連載
  スギダラな一生/第52笑 「出会うということ」
文/ 若杉浩一
   
 
 
  旭川との出会い、それは僕が、まだ30代の頃、丁度家具のデザインに目覚めた時期だった。家具に対して興味が募り、単身、インテリアデザインセンターの取引があった旭川へ乗り込んだ。マイスターであり、創設者の長原さんに会ってみたい、工場を見てみたいと思いイベントにかこつけて行った。丁度、日本大学旭川校に家具の歴史、コレクションでは著名な織田さんが先生になられていた。
   
  僕は木工家具の現場と北欧家具の様々なコレクション、そして織田さんの資料を食い入るように見て回った。当時僕は、家具に狂っていたので旭川の実態を知りたくてしようがなかった。旭川の家具産業は輸出もする程の力を持ち、加工能力、デザインとの融合ではピカイチだった。 ただ、ただ、差別化も何もない、デザインのない自分の会社へ対する不満と憤り、そして旭川の素晴らしいデザインへの憧れを持っていたことを思い出す。 世界に通ずるデザイン、モノづくりを見た気がした。
   
  そして、もう一つ、僕は独身時代に出会った焦がれの人がいた。当時日本ペイントに努めていたデザイナー木下(現、前田)さんである。お世話になっていた東京芸大の先生との繋がりで、出会った僕は、すっかり参ってしまった。 しかし、本当に残念なことに、しばらくして、結婚するということ、会社を辞めて、北海道に行くということだけを知った。この儚い、誰にも伝えられない思いを僕は、酒にぶつけたことを思い出す。 そして、20年の月日が経ち、南雲さんと旭川で針葉樹の可能性を喋ってくれとの、漠然とし感じだけで、旭川を訪れたのであった。
   
  そして、そして、旭川で20年前の3つの出来事が、一つになった。 ほんとうにびっくりした、いや憧れの方々に次々に出会ったしまった。 全く奇妙な縁である。いつもの、意味不明な盛り上がりの中で、20年前に遡ってしまったのだ。 何かの力が働いている。一度通り過ぎた道にまた戻ってきた。そんな気がしたのだ。しかも針葉樹という当時思いもしない道筋からだ。 考えてみれば、日本を代表する家具産地、しかも海外に通ずるデザインセンスとモノづくりを実践してきた地域だ。手作りから工業化、そして流通を切り開いてきた、地盤はしっかりしている。そして一方でカラマツ、トドマツ等の針葉樹の産地でもあった。しかし、元々家具と言えば広葉樹、ナラ、ブナを主とした堅木を加工しモダン家具を生産し、むしろ針葉樹など対象ではなかった。だから針葉樹は、年数が経った木でも、そう出なくても梱包用材(木箱)か土木用材にしか使われていなかった。 月日が流れ、家具のユーザーや市場も変化し、そしてこの二つの出会いのイベントへ僕らが呼ばれたのであった。
   
  旭川の技術、そして針葉樹、そして問題意識の高い行政のメンバー。素材としては全てが整っているのだ。何も問題はない、むしろ恵まれている。 大抵の地域はそうはいかない、何かが欠ける。技術があり、素材が豊富でも、行政の意識が低かったり、流通と繋がってなかったり。はたまた、行政が元気でも製品にする力が、弱かったりと、続くけていく基盤が整ってないのだ。 しかし、旭川は違う。うまく行かないはずがないのだ。いかないとすれば、始めての出会いなので、どうすればいいのか解らないだけなのだ。 まるで、若かりし日の僕の木下さんへの想いのようだ。
   
  こりゃ、面白い!!全国の成功へのモデルが横たわっている。
「若ちゃん、面白いね。こりゃ、何かが起こるぜ!!」
「起こりますよ、南雲さん、さあ何からやりますか?」
「そうさね〜〜、先ずはムードを作ろう!!だいたい真面目でいかん。相談相談!!」

そんな流れで、針葉組合が生まれたのだ。

「南雲さん、針葉組合一つでいきなりステージに上がっても、どん引きです。もう一寸仕込みましょう!」 「何にする?」
「う〜〜ん、針葉手形つくるとか?」
「ほんじゃ、それを預かる針葉金庫!!」
「それいい!!」
「よし、決まった。」
「みなさ〜〜ん!!」
「旭川の針葉樹の問題、すなわち針葉問題を解決する、針葉組合設立!!」
「針葉組合では針葉手形を発行します。それを預かる針葉金庫!!」
「皆さん、明るく楽しく自ら針葉問題を解決しましょう!!」
「針!!葉!!樹!!」

