短期連載
  領域を超えて 〜「みんなが使う駅」で木材を活用する〜 第4回
文/写真 川西康之 
   
 
 
 
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  4-1 居場所を創りだすこと
   
   先日、九州の辺境にある駅で、乗り継ぎのために2時間ほど待つことがあった。人口2万人の小さな街の乗換駅なのだが、駅前には特に商店もカフェがなく、ちょっとした「居場所」が駅の待合室しかない。ところがこの駅の待合室は、お世辞にも清潔とは言えず、居た堪れない、惨めな雰囲気だった。
   
   私は珍しく普通運転免許を所持していないため、旅や仕事の移動は専ら公共交通機関である。すなわち、中村駅など地方公共交通の主たる利用者である交通弱者に含まれる。私は、高校生やお年寄りと同じ立場にある。
   
   人口が多い大都市ならば、当たり前のことだが、ちょっとした空き時間に「相手してくれる」空間=書店、カフェなど立ち寄れる居場所はいくらでもある。
   
   地方都市では、すべての居場所や生活はクルマが支えている。公共事業はたっぷり実施されているはずなのだが、「みんなが使う居場所=公共空間」は機能しているとは言えず、自動車産業+大手流通業+道路整備の過剰供給による相乗効果によって、戦略なき公共交通や中心市街地は崩壊しつつある。どこか寂しく、豊かとは言えない商業空間と消費時間が出現しては消えてゆく。「家族」という社会の単位もまた崩壊しつつあり、人々は心地よい居場所を求めて、無秩序な地方都市を徘徊し続けている。
   
   日本の地方都市ばかりを歩いていると、気が滅入ってくる街が多い。そこに夢や未来は見られず、目先の重い課題ばかりが見えてくる。
   
   元大分県知事・平松氏の有名な言葉で「東京不満・地方不安」があるが、本来は地方の都市こそ豊かで、都会の人々が羨ましがるような生活を送るべきなのだ。
   
   10年前、フランス南部の小さな地方都市 Nimesニーム(港町のニースとは異なる)を訪れたとき、とても驚いた。パリとは比較にならないほど美しい商店街の路面、大きな窓の家、何よりもベビーカーを押す子供連れの姿が実に多く、楽しそうに街を歩いている。
   
   街の公共空間は、みな地場産の石材で構成されている。だからこそ、なのだろうか。とても整備が行き届いている。雑踏のParisパリからの夜行列車で着いたその小さな街の光景は、あまりにも眩しく、羨ましく見えた。
   
 
   
  4-2 ブドウの木の重み
   
   5年前、私はフランス国鉄交通拠点整備研究所(AREP-SNCF)に勤めていた。当時は翌年にフランスとドイツを結ぶTGV高速鉄道・東ヨーロッパ線の開業を控えて、各駅の建設工事や都市整備が行われていた。とは言え、日本の新幹線工事とは異なり、フランスで予定通りに工事が進むことはない。とくに駅前広場から周辺の都市整備は開業前年でも「これから」という状況であった。もし、フランスで建築工事を強行すれば、市民の大規模なデモや抵抗運動が発生することは必定の国である。明快な説明責任と自由な議論こそがすべて、であった。
   
   私たちの設計チームが担当したのは、Parisパリの北東部にあるReimsランスという古い街である。Champagne-Ardenne シャンパーニュ・アルデンヌ地方の中心都市、つまりシャンパンの主たる生産地である。この地方以外で生産された発泡性ワインは、シャンパンを名乗ることはできない。この地域のブドウ農家は、当然のことながら自らの仕事や地域を誇り、世界でもトップクラスの収入を得ている。彼らやこの街にとって、高速鉄道が建設されることは「迷惑な出来事」でしかなかった。新幹線建設こそが、人と地域の経済に刺激を与えると信じて疑われない我が国の事情とは全く異なる。
   
   高速鉄道の駅は、中心市街地から2kmほど離れたところに建設されていた。日本の新神戸駅、新大牟田駅、新青森駅と同じような事情である。町の郊外はすべてシャンパンを生み出すぶどう畑であり、そのぶどう畑を切り開いて、高速鉄道の駅と周辺の都市整備が行われることになっていた。農家や市民の反発は大きかった。
   
   私たちの設計チームがプレゼンテーションをする際は、市長や市民の代表が出席して、「大切なブドウの木を切って作るその鉄道は、私たちの人生をどう変えるのか?」という題目で議論が重ねられた。
   
