連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第17回 「モノが主人を失う時」
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
 
  風に吹かれてどこかのお宅から花が舞い込んできました。これはなんの花? 葉を3枚集めたような形をしています。血管のように葉脈が透けているのがとてもきれい。この春、宇宙に戻っていったたくさんの魂に赤い花を捧げましょう。
   
 
   
  モノが主人を失う時
   
   3月、震災で人も動物もたくさんの命を失ったが、たまたま時期を同じくして、私が以前大変お世話になった方が亡くなって、お葬式に参列してきた。かなりの高齢であり、もう長いこと寝たきりだったので、誰もが「あぁとうとう」という思いでおられたと思うが、私にとっては、彼女の人生と共にあった住まいと家具調度が取材の対象であったこともあって、彼女の死によってそれら(特に家が)処分されてしまうことがとても悲しかった。
   
   日本の相続税制度は本当に問題アリだと思う。相続税を払えないために家屋敷が壊され、更地にされて、小さく分割されて、売り地として出される。価値のある調度品や骨董、美術品なども散逸してしまう。その結果、代替わりするごとに、特別に豊かな人たちは少なくなり、日本はおしなべて均一な中流社会になっていった。それはたしかに、不当な貧富の差に苦しんだ時代の労働者階級の目から見れば理想的な流れだったのかもしれないけれど、それによって一体どれだけの文化的な建築やモノたちが失われていったことか。
   
   都内の屋敷で行われた葬儀(今どき都会で自宅の座敷で葬式を出せる人というのも本当に珍しくなった)では、近親者のための控え室が用意されていた。その部屋は、かつての女主人の居間であり、お茶室であり、月見台が張り出された、私にとって思い出深い一室だった。彼女の趣味で誂えられた朱塗りの箪笥が壁に造り付けられていて、その脇に小さな水屋があって、水琴窟の音がしていたっけ。水屋の棚には、以前、撮影させていただいた数々のお道具(季節ごとに揃えられた香合や香炉の灰を慣らす小さな銅製の道具たち、お茶を入れる棗(なつめ)など)が懐かしい姿で、使われていた時のままに並べられている。
   
   続きの間にはさまざまな冠婚葬祭、おつきあい、ごあいさつで使われる祝い紙、水引や熨斗のたぐいを納めるための紙専用の箪笥が造り付けられていて、「熨斗紙」の話の時には、そこからイメージに合う紙と水引をスッとを出されて、品良くお祝いの包みをつくり、目の前でさらさらと筆を走らせてくださったものだ。
   
   春夏秋冬、いつお邪魔しても、その時の「旬」がさりげなく住まいの中にあった。2ヵ月に一度伺うごとに、確実に違う空気が漂っていた。冬の月見台の水盤に浮かべられた寒椿の紅、夏の盛りに(クーラーが効いていても)必ず用意される団扇と団扇立て。白い障子がきりりと映り込む漆塗りの天板が置かれた座卓には、冬になると縮緬で仕立てられた薄くモダンなオリジナル炬燵掛けが掛けられた。座卓の脇には煙草盆と煙管(キセル)。コンセントを隠す風炉先屏風。玄関にはお客様の手荷物を預かる漆の重ねの乱れ箱。
   
   その乱れ箱はお葬式の日にもちゃんといつもの場所に置かれていた。何もかも、女主人がきっちりと守っていた時代のままにそこに置かれている。でも、なんだろう、何かが違う。家もモノも使う人がいなくなると命を失ってしまうのだろうか。いつでも活躍できるように「ここに居ますよ」と道具たちが必死で訴えかけているようで、それがかえって悲しくて、彼女自身の死ももちろんなのだけど、主人を失ったペットたちを見るような気持ちで、私は家と道具たちを涙目で見ていた。
   
   「母はこの家を大変愛していました。40年前に家を建てた時には、隅々まで自分の気に入るように考えを盛り込んで、家づくりを楽しんでいました。本日は狭くてご迷惑をおかけしたとは思いますが、この家から母を送り出してやりたいという私のわがままから、ここで葬式を行うことにしました」と、喪主である息子さんが挨拶をして、霊柩車が長いクラクションを鳴らした時、私は送られていく彼女の代わりに家を見つめていた。彼女の代わりに家と道具たちに別れを告げた。ひとりの老女が亡くなるのは、歴史に残るような大きな出来事ではないけれど、ひとつの時代はこうして着実に終わっていくんだな、と思いながら。家も、しつらいも、道具のあり方(誂えるということを日常的にしていた人のモノのつくり、デザイン)も、モノの使われ方も、ありとあらゆる暮らしの文化が、世代を経るごとに着実に変わっていく。
   
   あの日、あんなに泣いていたのは私だけだった。何事にも厳しく、口うるさく、きっと面倒だったに違いない老女を無事に送り出すことができて、関係者の誰もがどこかホッとしたような顔をしていたのにも関わらず。撮影に通った3年半の日々が、音が、匂いが、気配が、家のあちこちから立ち上ってきて、何を見ても泣けた。自分の祖父母が亡くなった時よりも泣いた。
   
   さようなら、美しい日本の暮らし。体験させていただいて本当にありがとう。もうすぐここも更地になってしまうはずだ。
   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
著書に 『鯨尺の法則』 『欲しかったモノ』 『天の虫 天の糸』(いずれもラトルズ刊)がある。
『つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi.htm
『新・つれづれ杉話』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi2.htm
恥ずかしながら、ブログをはじめてみました。http://tarazou-zakuro.seesaa.net/
   
 
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