特集 「だっこのいす」プロジェクト  
  すばらしい仲間に支えられて “覚悟と勇気”
文/写真 海野洋光
   
 
 
   だっこのいすを東北、野田村へ送るプロジェクトを終えて、自分が感動した体験談を書くことは控えようと思った。多分、多くの人が語り、十分読者にも伝わるだろうから、それはそれで、参加したメンバーがすばらしいものを書いてくれるだろう。野田村へ行く新幹線の中で南雲さんにも「月刊杉には、別の視点で書きます」と言っておいた。
   
   昨年11月中旬ころ、大分駅鉄道神社の現場でコーヒーを飲みながら、大分の木青会が被災地に東屋を寄贈する話を三宮康司君(来年度九州地区の木青会会長に就任予定)から聞いた。「さすがは、大分木青会!復興の第一歩は、公園整備から…。目の付け所が違う!!」と私は、感動した。とある木材業界や県は、木造の仮設住宅などを送ることはできないかと被災地に働きかけているらしいが、そうではなく、被災地の公園に東屋をすばやく建設することに大きな意義がある。信頼できる真のリーダーは、次の一手をすばやく打つことのできる人。やはり、次年度会長ふさわしい人間だった。
   
   公園整備がなぜ、急務なのか?道路や橋、港の整備よりも優先順位がなぜ高いのか?それは、公園が住民の一番身近な避難地になるからだ。また、襲うかもしれない地震や津波に対して、公園を再整備することによって避難地の機能確保ができる最重要事項なのだ。「もう、こない」なんて誰にもいえない。そして何よりも子どもたちや高齢者に安心できる場所を作り出す。大分木青会の事業には、本当に感動した。詳しく聞くと大分県と連携して大分木青会の復興活動を支援する独自の事業らしい。木青会と県との連携もすばらしい。
   
   このすばらしい復興支援活動であるが、一番気をつけなければならないのは、地元の意向だ。ボランティアや復興支援事業の中で、事業自体が自己満足や押し付けのようなものであってはならない、と常々感じる。本当に被災地のためになるのか?本当に受け入れてくれるのか?「だっこのいすを東北へ送るプロジェクト」を控えた私の疑問はこの一点に集中した。幸い東北には、日本木材青壮年会団体連合会会長を二度務めた岩手県の日當和孝さんがいる。大分木青会は、この絆を最大限使っていた。全国組織の日木青のすばらしいところだ。全国いたるところに仲間がいる。日當さん自身の会社も被災しているにも拘らず、惜しみない協力をしていただいたらしい。話を聞き、頭の下がる思いだった。
   
   12月初旬、プロジェクト事務局長 井上康志さんからメールが入った。
   
  余談ですが、12/23(金)〜26(月)くらいで、野田村(泊)→大船渡(泊)→陸前高田(泊)へ 行ってこようと考えています。陸前高田は宮崎県川南町の軽トラ市を真似て25日に復興イベントをやりたいそうなので、応援です。宿や行程で助言等があれば、お願いします。混むかなあ・・・
 
事務局 井上
   
   という内容だった。井上さんは、宮崎県日向土木事務所の所長である。日向土木事務所は、宮崎県内でも最大の範囲と予算を抱える大所帯である。そこの所長が、プライベートで「軽トラ市の手伝い」と「だっこのいす」のために先遣隊として野田村へ下見に行くというのだ。この人の行動力は、並々ならぬものがある。のちに、その時の井上さんの講演会を聞いたが、この被災地クリスマス行脚で何かをつかんできたようだった。メールを読み、すぐさま、日當さんに連絡をとった。覚えてくれているだろうか?「あ〜の、宮崎の海野です」「あっ!杉コレの海野さん」明るい元気な声がした。その明るい声に勇気づけられ、一気にプロジェクトの内容と井上さんの先遣隊の話をした。日當さんには、杉コレの応援だけでなく、高千穂通りのT−テラスでもお世話になり、日木青と(株)内田洋行を結びつけていただいた人でもある。私は、いつも、お願いする(人に頼る)人間なんだなあと思ってしまう。日當さんは、快く引き受けたくれた。そして、先遣隊の井上さんから得た生の情報は、プロジェクト自体に勇気と希望をもたらした。
   
   話をプロジェクトの立ち上がりの前に戻そう。11月の杉コレの懇親会が終了して、日向市役所の和田康之さんが、私に耳打ちした「あの小学生のプレゼン、すごかったですよね。感動しました」杉コレを無事終えていた、私の返事は、「はあ?」と多分生ぬるい返事だった思う。和田さんは、「富高小学校の移動式夢空間」の事業からの付き合いだ。この人の敏感な感性のアンテナは、天下逸品で日向市の宝なのだ。そのアンテナに何か感じるモノが引っ掛かったのだろう。そのくらいにしか私は、思ってもみなかった。
  そう、はじまりは、この人からだった。
   
