連載
  スギダラな人々探訪/第56回
文/ 千代田健一
  「山田洋次監督用杉のディレクターチェア 」
 
 
  スギダラの聖地とも言える宮崎県日向市では毎年、「日向ひょっとこ夏祭り」という日向最大の地域イベントが開催されており、今年で28回目を数える。参加者は県内だけでなく、遠くは北海道からの参加もあると言う。
   
  今年はボク自身、福岡にいることもあり、当日でも駆けつけられると思い、参加を申し込んでおいた。 実際に行ってみて、噂には聞いていたがとても難しい踊りだと思った。ホントひょっとこのお面をしていなければ、恥ずかしくて踊れないだろうと思った。でも、あのお面は最強だ!ど素人でも思いっきり楽しめる。見るものではなく自分で踊るものだと思うけど、見てても凄く愉快だ。本当に踊ってる本人がおどけた顔をしているのではないかと思えるくらい絶妙の動きをする玄人が大勢いるのである。本当に楽しい祭りだ。
   
  誘ってくれたのは日向市役所の和田康之さん。伝説の移動式夢空間の仕掛け人だ。 延々同じ踊りを踊り続けるお祭りなので、和田さんとも話してる暇などほとんどなかったのだが、出動準備をしている時に、山田洋次監督へディレクターチェアを贈呈しようという企画のお話を聞いた。もちろん、和田さんも日向の杉を使ったディレクターズチェアという頭だったと思うし、ボクもそれ以外は考えられないと思った。でも、杉で作るとなると肉太で野暮ったいものになる可能性もあるので、できるだけ細身でできる優秀な職人に作ってもらわねば、とも思った。
   
  その時に思いついたのは数年前、佐賀県の唐津で開催した「杉ものデザイン展+」に参加してくれた戸高さんの杉チェアだった。一度、戸高さんに聞いてみようと思いその旨、和田さんに伝えた。 早速、戸高さんに連絡して和田さんからの仕様要求をお伝えすると「何とかできると思う」という返事。ということで、山田監督用ディレクターチェアの製作がスタートする。
   
  以下が、和田さんからの仕様要望。
   
 
   
  ■山田洋次監督ディレクターチェアーコンセプト

・撮影現場(撮影所でのセット、ロケーション)で、シーン毎に頻繁に移動するため、  軽量、コンパクト であることが望まれる。  撮影現場まで機材運搬車で運ぶことになるので、折りたたみできるといい。

・山田洋次監督生活50周年&日向市市制60周年を記念する上映会の際に、  日向市がこれまでの感 謝の意を伝える特別表彰をする際の記念品として贈呈する。

・座部と背もたれ部は、布をイメージ。

・背もたれ部に、さりげなく下記のことを表現、記載する。
  「Youji Yamada」:山田監督の占用椅子であること
  「50th」:監督生活50周年を記念して製作されたこと
  「贈:日向市」:日向市が贈呈したこと

・背もたれ部に、脚本(A4縦冊子)が入るポケットを設ける。

・コーヒーカップが納まるポケットがあるといい。

・10月23日にある記念上映会の際に、観客に披露しつつ、市長から直接現物を渡したい。
   
 
   
  この時はボク自身も折りたたみ機構は必須という頭だったし、戸高さんもその条件は満たせるように考えてくれていて、ボクも和田さんも知らないところで戸高さんは既製の折りたたみのチェアを購入して研究までしてくれていたようだ。 戸高さんは通常は堅い木で作ってある折りたたみの木製チェアが、柔らかい杉でできていることにおいて面白みを見出していたようだが、でもそれは家具作りのことを知っている人間にとって面白い話。山田監督にはその面白さはそこまでは伝わらないんじゃないかと思い、折りたたみにこだわることなく、もっと杉の良さを伝えられるものにした方がいいのではないかと考えなおした。
   