   当時のフランスは、シラク政権が「都市再生」を唱い、とりわけ地方都市の公共空間、交通インフラの再生に特に力を入れていた。点ではなく面的な整備をすることによって、歴史ある都市空間を再生し、人々の生活を再生することだった。結果、地方都市の中心市街地に若い人達が住み戻るようになり、現在のフランスは先進国有数の出生率を誇るようになるなど、成果は数字にもハッキリ現れている。
   
   都市を再生しようとする国家戦略の本気度と継続性、その背景にある議論のレベルの高さは、日本から視察に来た程度では絶対に真似ができないものだ。地方都市再生こそが国家を強くする、という強い信念が感じられた。
   
 
  ランス大聖堂は12世紀に建立されたもの。かつてフランス国王の王冠式はパリではなく、この大聖堂で行われた。この史実からも、この街のチカラが理解できる。
 
  ランス市郊外に広がるブドウ畑。農家や醸造関係者たちの誇りだ。
   
 
   
  4-3 ヒノキの赤み
   
   中村駅のヒノキも、地場産のものだ。四万十ヒノキは日本全国に響くブランドであり、彼らにヒノキの新しい使い方を提示したい、と思っていた。地場でしか生み出せない木材に、新しい価値を加えて、地元の人々に自信と誇りを持っていただきたい。
   
   四万十ヒノキの特徴のひとつに、紅色を帯びた色味がある。耐水性が高く、檜風呂や歌舞伎の舞台にも使用される高級品である。この紅色と駅の照明装置を組み合わせることにした。
   
   当然のことだが、商業施設では照明装置はショーウィンドウや棚の商品を照らしている。レストランでは、テーブルの食卓を美味しく照らす。いずれも商売のため、商品に適切な照明を用いることは当然のことだ。
   
   一方、公共空間たる鉄道駅での主役は人だ。駅で人を待つ顔、旅立ちのわくわくする表情にキチンと照明をあててあげたい。大都市の駅では実現不能だが、中村駅のように小さな規模の駅ならば、乗客それぞれの過ごし方に合わせた家具と照明を用意できる。
   
   ところが、以前の中村駅は、夜間時間帯は安全とは言い切れない駅だった。夕方19時を過ぎると、地方都市の駅はパタリと人の流れが少なくなる。中村駅の待合室も、以前は駅事務室からの見通しが悪く、夜間時間帯に女性ひとりで列車待ちをするには不安な駅だった。
   
   中村駅では、建設費が非常に厳しいためLEDは使用できない。そこで、照明エンジニアの三島立起氏に照明設計と貴重なご助言をいただきながら、一般的な蛍光灯と四万十ヒノキの紅色を組み合わせて、赤い色素を利用者の肌に投射できる新しい間接照明を開発した。
   
 
  中村駅待合室のベンチは、四万十ヒノキ積層材を使用している。特に紅色の部分を選んで制作して頂いた。
   
 
   
 
    4-3 顔見せ電車
   
   この話には、伏線がある。フランスの首都パリに地下鉄がある。世界でも有数の古参だが、昔から評判が悪かった。20年ほど前、RATPパリ市交通局にこんな苦情が寄せられ、女性たちによるデモまで起きたという。
「今度の新型車両は、私の顔が美しく見えない。せっかく時間を掛けて化粧をしたのに、台無しだわ。」
電車の室内灯が白い蛍光灯だったため、肌が青白く見えたのだろう。日本では今でも多くの電車が青白い蛍光灯を装備しているが、美と我を追求する国の事情は違った。
   
   美とはあまねく公共のものであり、共有の財産である。公共に対して、美しさを求める姿勢は、日本人も本来、持ち合わせていたはずなのだ。人の顔が美しく見える駅、それが地方都市にとっての新しい公共の価値であり、次世代の地方都市における居場所になり得る、と私は確信した。
   
 
  パリ地下鉄3号線Temple駅。女性の肌が美しく見える照明装置への取り換え工事が進んでいる。すべての地下鉄駅の改良工事費用は、20年間で総額4.5億ユーロを投資している。
 
  Paris Gare de Nord パリ北駅。ロンドン、ブリュッセル、アムステルダム、ケルン、ベルリンやモスクワ行きも発着する駅ホームの照明は、色温度が華やかに演出されている。
   
   
  (第5回へ続く)
   
   
   
   
  ●<かわにし・やすゆき> 
建築家 nextstations 共同主宰。1976年奈良県生まれ。千葉大学大学院自然科学研究科デザイン科学博士前期課程修了、デンマーク王立芸術アカデミー建築学校招待生、オランダ・アムステルダムの建築事務所DRFTWD office勤務、文化庁芸術家海外派遣制度にてフランス国鉄交通拠点整備研究所 (SNCF-AREP)勤務などを経て、現職。
   
 
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