|
||||||||||||||||
*佐渡の話 第1話はこちらへ |
||||||||||||||||
*佐渡の話 第2話 はこちらへ |
||||||||||||||||
*佐渡の話 第3話 はこちらへ |
||||||||||||||||
*佐渡の話 第4話 はこちらへ |
||||||||||||||||
両津港に着くと、南雲隊長はいつものようにイカとっくりと熱燗を仕入れた。熱燗はワンカップの蓋を開けて店のレンジでチンしてもらう。ノシイカやイカの一夜干しを仕入れて、バタバタと船に乗り込むと、慣れた手つきで備え付けの紙コップを引き抜く。船内の水飲み用の紙コップはサイズが小さくジャストおちょこサイズなのだ。いつもの客席の2階最後部へと向かう。ここは、唯一サイドテーブルがついている。イカとっくりに熱燗を注ぎ込む。折りたたみ式の机を出し、コップを置く穴にイカとっくりをセットする。残りのワンカップをサイドテーブルに並べたところで、ジェットフォイルが出航する。こうして新潟までの1時間、イカをつまみに、イカ酒を飲み、イカしたひと時を過ごすのが常だった。 |
||||||||||||||||
初めて相川を訪れてから色々な店を飲み歩いた。そんなに数はないので、大抵の店という店は回ったのではないだろうか。なんでそんなに探し歩くのか。飲むところなんて、どこでもいいじゃないか、そんな声も聞こえてきそうだ。ところが、何気なく訪れるその店で展開される数々の感動的ドラマは、その日その場所で入る店、その店にいる客によって決まる。ドラマのキャスティングが大事なように、飲み屋の"客ティング"もまた大事なのだ。 |
||||||||||||||||
我々が飲み歩いて辿り着いたのは「きよ」という小さな飲み屋だった。商店街から一本裏道に佇むその店は、カウンターと小さな小上がり、奥座敷がひとつあるだけのこじんまりとした店だ。店を切り盛りする女将のキヨさんは、金山の南沢疎水道(江戸時代、坑内の溜まり水の排水のために岩をくり抜いてつくられたトンネル)の目の前の家で生まれ育った。キヨさんが小さい頃は、よく坑道に入って遊んでいたらしい。夏は坑口からの涼風が天然のクーラーとなったものだと、しゃがれた声で教えてくれた。生まれながらにある鉱山施設の風景は相川の人々の原風景なのだ。 |
||||||||||||||||
キヨさん(左)。いつも明るくしゃがれた声で迎えてくれる。常連のおばちゃんも上機嫌で歌を歌う。 | ||||||||||||||||
南沢疎水道(国指定記念物)。江戸時代に手彫りで5年間かけて掘られた約1kmの排水トンネル。今も鉱山の地下水を日本海へ流している。坑口からは涼風が流れる。キヨさんが遊んだ頃はスチールのフェンスはなかった。 | ||||||||||||||||
きよ名物「スコップ三味線」は一度体験されるとよい。雪かき用のスコップを小脇に抱え、瓶ビールの栓抜きでカカンッ、カカンッとスコップの背を叩く。キヨさんは『いつもやるわけじゃないからね』と言いながら、時には顔なじみの客も巻き込んで、スコップの甲高い音とリズムに合わせて、佐渡おけさや地元の民謡などを歌ってくれた。 |
||||||||||||||||
きよ名物、スコップ三味線。 | 南雲隊長が弾いて、キヨさんが歌う。 | |||||||||||||||
その日は木曜日で「きよ」の定休日だった。年度末の相川はどこかひっそりとしていて、人の気配も少ない。仕方なく、いつも地元の人々で賑わう炭火焼き鳥屋「金福」に入った。カウンター15席程度の小さな店で、こだわり屋のマスターが黙々と丁寧な仕事で焼き鳥を炭火で炙り、佐渡の冷酒や(相川にはめずらしく)それなりのワインを提供してくれる。 |
||||||||||||||||
金福。焼き鳥もお酒も美味しい。 | ||||||||||||||||
プロジェクトに関わり始めて既に一年ちょっとが経ち、広場の工事も進みつつある頃だった。しかし、カウンターに座った南雲隊長、川口女史、そして僕の3人はどこか釈然としない気分だった。原因は昼間に現場で見た柵の取り付けだった。我々は、市を通して隣接する県の河川管理道に対して舗装材や柵のデザインを提案していた。同じ空間に設置される施設としてどうしても放っておくことができなかった。どうやら、その柵が設置されたらしい。しかし、現場で柵に手をかけると何故かグラグラとぐらついた。支柱がしっかりと固定されていないのだ。これは安全管理上、そしてモノとしての仕上がり上、問題である。 |
||||||||||||||||
写真中央に柵が見える。柵とコンクリートの壁の間が県の河川管理道。 | ||||||||||||||||