  当初戸高さんを思い起こした時の戸高さんの作っている杉チェアをベースにしてアレンジして行くことを提案し、そんなやり取りをしながら和田さんも方向転換してくれた。そもそも撮影所を中心に使うのであれば、特に折りたたむ必要も無いし、ロケに持って行くにもスタッフがちゃんといるし・・・といった前向きな解釈で、折りたたみ案を捨て、戸高さんの作った杉のアームチェアをベースとしたデザインで行くことになった。その他、脚本入れの事や背もたれのロゴのことなど、具体的なやり取りを重ね、製作に移っていったのは10月に入ってからだったと思う。それから完成直前のチェアの画像が戸高さんから送られて来たのは贈呈式の一週間前くらいのことだった。
   
  まだ座面の布地は張られていないフレームだけの状態だったが、ボクが当初イメージしていた通りのプロポーションになっていた。これは仕上がりが楽しみだ!・・・と言うことで、ボク自身も山田会の上映会に行って、監督への贈呈式に参加することにした。 昨年、この上映会に参加した時も市民と一体となった素晴らしい上映会だと思ったが、今回はさらに感動的だった。上映会の間に設けられた山田監督と倍賞千恵子さんの舞台挨拶の時に、日向市長からサプライズ贈呈式といった風で山田監督用飫肥杉のディレクターチェアが贈られた。
   
  監督は贈られた椅子に座り、「こんなに心のこもった素敵なチェアをもらったのは、ぼくだけだろう。」と語ってくれた。このサプライズプレゼントももちろんそうだが、この山田会の上映会全てが心がこもったもので、参加した市民の皆さんと喜びを分かち合える素晴らしいイベントなのだ。山田洋次監督という日本を代表する映画監督との絆をみんなで喜び合い、感動を共有し、また集うのである。 それにしても、こういう時の和田さんを始めとする山田会の皆さん、日向市の皆さんの手抜きの無さには感服する。
   
  戸高さんはその期待に見事に応えてくれた。贈呈式の後に監督と直にお会いして感動もひとしおだったと思う。監督の戸高さんへの第一声は、「軽い椅子ですね」というものだった。その手触りの柔らかさと軽快さを気に入ってくれていた様子だった。付属品として用意した台本入れの具合いも実際に台本を入れて確かめてみるなど、ご満悦だったように思う。 つくづく日向と言うのは杉をネタに人と人の絆を作っていくのがうまいところだと改めて思った。 以下、このサプライズプレゼントを企画した日向市の和田さん、山田監督用のディレクターチェアを製作してくれた戸高さんにそれぞれの想いを書いていただいたのでご覧いただきたい。(ち)
   
 
   
  山田監督への贈り物
 
文/ 和田 康之(山田会)
   
  山田洋次監督の映画を応援する団体「山田会」を映画館のない街日向市に設立して17年経った。その間、山田監督は、上映会だけで10回、「十五才学校W」では念願の日向ロケもあった。映画以外にも、「杉コレクション2008」でも特別審査員として日向市を訪れている。そんな日向市と深い縁ができている山田監督の監督生活50周年をお祝いするプレゼントをすることになった。贈り主は、日向市であるが、山田会で何を贈るか検討してほしい、予算は○万円と、市から依頼があった。いくら監督の好物だからといって、宮崎牛というわけにもいかないよなと思いながら、頭をよぎっていたことがあった。
   
  ぼくら山田会のメンバーは、山田組と言われる山田監督の映画撮影現場に、毎作品訪れている。ちなみに映画の撮影は、ロケーション撮影と、家の中などの撮影所にてのセット撮影の2種類ある。いずれにしても、1シーン、1カット毎にキャメラの位置を変えつつ、数秒〜数十秒という1カット、1カット丁寧に撮影、つなげていき、1本、2時間近くの映画ができるのである。撮影時、山田監督は、通常キャメラのすぐ横にいる。撮影時、いつも座ってばかりはいられないが、監督専用の腰掛イスがある。監督専用といっても、コンパクトでかつスリムな背もたれ部が赤色のビニール地のアルミパイプの折りたたみイスにアルファベットで監督の名がマジックで書かれてあるから、監督専用とわかるのだが。シーンの変わり目、キャメラ、照明のセット替えには、少し時間がかかるのだが、俳優さんは、その間、その場を離れ、撮影所内であればセットの片隅の控えスペースに戻り、俳優同士談笑したり、シナリオを読み返したりしている。監督は、どうしているかというと、もちろんリラックスされている時もあるのだが、時として、椅子に腰かけたまま微動だにせず、次のシーンのシナリオを見つめつつ、最後の最後まで、ベターよりベストを求めて苦しみに耐えているようにさえ見える事もある。そんな悩める山田監督が、撮影中、じっくり腰を落として時として休み、時として熟慮できるイス、つまり、「オリジナルディレクターズチェアー」を贈ることがいいと考えついた。
   
