連載
  スギダラな一生/第45笑「結婚おめでとう」
文/ 若杉浩一
   
 
めずらしく、2つの原稿である。いつもは、遅れ遅れなのに、何故か早めに書いている。鹿沼メンバーの原稿が暑苦しく、素早いので、負けていられないという事だけなのだが、あおられて書いてしまっている。やっぱり一人ではなかなか生きて行けないものである。
   
  僕の実家の天草は、町そのものが家族のような存在だった。小さい頃から、隣の魚屋のおじさん、おばさんに面倒を見てもらい、肉屋のおばさんの家には入り浸り、家族の兄さんや、姉さんには弟のようにかわいがってもらった。だから、社会人になってから、帰省するときのお土産の数が半端ではない。未だに、このおっさんが「こいちゃん」である。こんなことだから、もう親戚は、家族通り越して暑苦しいぐらいの、熱の籠った社会だった。夏休みや、春休み、冬休みともなれば、集団合宿。いとこ同士で共同生活、農作業や山仕事の手伝いだった。僕なんか、下っ端のほうだったから、ずっと、うだつが上がらなかった。それが、何となく嫌で、故郷を抜け出し、高校から一人、自由奔放に生きてきた。金こそ無いが、この自由が、涼しい風が好きだった。好きな事にうつつを抜かし、家族に心配と迷惑ばかりかけ、僕は一人で生きていけると過信していた。
   
  しかし、大学を卒業し、企業という組織に所属するようになって、経済と仕事だけで繋がれた、寒々しい、仮想空間の中に入って。何かの違和感とともに、僕は本当に一人で生きて行かなければならないと改めて自覚した。どうせ一人ぼっちだった。 会社からすると有るかどうかもわからないデザインという3人のチームの下っ端が、何をしているのかを組織や会社は知る由もなく、いやそれどころか、下手すればこのままずっと、養分を吸い上げられる恐怖さえ感じた。
   
  「ぜって〜抜け出てやる。」そう思い、ただひたすら、腕を磨くことに専念した。それしか、解決方法が思いつかないし、唯一の会社との細いつながりだったからだ。しかし所詮ひとりぼっち、やれども、やれども叶わない、砂漠のようない日々だった。多勢にはかなわない、数少ないメンバーで徒党を組んでも、あっという間につぶされる。そして、また一人ぼっちになる。
   
  何のためにそんな事を思い、事を起こしたのか?もう少し賢くて、バランスが取れれば、うまく世を渡れれば良かったのだが、何かが許さなかった。違和感が埋まらない。それからというもの、形が出来れば壊され、うまく行けば奪われ、また一人ぼっちになる人生をくり返している。経済という搾取構造。このままじゃ、モノを作ることが生き甲斐である、小さいデザインや技術なんて、一生、いや未来永劫うだつがあららない、そう思った。 一人、思い込みの、勝手な戦いである。お陰で、一緒にやってきたメンバーには、本当に迷惑ばかりかけている。
   
  新しいモノづくり、創造、クリエイティブは「孤独と恐怖」との戦いである。遠くにあるもの、ほんの少しの光や可能性に思いを馳せ、闇の中を一人で歩くようなものである。そしてこれが大きな投資や、大きなプロジェクトになればなるほど、様々な周りのプレッシャーや皆の恐れを背負わなければならない。少しでも自分の恐れを見せたら、少しづつ全体が崩れていくのである。この恐怖との戦い、いつも多勢に無勢、うまく行けば、搾取され、失敗だと責任を負わされるはめになる。
   
  少しでも賢くなって、動きを眺めて、上司と連絡だけ密に取って、したたかに、搾取する方に回れれば良いのだが、自分の中の違和感が許してくれないのだ。いや、それどころか、僕の中のこのマグマのような怒りは増す一方なのだ。
   
  しかしその、固くて熱いものがある時から崩れ始めた。
   
  それは、スギダラを始めてからの、沢山の出会いだった。会社の仕事や利害関係のまったく関係のない沢山の人と出会い、地域に行っては、沢山の素晴らしい人たちと繋がっていくなかで、僕の中の「一人ボッチで生きて行く力」がことごとく崩れはじめたのだ。そして、もう今や、ぼろぼろに崩れ去ってしまっている。それは、大きな力を持った人たち、そして、ささやかな美しい日常を送る人たち、若い小さな力が、繋がり、信じ合い、お互いに感謝し合い、そして喜び合う姿を目の当たりにし、僕のかたくなな、怒りに近い感情や違和感がぼろぼろになり、自分の中からちっぽけで恥ずかしい、「一人では生きて行けない自分」が露になったからだ。
   
