連載
  スギダラな一生/第43笑 「暑いということの所以」
文/ 若杉浩一
  藤原先生へ感謝の気持ちを込めて
 
 
  暑い日々がまだまだ続く。ソウルへ、宮崎県知事が行かれる、飫肥杉の活用事例を見学されるという事で、説明要員をかねて川上木材の川上さんと韓国へ飛んだ。いや〜〜ソウルも暑かった。まさしくソウルフルな暑さ。それから宮崎に入ったのだが、こっちはもっと暑かった。暑さのジャンルが違う、少し感覚がちがうのだ。思えば、それにも増して、さらに天草は暑い。太陽と澄み切った空気のせいで、自然の色、風景がくっきり見える、透明度が高い?いや色が全面に押し出てくるというような感じなのだ。当然暑さも、「暑い」を超え「焦げる」ような暑さだ。もうやけくそ気味で楽しくなる、しかし木陰や夜はひんやりする、ラテンのノリから一気に目が覚める。これが有るから、暑さがまた恋しくなり、朝からの焦げ付くような暑さを許せるのだ。
   
  日本には、季節や、気候に対して繊細な言葉が沢山あるが、どうして激しい、暑苦しい、熱い、と言う分野には、あまり細やかな感情がないのだろう。不思議に感じるのだ。
  「暑苦しい」とは言うが、「暑楽しい」とは言わないし、「ホットスポット」とは言うが「激暑処」とは言わない。先日、ソウルで、韓国人の朴さんと古い郊外の古い町並みを歩いている時、日本と同じ蝉、ミンミンゼミとヒグラシと、あと始めて聞く蝉の音を聞いた。朴さんに「あれは、何蝉なの」と聞くと「蝉です」と答える。
  「いや、あれはミンミンゼミで、あれがヒグラシでしょ?もう一匹聞こえる、あれ、あれだよ?」と聞くと「あ〜〜、蝉です。」と答えるのだ。
  「いやいや、あの蝉だよ〜、なんかじーじー泣いてる奴」「だから、蝉です」
  「あ〜?全然違うじゃん?ヒグラシはさ〜、夏の終わりで、ニイニイゼミは夏の初めだよ。それであれはいつ鳴くの」「さあ、そんな細かい事は知りません」と来たのだ。
  「ちょっと待てよ!どうして、キムチにあんな種類がある繊細な国なのに、あの、じーじー鳴く蝉を、ただ蝉と一発で片付けるんだ!!朴さん」「え〜〜〜?」
   
  朴さんは困って絶句してしまった。ひょっとすると彼からすると僕が、かなり昆虫マニアで、蝉ごときの鳴くタイミングや鳴き方について「なんで、君は蝉の詳細を知らんのだ、どうにかしている」と言っているに違いないと気がついた。
  大切な感覚においては、微妙な違いは大きな違いで、記憶に通ずる大切な事なのだ。確かに、僕らだって蟻の細やかな種類なんて知る由もない。総じて蟻は蟻だ。
  記憶や経験とは、かくも感覚や価値に繋がるものだと思い知らされた。 そう思えば、暑いという感覚の多様性に対する言語の少なさと感覚の違いを感じてならない。暑さの宝庫天草からすると表現の豊かさにまだ物足りない感がある。
   
  そんな天草と、ついに関われる機会が持てたのだ。それは、九州大学の藤原先生との出会いからだ。そして、いつもの天草ではなく、少し客観的に接する天草という不思議な体験をした。
   
  藤原先生と出会ったのは、「杉がいいや in シーガイヤ」だった。(イベントの様子は以下、オビダラ日記参照:搬入準備編その1その2その3 僕らの相変わらずの漫談セミナーを聞いていただいた事から始まる。背が高く品が良くハンサム高橋克典似の爽やかな感じで、僕らとは、正反対な感じがした。ところが、ところが、駄洒落好きで、暑苦しく、真っすぐで、話せば話す程、近い匂いがプンプンする。おまけになんと、我が母校(九州芸工大:現九大)の先生であり共通の先生に被害を被った、言わば被害者の会のメンバーであると言う事も解った。そして自分が天草出身であることと、いつか、天草のお手伝いを出来ないかという話しをしたら、既に繋がりが有るというではないか。出来すぎているというより、未来や希望が突然ワープしてきたという感じだった。
  呼んだのか、呼ばれたのか?とにかくこの出会いに感動し、感謝した。
   
  それからしばらくして、ついにその時がやってくることになった。しかも豪華スギダラメンバー勢揃い、津高親分ア〜ンドJR九州チーム、北部九州の豪華メンバー(池杉さん、佐藤薫ちゃん)、宮崎から、崎田さん。千代田、南雲親分、そして内田洋行デザインチーム、倉内。なんと伝説の道祖神野郎、深井ゴンゴン第40笑第41笑参照)、そして高校の同級生でコピーライター西山君、日本を代表する杉フリーク辻さん、九大の学生達。そして、地元の方々、総勢40数名。凄いメンバーが揃ってしまった。
  これも、藤原マジック「あり得ないカードを引き当てる」藤原さんの才能そのものだろう。しかし、本当の凄さは、そんなものではなかった。
   