  でもそれを、どこで買えばいいのか、特注するにしても、どこに頼めばいいのか全く検討がつかなかった。そんなことを思っている時、1年ぶりに開催された日向ひょっとこ夏祭りでわざわざ福岡から踊りに駆けつけた千代田健一さんと会った。踊りの合間、千代田さんにディレクターズチェアーを考えているんですけど・・・と切り出すと、「そりゃあ、やっぱり日向の杉でしょう!」と開口一番かえってきた。大分に、腕のいい家具職人も知っているからとも、悩みが一気に吹き飛ぶような返事が返ってきた。そんないきさつがあって、"大分の腕のいい家具職人"戸高さんに頼むことになった。
   
  ディレクターズチェアーは、10月23日の山田監督生活50周年の記念上映会時にサプライズで贈呈することにした。
   
  上映会の山田監督と倍賞千恵子さんの舞台あいさつ時に、日向市長から日向の杉を使ったディレクターズチェアーを贈呈する旨、監督をはじめ観客の皆さんに紹介があった。山田映画ファンが見守るなか、白いシーツで覆われたチェアーを監督と倍賞さんお二人に序幕してもらった。
   
 
  序幕の瞬間
   
  司会者に促され、照れくさそうにチェアーに座る山田監督。 「少し偉くなったみたいですね」とまず一言。 倍賞さんからも「このチェアーを使って、90歳、100歳といつまでも映画を撮り続けて」と祝福されると、会場から惜しみない拍手が贈られた。 そして、チェアーに掛けたままの山田監督から「世界中多くの映画監督がいるなかで、こんな心のこもった素敵なチェアーをもらったのは、ぼくだけだろう。とてもうれしいし、とてもありがたい。映画監督は、座って演出していてはだめだ(動き回っていないといけない)と言われているが、高齢になったことでお許しいただき、次回作からこのチェアーに座って演出するようにしたい。」とお礼を述べられた。
   
  また、後の記者会見で、山田監督は、「大震災以降「絆」という言葉が多く聞かれるようになったが、今日いただいた思いがけない賞(これまでの日向市への貢献に対して日向市から「青の国大賞」として表彰)や、気持ちのこもったプレゼントをいただき、日向市との深い絆を感じずにはいられない。」と語られました。
   
 
  ディレクターズチェアーに腰掛け、「少し偉くなったみたいですね」と語る山田監督
   
  日向杉の香がただようディレクターズチェアーは、早速監督のご自宅へお送りした。今度、撮影所に遊びに行ったとき、山田監督がこのチェアーに座られている姿を見るのが、待ち遠しい。そして、これから撮影所でこのチェアーを見るたびに、山田監督と日向市ひいてはぼくたち山田会との深い絆を感じることを思うと胸が熱くなるのである。そんな想いをもてること、それが、山田監督の描く「幸福」ではないかと今しきりに思う。そんな「幸福」に導いてくれた、千代田さん、戸高さんに心から感謝している。
   
 
   
  ●おまけ
   
  上映会時、もうひとつの山田監督、倍賞さんへのサプライズを用意していた。それは、舞台あいさつの登壇時、お客さんが一斉に、「お帰りなさい」と「おめでとう」の意を込めて、「黄色いハンカチ」を一斉に振ることだった。
   
  昨年の「幸福の黄色いハンカチ」の上映会時、同様なサプライズをして、倍賞さんは、舞台上で感動され、涙を流され、しばらく言葉がでなかった。上映会の終わった後、南雲さんから「映画よかったですね。愛や優しさに満ち溢れていて。思わず、家族に電話してしまいました・・・。」と、感動をそのまま語っていただいた。でもその後、「でも、あの黄色いハンカチ、デザイン悪すぎますよ〜。」と、突き落とされた。映画がよかった分、ぼくが自前でレイアウトして作った黄色いハンカチのデザインの悪さが耐えられなかったようだ。
   