   そして、井上さんと和田さんに共通するのが、誰にも止められない素早い行動力だ。杉コレの次の日には、市役所で「内藤廣先生にあの作品を東北へ送るように話をしておきました」続けざまに「すみません。勝手なことしてしまって…」言葉では謝っているようなのだが、まったく反省しているような顔ではない。目が燃えているのだ。判る。十分すぎるほど…。
   
   宮崎木青会の最大のイベント「杉コレクション」が終わって、安堵の美酒に酔いしれているメンバーに、この話は、後日ゆっくり話そうと思った。別に地獄に突き落とすわけではないが、富士山を登って満足している彼らに「次は、エベレストに行くぞ!」と言うようなものだから・・・。
   
   2つの巨大なエンジン(井上・和田)を付けたジェット機のようなプロジェクトの始まりだった。機長は、勿論、内藤先生である。私が、その時の思ったのは、内藤先生は、エンジンしかない飛行機の操縦を任されたパイロットだった。座席もない。積む荷物も、致命的なのは、燃料がないのだ。
   
   「日向は、巻き込むのがうまいよなあ!」と内藤先生は自虐的に言うが…。いや、もうやめておこう。たぶん、好きなのだろう。
そして、数日が過ぎた。
内藤事務所の小田切美和さんからメールが、届いた。
   
  みなさま
一昨日は、急なご連絡にも関わらず早々にご協力頂きまして、ありがとうございました。
先程、野田村より内藤が戻って参り、短く報告を受けましたので、取り急ぎ、ご連絡いたします。まず、安田さんの作品と文章をお読みになり、小田村長は大変感激されていたそうです。内藤としては、安田さんと作品を野田村にお連れしたいという思いが一層強くなったそうで、なんとか実現したいとのことでした。
費用については、方法がなければ内藤が用意しますのでご心配なくとのこと。
作品を現地に持って行ける時期や、安田さんのご両親とのコンタクトなど、具体的に動いていきたいとのことでした。
以降、具体的にどなたと進めて行ってよい話かわからないのでみなさま宛てにご連絡させていただきました。他の審査委員の皆様にもご報告が必要でしょうし、作品の管理のこともあるので杉コレの事務局には少々ご協力頂くことになるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。取り急ぎのご報告となりますが、引き続き、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
   
   日付は、11月18日、杉コレが終了して内藤先生は、4日後には、野田村へ行って小田村長にプレゼンテーションの原稿を手渡しているのだ。1週間でこの結果だ。
   
   すぐに関係者が集まった。当然、内藤先生に費用を負担していただくわけにはいかない。ではどうするのか?概算でも数十万円は掛る。井上さんが「費用は何とかなる。まず、動こう」と発案した。確かに費用よりいくつかの問題を解決しなければならない。
  (しかし、県の何百億円の事業費を任されている土木事務所の所長とは思えない井上さんらしい発言だ)安田さん本人が行きたいのか?また、行けるのか?グランプリ作品は、展示されることが決まっている。新しい作品を作るのか?作品の所有権などの杉コレクションとの関連を整理しなければならない。野田村へどのような形で送るのか?山積みされている問題を明確にしてクリアーしていく作業だ。
打ち合わせる有志
   
   プロジェクトを飛行機に例えたが、飛行機には大切なことが、2つある。ひとつは、推進力だ。飛行機で一番力が必要な時は、離陸時だそうだ。そして、車輪。この時点では、このプロジェクトには、まだ二つとも備わっていなかった。誰かがやらなければならない。話が煮詰まってきた時、どうしても費用(燃料)の問題にぶつかった。寄付を募って目標に集まらなかったら、どうする?ここで、日向市の松田課長がとうとう、口火を切った。「ここの集まった仲間で出せばいいじゃないか!!足らなくてもやる」今回のプロジェクトに必要なものは、「覚悟」という推進力だった。
   
   飛行機の車輪は、あまり、重要でない部品のように思える。飛行中は使わないし…。しかし、離陸時と着陸時になくてはならない部品だ。プロジェクトとは一見、関係の薄い作業がいくつかあった。市長への表敬訪問、出発式、市役所での作品の展示、教育委員会への連絡、小学校への理解などである。飛行機本体への衝撃を緩和する役目だ。車輪の役割には、寺原課長を中心に市役所の方が担っていただいた。
   