  そして、ちっぽけな自分が受け入れられる喜びを知り、怒りと、騙されまいとする力が薄れていき、少しずつ、少しずつ、人を受け入れる事が出来るようになった。 そして、とても安らかで、美しくて、気づかなかった、あたりまえの魅力が見え始めた。 一人では生きていけない力、そして支え合う力、信じる力、感謝の気持ち。
   
  経済活動で重要な事、一人で生きていく力、最先端、勝ち抜く力、システムの力。それとは縁遠い、あたりまえで、簡単で、原始的で、そして難しいこと。どうやら、そんな事が、とても大切だったと気づいた。そして、そんな事が、心を動かし、人を動かし未来を動かすような気がするのだ。どうせ、一人では生まれようがなかった、そして、沢山の人に支えられ、もはや、ことさら、どんどん沢山の人に支えられている。
   
  「一人では生きていけない力」その事には沢山の意味と本質が潜んでいる。デザインはその本質と向かい合わなければならないような気がするのである。 そして、経済活動にありながら経済活動の根源を探らなければならない。 難しいマーケティングや、予測、調査も重要だが、その未来を作るのは我々自身の心なのだ。
   
  何を思い、何を感じ、何を大切にしていくべきなのか。大切な瞬間、空間、人を思い、原始的で難しい事を自分自身に問わなければならない。 そして伝えていかなければならない。
   
  よかった、本当によかった、一人では生きていけない二人が結ばれ、一人では生きていけない事を喜び、皆がつながっていく。そして、真直ぐ、真直ぐ生きていく。どんどん、支えられ、支える事を喜び合い、二人の人生が、皆の喜びになっていく。暗雲立ちこめる社会、高度な社会システムの未来、ろくでもない事や、あり得もしない現実感が襲ってくるかもしれない。
   
  しかしその社会を善くも悪くもするのは、我々自身である。 一人で生きてはいけない、一人だと思わない方がいい、共に生きて共に支え合うべきだ。
   
  有馬君、まるちゃん。とびっきり、皆から好かれるこの二人は、まぎれもなく、沢山の人に支えられる、とびっきりの「一人では生きていけない二人だ」
   
  良かった〜巡り会って。一人では生きていけないことに気づいた。
   
  良かった〜まるちゃんがいて。支える人が倍になった。
   
  良かった〜二人になって。支え合う喜びができた。
   
  そして、みんなの喜びに広がった。
   
  おめでとう!!
   
   
  有馬君の結婚を祝って。そして場もわきまえず、最後まで飲んだくれていた、南雲さんと僕から謝罪の気持ちを込めて。
   
 
  スピーチをする南雲さんと若杉さん(写真:佐藤 薫)
 
 
スピーチの準備で忙しい若杉さん(写真:南雲 勝志)   披露宴での有馬夫妻(写真:南雲 勝志)
   
  おまけ
   
  毎年恒例の、木青会主催大抽選会の1000円くじを3つ購入して、3つとも景品が当たった、強運の若杉さん。オーブンレンジと電気シェーバーは、結婚祝いに有馬夫妻にプレゼント!!もうひとつのティファールのケトルは下妻夫妻へ。
   
  有馬夫妻より、早速喜びの声を写真付きでいただきました。
   
 
 
ほかほか   こんなにすべすべ
   
  この他にも、某企業の抽選でヘアアイロンや東京モーターショーの特別招待券も当ててしまった若杉。「なんか今年めちゃくちゃ当たるんだよ!!」と、本人。同じ当たるでも車には気をつけてくださいね〜。…車が凹んじゃいますからw
   
  さぁ、何か願い事や、叶えたいことがある方は、若杉大明神が祀られている【内田洋行大社】まで足を運んでみてください!!日比谷線『八丁堀駅』より徒歩5分です!       
   
 
  若杉大明神の念がこもったミニ神棚  〜1個 1,500円にて販売中〜
   
  (月刊杉編集部)
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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