 

今回は、サプライズというよりは、日向のあたたかいお客さんの気持ちを、ストレートに伝えたかった。ましてや、今年それぞれ50周年の節目を迎えられたお祝いの上映会であったので、一層そういった気持ちが強かった。

   
  今回の上映会開催が決まった頃、日向にみえていた南雲さんに「今年も黄色いハンカチ作るんですよ。南雲さん、手伝ってもらえますか?」と、逃げ道のないお願いをした。 「あそこまで、言ったんですから、やります。いいデザインしますよ。」と快諾していただいた。
   
  南雲さんに、ハンカチに掲載してほしい情報、監督50周年のロゴなどをメールでおくり、一安心していたら、思わぬメールがきた。 「昨年のハンカチは、化繊でしたよね。やっぱり木綿じゃないと・・・。」こちらの予算の皮算用は、お構いなしである。(もちろん、予算が上がることは承知のうえで、南雲さんも言われていることはわかっているし、作るからにはという南雲さんの想いも伝わっていいるのだが、・・・)
   
  結局赤字も覚悟しつつ、昨年試行錯誤して作った市内の織物屋にキャンセルをして、東京のメーカーで作ることにした。南雲さんのデザイン、文字の大きさ、四つ折りにして開場時に観客に配布する際の並べ方、見せ方まで含めたハンカチレイアウトを実現するには、より高度な技術をもつ専門業者に頼むしかなかった。 最後は、黄色の色選定についても南雲さんと入稿締め切り間際に、一言では語れないやりとりがあったことも付け加える。 結果、すばらしい黄色いハンカチができた。
   
  お客さんは、入場時思わぬプレゼントをもらい、映画で涙をふき、歓迎・お祝いでハンカチを振り、そして、大切にお持ち帰りになっていた。(片付け時の場内には1個も残っていなかった。)
   
  東京にいる山田組スタッフは、松竹社内や、新作撮影時に集まるスタッフなどに、日向発の黄色いハンカチの普及活動をすると持ちかけ、約束してくれた。
   
  黄色いハンカチは、こだわって1000枚以上特注して作ってもただ経費がかかるだけである。経費面からすると、決して余裕がある訳でもなく、配らなくても上映会は十分に成立する。お役人が好きな"費用対効果"からすると、一発で、事業仕分け対象となり、それこそ"事業廃止"は当確のシロモノである。
   
  でも、違うのである。それは、明言できる。やるとやらないのでは、お客さんの気持ちの一体感の形成でも歴然の差がでるのである。この記念すべき上映会にて、黄色いハンカチをみんなで一緒に振って、心をこめてお祝いしよう、歓迎しよう、そんな気持ちを共有することは、とても大切なのだ。映画を観るというのは、ひとつ屋根の下の空間で笑いや感動を共有するということである。いってみれば、空気だ。また、このハンカチ素敵だと思うことは、黄色いハンカチを振るエネルギーにも影響するだろう。
   
  デザインの素人が言うのもなんだが、デザインというのは、そういうものではないかと思う。見た目の良し悪しは、それは誰だってださいデザインより、格好よく、スマートなものがいいと思っている。でもそれは、テクニックのある人がやればいい。テクニックがあって、器用な人がいいデザイナーかといえば、ぼくはそうは思わない。不器用であっても、気持ちのこもったデザインをする人、人の気持ちを表現できる人が、一流だと思う。大事なのは、デザインの奥にある人の想いを共有でき、その想いを想像し、それを表現することができるかである。そう、つくづく思う。今ぼくは、部屋に飾っている「黄色いハンカチ」を眺めながら、そんな数少ない一流に出会えたことを、感謝し、「黄色いハンカチ」をデザインしてもらったことを誇りに思っているのである。
 
 
     
 
  南雲氏デザインの黄色い木綿のハンカチーフ
   
   
  ●<わだ・やすゆき> 山田会
   
   
 
   
  山田監督の杉の椅子
 
文/ 戸高 晋輔(TODAKA WOOD STUDIO)
   