   

そうこうしてして生まれた針葉樹3本締め。
画像をクリックしてご覧下さい。

撮影:石河周平 (北林産試利用部)

   
  こんな感じである。この間僅か3分程。お互いに何が足りないかを感じあうセンスとアホなことを思いつくスピードは修練されてる。 これも、20年程の付き合いで磨かれてきたものである。 南雲さんと出会いで、僕は随分変わった。 売れれば、競合の真似を当たり前のようにする企業とデザインのズレに憤り、一方で素晴らしい世のデザインに恋いこがれ、結果、デザインを首になり。行きどころのないエネルギーで心はササクレていた。 何も役に立たない自分に憤り、自分の力を嘆き、目の前に広がる広大な空間にただ立ちすくんでいるだけだった。 その時は南雲勝志の、素晴らしいデザイン、大らかな眼差し、オープンで豊かで、とても素敵な世界を遠くから見るだけだった。 完全に会社の前線から外れた僕が、自然に仕事を一緒に出来るようになるまで5年程の歳月がかかった。その最初の仕事で彼は今までのデザインと一線を画し、スギの角材を使った「台スギ」なる概ねデザインを放棄したような家具をデザインした。最初は何のことか解らなかった。 しかし仲良くなり、一緒に出した展覧会で「スギ太」に出会った。 モヤモヤしていた頭がすっきりした。 そして何かが見えた。 その瞬間、体がガクガク振るえ、汁が溢れ出た。そして決心した。
   
  それからは、ご存知のように、今に、真直ぐ繋がっている。 その先に、今が見えていたのか? いや見えてなかった。 何も見えちゃいない、ここでいいと思っただけだ。 そのお陰で、僕は数々の苦労をメンバーに背負わせ、ついにまた、首になり、メンバー共々出向になってしまった。 一方、何雲さんも、あれから家具のデザインより何より、スギという魂に向かい、地域やまち、そして未来というデザインに向かって真直ぐだ。 もはやデザイナーとは、世間は言わないかもしれない新たな存在になってしまっている。
   
  「若ちゃん、俺達さ〜、このまま何処行くんだろうね?」
「そうですね〜〜、僕も解りません。ただね〜迷いはないんですよ。いや、余計にはっきりしてきた。」
「僕もだよ!!たださ〜〜、こんなことやってるとさ〜困るのはさ〜〜」
「お・か・ね!!ですよね〜〜」
「そうそう!!カッコ悪いよな〜」
「そうね〜〜。しかしね、やめられないもんね。」
「しかし南雲さん、俺はやるつもりです、全部。仲間がいるし、仲間の夢が詰まってるんですよ。やめる訳に行かないし、行きついた先を見てみたいんですよ。向こうをね」
「そうだよな、お互いね。行き倒れないよう頑張ろうな!!」
「南雲さんこそ、一人ぽっちで飲んじゃだめですよ。」

こんな感じ、何時もギリギリ、さっぱり安定感がないのだ。 こんな人生いつまで続けるんだろう? 「出会い」って恐ろしいものだ。
   
  「出会い」「出会う」度に思うこと。 自分の行方を変えてしまう程の、いや行く先が見えなくなる程の危うさが存在し、同時に、その先に微かに見える未体への喜びが存在する。 どちらを優先させるのか?  前者を思えば出会いは、今の自分の連続になり。 後者を思えば、未来への自分に繋がる。 どちらも自分に違いない。しかし最近思うのは、自分を決めるものはどうやら、自分でないような気もするのである。何かに導かれているような気がするのである。この旭川がそうである。可能性に満ちあふれた旭川と針葉樹、そして僕たち。この出会いの先に何が存在するのか?考えただけでドキドキする。確実に、手に取れそうな何かがある。 その正体は解らないが、この旭川の出会いが未来への糸口になれるよう、僕たちも関わって行きたいと思うのである。 この針葉組合が、新しい未来を、支えあい、信用しあえる社会を作り上げることを期待してやまない。
   
  旭川の皆さん、そして取り仕切ってくれた名畑君へ感謝の気持ちを込めて。
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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