  焦げ付くような暑さと、眩しいくらいのメリハリのある色と風景にメンバーが引きつけられる中、通り過ぎる、僕の、ささやかな風景や逸話に盛り上がりながら、僕らは会場である高浜の公民館に到着した。部屋に入るとそこには、力強く踊る書で、会のタイトル、そして参加メンバーの名前と一言コメントが記してあった。素晴らしい演出、素晴らしい場づくり。始まる前からもう既に盛り上げている、この暑さは、まさしく天草並だ。
  着くや否や、もう自己紹介。そして次々に話題や、感想を皆に振り、会話を回していく、「こりゃ音楽だ、乗らんと盛り上がらん。」一瞬で目覚めた。
  皆で、高浜の町並みを巡り、相変わらずの駄洒落をぶり撒きながら、楽しい会話の連続、音楽的なコミュニケーションが続いていく。スギダラメンバーのいつもの事、得意技である。
   
  当日の夜、僕は両親の強烈な「帰ってこい」ラブコールで一団と分かれ、渋々自宅で高校同級生組(西山君、深井ゴンゴン)と倉内とで盛り上がる事になった。僕は自宅では実は無口で、あまり口を開かない。いや、余りにも母親が喋るものだから、口を挟む間が無いと言った方が正しい。僕の存在を置いて、母親、父親と深井ゴンゴンや、西山君、そして倉内と高速なセッションを繰り返す。お陰で一人静かに、テレビを見ながらチビチビ飲む羽目になる。気づけば、皆は、大酒を飲みご機嫌、一人酔い足りない自分がいる事になるのである。
   
  翌日、地域の皆さんと一緒にワークショップ。僕は、プロダクト開発チーム参加することにした。しかしこのチームが、人気が少ない。他のチームの人気に比べ、しばらく僕一人だった「俺一人かよ〜〜!!」と言っていたら、さすが、スギダラ北部九州の薫ちゃんと池杉さん、宮崎、崎田さんのスギダラ、味系女子群、JR九州新入社員、稲森君、九大の北岡さん、地元、森商事、小野さんが揃った。どう見てもオール味系だ、出汁は良く出そうだが、どうなるのか?
  最初は、極まじめに、まじめに、様々な話しにお互いを探るような感じで、なんとも固い時間が過ぎた。それを心配してか、藤原先生がまた、チャチャを入れてきた。しかし味系メンバーは、そう簡単にラテンにはなれない。
  回りのチームは料理が始まっている状況からすると、我がチームは、まだ出汁を取っている段階、料理が決まっていない。
  もう食材を探すしか無いか?「よ〜〜し、外へ出かけよう!!」動きは速かった。見たいものが沢山有る。早速、車をお願いし、昇り釜跡、砕石場を見学に行った。そして次々に、僕も知らない地元ならではのホットスポットを紹介してくれた。行きすがら、出るのは、やはり駄洒落「磁器のボトル入りで、出来の悪いワインの名前が『ジキ早々!!なんて』」一気に皆が覚醒した。いつもの調子、スギダラ流。こうなれば、味系女子だって、いつものリズムを知り尽くしているせいか、ポンポン面白アイデア、いや、駄洒落が出る。これが、暑さや素晴らしい風景に触発され出るわ、出るわ、車内は爆笑の渦、涙が出る程盛り上がり、面白かった。
   
  「天草の天然塩が入った磁器のボトルで『しおジキモノ(正直者)』まじめに作ってます。なんて」「お〜〜〜」
  「杉の板に、磁器のタイルを引いた『鍋ジキ』なんて」「すぐ、売れる!!」
  「磁器のトンボ玉を連ねて出来たネックレス(自分で選んでも、作っても良い)『ジキネックレス』なんて」「欲しい!!」
  「天草の夕日をバックに、様々な試練が待ち受ける、人生ゲームのようなマラソン、ゼッケンが磁器タイルで出来てます。『ジキ輸走』(持久走)」「ひょ〜〜、参加したい!!」
  「一寸だけの陶磁器づくり体験なんて、面白くない!! 採掘から砕石、練って、形を作って、焼き上げる、全てを体験する、滞在型もの作りコース『ジキ遊自足』(自給自足)」「過酷だけど、面白い!!」
  「こんな美しい景色が沢山!もう別荘を買うなんて時代ではない!!地元の大工さんと一緒に作る参加型、土地付き別荘『ジキ別荘』」「磁器が入ってな〜〜い」
   