  8月中旬、千代田さんから電話があり、「宮崎の日向市で10月に映画祭がりますが、そこで山田洋次監督に記念品を贈りたいんだけど、日向杉をつかってディレクターズチェアーができますか?」という問い合わせがありました。 「出来ると思います。」と答えたところからこの仕事はスタートしました。しかし実は「たぶん出来る」が本音でした。 というのは、フルオーダーの仕事の場合の多くがそうですが、基本的にはやってみなければわからないことも多く(構造、デザインのまとまり)、調べて、考えて作りすすめるというのが私の仕事のスタイルです。 今回の課題は杉という素材でした。 堅木に比べてやわらかい、節が多いなど家具としては欠点となる要素が多い素材ですが、昔から日本の家の中はまさにスギダラケ。 もっと身近に杉の家具があっていいのではないか、と数年前から個人的に興味をもって積極的に取り組んでいた杉家具だったので、この仕事も良い機会だと思えました。
   
  千代田さん、日向の和田さんとやり取りしながらアイデアが出て、図面が決まったのが9月末、すぐに製作の段取りに入りました。 日向の海野さんに材を手配していただき、レーザー印字を大分市の志村製材所の三宮さんにお願いし、その間こちらは試作、そして本製作 。
   
  杉のデイレクターズチェアー(監督が座らなければただのアームチェアーですが、名前が入り監督が座ればディレクターズチェアーかな)は千代田さん和田さんとのやり取りの中で、当初イメージしていたいわゆる折りたためるディレクターズチェアーとは違うものになりましたが、お二人の言葉でより私らしいデザインの椅子をつらせていただけることになりました。
   
  いつもフルオーダーの時に感じることですが、この製作前のやり取りが一人で家具をつくっている私にとって違う視点、ヒントをもらい仕事の幅を広げてもらい、そしてそれがフルオーダー楽しみとなっています。和田さんに日向出会った時「今回杉で作る時どこが大変でしたか?」と聞かれてすぐに返事ができず考え込んでしまいました。 そして気がついたことは難しい部分は多少ありますが、大変だと感じることはほとんどないということです。 あってもすぐに忘れてしまします。 ただ不安はあります。「この仕事に求められたことに答えられただろうか?」と。 今回の場合具体的には 贈り主、贈り先に気に入ってもらえるだろうか? 使う人にとって座り心地はいいだろうか?(個人的な体格によって座り心地が違ってきますし好みもあります。) 強度は十分か? などです。
   
  製作の多くの時間はその不安を取り除くためにつかいますが、フルオーダーの一品生産の場合その不安が最後まで残ります。 今でもその不安はありますが、気に入ってもらったことを信じて、壊れないことを祈ってます。 (経験上では壊れません。)
   
  当初、山田洋次監督への贈り物ということはあまり考えないようにしていました。 肩に力がはいりすぎないように、また職人として使い手によって力の入れ方が違ってくるのはどうなのかなど かたく考えていたのです。 しかし、千代田さん和田さんとのやり取りを通して素直に山田監督の作る映画の大ファンの一人としてこの機会を楽しもうという考えに変わりました。 椅子納品の日、和田さんに映画祭に誘っていただき、自分の作った椅子が監督に贈られる現場に立ち会って、初めて今回の仕事を実感した次第です。 その後、楽屋で山田監督に椅子製作者として紹介していただいたときは正直本当にうれしかったです。
   
 
ふだんは作り手というのは裏方に徹するものだと思っているのですが、和田さんはそんなことを意識しないように紹介してくれて、その心遣いがうれしくて、またそれが自然にできる和田さんと山田会だからこそこんな映画祭ができるんだと納得しました。 たった一脚の椅子ですが、色々な方たちとの出会いがあり私にとって忘れられない仕事となりました。 本当にとても心地よい映画祭でした。  
   
   
  ●<とだか・しんすけ> TODAKA WOOD STUDIO代表
   
   
 
   
   
  ●<ちよだ・けんいち> インハウス・インテリアデザイナー
株式会社パワープレイス所属。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部広報宣伝部長
『スギダラな人々探訪』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_chiyo.htm
『スギダラな人々探訪2』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_chiyo2.htm
   
 
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