   寄付を募る時点で驚くべきことが分かった。先遣隊で野田村に行った井上さんは、日當さんと意気投合して、寄付が集まらなかったら、二人で出し合う話までしていたようだ。そんな心配は、スタートして1日、2日で吹き飛んだ。1194名もの方が、賛同していただき、170万円を超える事業費が集まった。
   
  「だっこのいす」を贈呈する日程も2月20日と定まり、スケジュールも次第に明確になって、動きを次第に加速させていた。そんな時、内藤事務所から驚きの一報が・・・。
   
   2月19日は、松山市で基調講演だそうで、今のままでは、東京行きの飛行機に間に合わないらしい。20日の贈呈式に内藤先生は、出席できない?!さあ、大変だ!!分刻みのスケジュールを絞りに絞って、内藤事務所の小田切さんは、何とか前日19日の午後11時に二戸泊を入れ込んでくれた。20日早朝タクシーを飛ばせば、8時の贈呈式には十分間に合う。良かった。愛媛から岩手に行って、翌々日の昼には宮崎??23日には、日向市でデザイン会議、前日は、延岡駅の会議らしい。殺人的スケジュールの中に無理やりこのプロジェクトを組み込む小田切コンピュータ(頭脳)は、どんな構造なのか想像できないくらいすごい!!
   
   機体(木青会)も乗客(安田さん親子)・荷物(だっこのイス)も、燃料もパイロットも全て揃った。あとひとつ、私には、大きな問題を抱えていた。私にとって一番の難問だった。
  それは…。
ここまで熱心にしているのに「なぜ??」
   
   和田さんは、結構、頑固だ。自分の筋をきちんと通す人で、決めたら絶対に変わらない。一番の難問は、「和田さんも野田村へ…」だった。時間を見つけて、市役所へ行く。軽く、ジャブのように「和田さんが野田村に行かなければ、このプロジェクトの意義が薄れる」と説いた。「ダメだ」まるで歯が立たない。主役は「木青会」と決めつけている。自分は裏方で…。メールで何人かの人にも頼んでみたが、一向に行く気配はない。
   
   そんな時、朗報が!!南雲さんが急きょ、日向にやってくるらしい。奈良県吉野町の視察団が、宮崎県の綾町と日南市にやってきて、日南で飲んでいるときに「なぜ、宮崎に来て日南と綾なのか!」吉野町議の中井章太さんに南雲さんが喰ってかかったらしい。「日向に来て、和田さんや海野に遭わないでどうする」と言ったとか言わないとか。とにかく、タイミングが良い。不二カツで和田さんと南雲さん、中井さんを一緒に食事をした。そのほとんどは、だっこのイスの話で南雲さんに「和田さんが行かないって言うんですよ」と本人の前で告げ口をした。南雲さんは猛烈に「和田さんは行かきゃだめだよ!」と迫った。最後は、もう脅しだった。「内藤先生にお願いするから…」とうとう、和田さんも堪え切れなくなって「上司と相談してみます」の一言。私は、心の中で「やった!!」と叫んだ。とんかつを食べるためだけに吉野からわざわざ来ていただいた中井さんには申し訳なく、夜のトンちゃんや木の芽会のメンバーとの顔合わせ、小さな宴をセッティングさせていただいた。(詳しくは、先月号の連載に。)
   
   和田さん自身は、被災地へは、いつか、自費で行くことを考えていたのだろう。だっこのいすのプロジェクトと混同したくなかったのだろうか?いろいろ考えたが、このプロジェクトは和田さんが行かなければと言う私の想いも一途だった。松田課長の英断で休みの許可を頂いたあとも、プロジェクト本隊ではなく、支援隊として自腹で行くこと、私も同行すること、出来る限り公共交通を使うのも条件付きだった。南雲さんが「二戸からレンタカーで行こう」と言うのも、バスに変更した。この堅さが好きだ。  
とうとう、二戸駅に着いた和田さん
   
   長々と書いたが、このプロジェクトは、次の目的地に進もうとしている。機体が変わっても想いは、決して変わることはないだろう。そして、どんどん大きくなっていく。
改めて、「日向って巻き込むのがうまいよなあ」
   
   
  「だっこのいす」製作時のTV取材    「だっこのいす」出発式
   
  「だっこのいす」に座った野田村の小学生「ほっ」   内藤先生「日向は、巻き込むのがうまいよなあ!」
   
   
   
   
  ●<うみの・ひろみつ>木材コンシェルジュ
ほぼ、毎日更新しています。ブログ「海杉 木材コンシェルジュ」 http://blog.goo.ne.jp/umisugi/
2009年3月31日をもって、日向木の芽会 を卒業しました。
海野建設株式会社 代表取締役 / HN :海杉
『杉で仕掛ける』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_umi.htm
   
 
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