  アイデアが出る出る、もう止まらない。良いも悪いもない、「盛り上がりとノリ。」しかも、良いも悪いも無く「楽しい」そして、良いものもきちんとある。
  そう、製品開発、モノ作りは楽しい、参加すればもっと楽しいし、愛が宿り、そして美しいモノに変わる。
  誰かに売る事よりも、自分たちの楽しみや生活から生まれたものの方が本物だ。
  製品そのものよりも、「プロセスや物語、そして人の気持ちが大切だ」
  こんなに美しくて、沢山の魅力があり、世界に誇る「磁器、陶石がある」美味しい食べ物、そして何より、素朴で、真っすぐで、情熱を持った人がいる。何も新しいものなんていらない、その事に気づき、見つめ直し、そして繋がり、新しい何かに進化して行く様を楽しめば良い。
  エポックな事やヒット商品も必要かもしれないが、モノを生み出す喜びや、楽しみを思い起こす事。そして続けていく事のほうが本当は、大切かもしれない。
   
  とはいうものの、僕らの発表は、「スギダラ味系女子3姉妹」が抜け、4人の小集団になった。何とも言えない盛り上がりと、このノリを伝えることの難しさ、折れそうになる自分。皆の前でやり通せるか?
  ライブだ、中身よりも、向かう姿勢だ、バカバカしい内容かもしれないが、本気だし、やってみたいと思う。玉石混合、体験と時間が物事を練ってくれると言う事を伝えよう!! そして、自らを「落とし」いや「楽しみ」演じよう。
  「抜かりは無い!! 俺たちは、本気だ! いけてる! 麦わら帽子〜〜装着!」結構、ギリギリな感じはあったが、皆の音楽的センスは抜群だった。
  予期しないアドリブ、ノリの連続に、観客はおろか、僕らの方が興奮した。
  「お〜〜稲森くん、そんなの聞いてないよ〜〜」
  「北岡さん、うまい!!やれる、やれる!」
  「小野さん、炸裂」
  ノリにノリ、メンバーのセッション的な会話の連続に、地域の方々の顔の輝きが増し、とても良い時間が漂った。中身がどうかではない、何かが繋がった感じがした。
   
  高浜の漁港で、酒を飲み、遅くまで、高浜の皆さんと話した。皆あの目をしている。キラキラで、明るく、人懐っこく、心が開いている。何も威張らず、なにも着せず、自分の言葉で未来を語る、そして踊る。「大きな事、何か」を仕出かす訳ではないが、小さな日常を美しく過ごしている。
   
  これは優しさなんかではない、許容力の大きさなのだ。
  僕は、なんだか、とても恥ずかしくて、恥ずかしくてたまらなかった。それは、ここを去った、一度、否定した自分が、地元の人達には当たり前のことを喋っているだけだったからだ。長い時間をかけて解ったのは、自分自身の中に潜んでいる、この地の力だった。
  「まぎれもなく、ここで育った。そして一緒の遺伝子を持っている」
  そう確信した。そう思うと、体の力が抜け、言葉が出なかった。
  ただただ、皆さんの話を聞くだけで充分だった。
  まったく、ぼんくらは、何事にも随分時間がかかるものだ。
   
  何にも無い、貧しい島から、様々な産物を見つけ出し、育て、広げ、そして海を目前にして、遠く海外へ向かう事に何も恐れなかった。
  よそ者、異国の人を受け入れ、異教徒をも受け入れ、自らの正義に忠実だった。
  夜ごと、夢を語り、未来を語り、小さい一日を積み重ねる。
  海の向こうの見えない世界に思いを馳せ、乗り出していく人達。
  僕は、幼い時、この海の美しさの向こうに素敵な何かがあるに違いない、そう思い、いつもドキドキしていた。
   
  そしてその思いや、父親の生き方、そして天草の人々のたたずまい、それは、この地から始まっていたのだ。なんてことだ。この土地の事、先祖のこと、風景、人々、文化、歴史、全てがここから始まっていた。
  眩しいばかりの景色、ずうっと彼方まで繋がったそして海、そして語る言葉が見当たらない、ここにしかない、焦がれるような熱さ。
  切っても切れない何かが、存在すること。まだまだ、充分に受け入れる素直さや、体つきがあるわけでもない。しかし、ここから始まり、ここを去り、ここを大切にしていた。そしてその事に気付き、また、そこへ向かおうとしている。
   
  今、自分が長い時間をかけ、追い求めた、枯渇した心の中身、必要な何か、デザインの事、企業での活動、スギダラのこと、仲間の事、全てはそこに繋がっていた。ゆっくり糸を手繰り寄せていかなければならない。
   
  南雲さんがプレゼンをするとき、最後にいつも、古里の新潟の雪景色の写真を見せていた。「僕はここから始まったのです。」といつも言っていた。言ってしまえば、当たり前の事なのだが、そのことがようやく僕にも解った。
  自分が、デザインが、どこに向かっているのか? 何を大切にしてデザインをしているのか? 何がそうさせるのか? 何を表現するのか?
  ようやく、合点がいった。そうなのだ。
  「僕は、ここから始まり、ここに向かっている」
  そして、いつか体の中の潜んでいたものを、かたちにしたいものだ。
   
  ここへ導いてくれた、藤原先生へ感謝の気持ちを込めて。
   
 
  藤原先生の書による演出
 
  故郷の天草市河浦町にて
   
   
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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