広場の計画、整備は市で進めていた。隣接する県の河川管理道についても広場と一緒に協議しましょうと、それまで県に対して何度か同じテーブルでの協議を求めていたが、一度も応じてもらえていなかった。そういう経緯もあった中で、県の工事で柵が設置された。提案していたデザインは受け入れられたが、施工がひどい。なんだか気分が悪かった。設計や工事を進めるのに、一度もオフィシャルに発注者と顔を合わせること無く、モノだけができているなんて、切ない気分もあった。 『しっかし、何であんなに柵がグラグラだったんだろうなぁ! ? 』カウンターで南雲隊長が管を巻く。僕は僕で、事業の進め方が気に入らなかった。デザインやモノの形を生み出すこと、モノを作るという現場への敬意が全く感じられないじゃないか、と。息巻く2人を横で川口女史がまあまあ、となだめる。 と、反対側のカウンターでふいに『六日町が… 』と、聞こえた。南雲隊長が反応する。『六日町ですか! 僕、六日町生まれですヨ! 』飲み屋で偶然同席した見知らぬ客の会話に無理矢理入り込むのは南雲隊長の十八番である。しかし、話の内容から、どうやら同業者のような気がしないでもない。いや、待て。同業者というより… 、と考えているうちに、話は北沢の広場整備の話に進む。『あそこ、最近柵が設置されたの知ってます? でもあれ、なんだかグラグラしてんですよ〜』と南雲隊長。『あー、あの柵ね。あれは俺がつけたんだ! 』 『…えっ?どういうことですか?』 こういう形で会うことになるとは… 。反対側のカウンターにいたのは会いたくてもなかなか会えなかった、いや今となっては会ったら一言言わざるを得ない、県の担当の人々だった。年度末で異動する部長かなんかを囲んで、「金福」で送別会をやっていたのだ。向こうはまだ我々の素性に気付いていないのか、『東京から来たデザイナーだか何だかの先生の柵をつけるように市からお願いがあったから、設置してやったんだ。だけど、いつでも引っこ抜いて管理できるように、支柱を基礎に砂利詰めだけにしておいた。』と、意気揚々に語っている…さて、どうするか… 東京から来た3人で軽く目配せをすると、南雲隊長が切り出した。『いやー、そうだったんですかぁ、よし! その話、もう一軒行って詳しく聞きましょう! 』 向かった店は、寿司屋「初」。我々が相川に来て最初に昼ご飯を食べた店である。ここが噂の『佐渡の乱』の舞台となった。「金福」から「初」へは歩いて10分ほどだった。道すがら、こちらの素性を明かす。相手も何となく気付いてはいたようだ。こうなったら、互いに腹を割って話をしようじゃないか。片や仕事で来たよそ者、片や異動して佐渡を離れる身だ、二度と会うことはあるまい。思っていること、言いたいことを言い合おうじゃないか。酒の力も手伝って、何やら不穏な域に入り始めていた。 『何であんなどこでもあるような柵をわざわざ高い金出してつける必要があるんだよ? 』 『どこにでもあるとはどういうことですか?ちゃんとデザイン考えてやってんだよ! 』 『デザイン? デザインがナンボのもんじゃい! あんなもんどこにでもある、ただの柵だろうが。』 『ただの柵とはなんだ! そもそも、こそこそと表にも出てこないで、何様のつもりだ! 』 『こっちは市の言った通りにしてやっただろうが。つべこべ言うな。』 『別に俺らはあんたのためにやってんじゃねーんだよ! 引っ込んでろ。』 『引っ込んでろ? 俺が発注者だ! 俺が柵をつけてやったんじゃ! 』 『つけたっていっても、グーラグラじゃねーか! 』… という会話があったかどうかは定かではない。笑。とにかく、どうしようもない、というほどお互い言い合って、やりあった。よく覚えていないが、僕は県の若い職員とやりあい、かけていた眼鏡が軽くぶっ飛ぶぐらいのスキンシップを図っていたらしい。この話が大きくなって、巷で佐渡の乱などと呼ばれている。笑。 翌日はこれまでで一番ひどい二日酔いだった。あれから宿に戻り、寝ている新ふじの大将を起こして、明け方まで飲んでいたから当然だ。頭はガンガンして、ろくに朝飯も食べることができない。まちの喫茶店で普段めったに飲まないブルーハワイクリームソーダを飲んだ。炭酸がスッカラカンの胃袋に染みる。喫茶店を出て通りを歩いていると、前の方から「きよ」のキヨさんが自転車に乗って現れた。『あぁ、キヨさん!昨日、僕たち店に行ったんだよ。そしたら休みだったからさぁ…、色々大変だったよ。笑。』 |
||||||||||||||||
ブルーハワイクリームソーダ。翌日なぜか携帯で撮っていた。相当胃袋に染みたのだと思われる。 | なぜか陽気な川口女史(左)とまだ朦朧としていながらも、なぜかピースをする筆者。 | |||||||||||||||
もし、「きよ」が開いていたら僕たちは迷わず入って、スコップ三味線を弾いて楽しんでいただろう。仮に「金福」に行ったとしても、因縁の彼らに出会うことが無ければ、こんなに深酒することも無かっただろう。両津港を出たジェットフォイルの中でイカとっくりをやりながら、南雲さんが言う。『気にすることないよ。俺の人生なんてさぁ、反省ばっかりだよ。笑。』人生か…、人生とは何だろう。出会い、興奮、喜び、怒り、痛飲、反省…、僕は昨晩の断片的な記憶を思い起こして、あぁ、生きてるなあとしみじみ感じていた。そしてこの生きている実感を得るために酒を飲むのだ、と自分に言い聞かせていた。 |
||||||||||||||||
佐渡のイカとっくりと佐渡の酒、金鶴ワンカップ。 | 最終的にグラグラが収まったフェンス。 | |||||||||||||||
後日、再び現場に訪れると、どういう訳か例の柵のグラグラはすっかりおさまっていた。さて、正しい酒の飲み方、誰かご存知だったら教えて欲しい。笑。 (つづく) |
||||||||||||||||
●<さきたに・こういちろう> 有限会社イー・エー・ユー 代表 http://www.eau-a.co.jp/ Twitter アカウント@ksakitani http://twitter.com/ksakitani |
||||||||||||||||
Copyright(C)
2005 GEKKAN SUGI all rights reserved |
|||