。お陰で随分悪者になってしまった。
   
  なんだか、随分最初から荒くれた、不幸な話しのように聞こえる。
「若杉!!最近不平不満だらけじゃないか!!まいってね〜か?」
いや、話したいのは、実はそういうことではない。この話に存在するもの、それは「互いに解らない、何か、というものの存在」である。
僕らに取ってみれば当たり前、世界水準なものが、大多数から見れば、どうでもいいこと、何を言っているかすら、解らないことになってしまう。逆に彼らから見れば、経済、利益、それが全て、そして正義だ。社員を守っていくには、生きていくには、経済が無くては何も起こらない。デザインなんて極めて水モノなのだ。
   
  僕はこの当たり前で、普通の隔たりの存在を理解するまでに随分かかった。それまでは悔しくて、情けなくて、歯がゆくてたまらなかった。
しかし、あるタイミングで、そこに「互いに解らない、何か、というものの存在」があることを知ることが出来た。ぼくは、ようやく怒りや不甲斐なさから解放され、あとは、その隙間を埋めれば良いという安らかな気持ちに転換出来た。そして、やる事が見えてきた。相手の言う事を、その向こう側の世界を理解する事が少しづつ出来るようになった。そして夢と野望が沸き起こった。
   
  些細な事で単純な事だがこの場面の転換がなかなか難しい。特に得意分野や専門分野であればある程、そこから自らの身を離す事が出来ない。解らないという立場が一番楽だし、多勢であればある程、そっちの方が、都合がいい。「あいつらは、どうかしている。変な奴らだ。排除しよう!!」そうして無かった事にするのが常なのだ。
   
  最近僕は、プロジェクトでクライアントの意向を受け、有名デザイナーと仕事をする機会によくめぐりあう。その大半が「我々のやりたいことより、デザインが優先され、自分たちから離れていってしまう」というクライアント側の悩みであった。僕も同業者故、話せば解るのかと思いきや、実態は全然違った。
知名度とブランドを背負って、業界用語を繰り出し、あたかもそれが、正義がごとく素人を取り囲み、モノづくりを牛耳っていく、独り占めしていく実態を知って愕然とした。デザインという暴力を振りかざし市民を排除し、仲間内だけでモノづくりを行なう専門家集団に悲しみさえ覚えた。
   
  デザインをダメにしているのはデザイナーだった。難しい時間のかかる会話や場面をないがしろにして、ブランド、知名度で一括し、今を消費してしまう実態にほんとに、びっくりしてしまった。
こんなことをやっていたらデザインが益々あやしいモノになってしまう、皆に愛想を尽かされてしまう。デザインにも様々な形や役割がある、個性だって違うし能力だって違う、多様なのだ。我々が広い意味で社会と経済に対して未来に対して今何を発信していくのかを問われている。 
仲間内のデザイン建築誌や学会という場所だけの発信に一喜一憂し、本当は開かれた世界をあえて自ら閉じていたのだ。今こそ日常やユーザーとの接点に存在する当たり前で、やって来なかった、新しい場面展開をすべきではないのか?
そう「日常の狭間に存在する新しい場づくり、場面の展開」それこそが本当のクリエイションなのだと思うのである。新しい世界や場面を想像し思い、大変な道を歩み新しい場を登場させる。仲間と出会い、広がっていく。そしてそこに美しい形が存在する。よく考えると我々は、その最後だけに関わり、したり顔をしていただけだった。ゴール前でボール待っていただけだった。その場を作り、観客を集め、ボールを運ぶこと。ましては新しいゲームを考える事なんか考えてもいなかった。
なんだ、何もやって無いじゃないか。支えられてただけだ。
   
  僕はスギダラを通じて日常の人達のクリエイションの素晴らしさ、そして新しい場面や価値を生み出していく地道な力に驚かされそして感動し、自分の身を知った。そして「互いに解らない、何か、というものの存在」を感じ、支えられ関係している事の素晴らしさを知った。そして今、新しい場面でのデザインにとてもワクワクしている。
   
  僕が信頼している家具デザイナーの藤森さんが、こんなことばかり言う僕にイタリアの巨匠カステリオーニ(デザイナー/建築家)の学生に向けた言葉を送ってくれた。全ては紹介出来ないが、一部を紹介したいと思う。
   
   
 
  人々のすることや、反応に関心が無いとすればデザイナーはあなたの仕事ではありません。デザイナーは発明家ではありません、自分を眺め、自らを批判する能力を養う事からはじめましょう。
   
  流行や賞や成功で物事を判断したりする事から自由になりなさい。路上の人々や日常の当たり前で誰も目に留めないようなフォルムを観察し何が出来るか、何をなすべきなのかを学んで下さい。
   
  自分の存在を後世に残そうという野心から良いプロジェクトは生まれません。デザインを通じて小さな人々と繋がり、ある交換をしようとする気持ちから良いプロジェクトがうまれるのです。
   
  デザイナーの仕事は、様々な人達と恊働で、沢山の努力と力を合わせて集団に依る表現の作業をまとめていくものなのです。
   
  (多木陽介訳を部分だけ抽出しました。)
   
   
  もうなんだか、泣けてくる。
そして、まだまだ、知らなければならない事がある。どうやら知らないだけで、世の中は、もっともっと美しいものに満ちあふれている。自分の感じる力を増すしか無いのだ。
またまた面白くなって来た。 なあ皆!!
(営業の現場で頑張っている若きデザイナーの仲間、そして奮闘している技術の仲間へ)
   
   
 
   
   
  お知らせ (月刊杉編集部より)
   
 
 

「社会を動かす企画術」
小山薫堂 編著
中央公論新社 中公新書ラクレ345

第2章 社会に種を蒔く人たち
若杉浩一(p.166-169)

   
  若杉さんがラジオ番組で話した内容が「本」になりました。
  小山薫堂さんとKIKIさんがパーソナリティーをつとめるラジオ番組「TOKYO SMART DRIVER SHARE SMILE」(J-WAVE)に、2009年9月7日からの一週間、若杉さんが出演したときの話をまとめたものです。スギダラのことを話しています。是非チェックしてみてください。
   
  このときの内容がJ-WAVEのサイトでも公開されていますので、そちらも合わせてご覧ください。
   
 
  「TOKYO SMART DRIVER SHARE SMILE」→http://www.j-wave.co.jp/original/sharesmile/
  こちらのサイトのバックナンバーで「2009年9月」のページに、若杉さんの話した内容が詳しく掲載されています。写真つき。
   
  スギダラ家の人々→http://sugidarake.exblog.jp/11908193/
   
   
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
   
 
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