特集 天草高浜フィールドワーク2012
  スギダラな一生/第53笑 「天草」
文/ 若杉浩一
   
 
昨年に引き続き、今年も訪れた、いや帰った。そして今年は、我が息子「幹太」を連れて行った。息子は、僕がデザインを首になり、ヤサグレ、荒くれ、デザインに枯渇し意味不明でやればやる程、会社から叩かれる時期に生まれた。 自分の仕事ではなく、デザインの子会社の親分に頼み込んで、もらった仕事を毎夜、毎夜やっては、ギリギリ自分の存在を確認していた。従って殆ど寝ていない日々だった。そんな仕事のお客様へのプレゼン最中に生まれた。僕はその仕事で、お客様に可愛がられていたので、お客さんから「おめでとう、早く帰れ!!」と祝福された記憶がある。そんなことだから、弟が生まれる間際の5歳の長女は、僕が遅く帰っても、疲労困憊して相手にしなくても、寂しいとも、悲しいとも言わなかった。きっとそれよりも鬼気迫った親父の方が恐ろしかったのだろう。
   
  長女とは、沢山遊んだし、旅行や色々なことをした。二人で朝早く自転車に乗り、歌を歌いながら散歩していた。 しかし息子の時は何もしていない、いやできる余裕がなかった、ダメになりそうな自分との戦いでギリギリだったからだ。 とにかく気持ちとして、片時もデザインから離れられなかった。 だから、僕と二人きりで風呂に入ると、居たたまれない息子はよく「おか〜〜さ〜〜ん」と泣いていた。正直、そのくらい、息子には何もしていない。
   
  まったくダメダメな親父なのである。世間の親父のこれっぽっちも、していない。息子が小学生の頃、僕は、二人で風呂に入るたびに、世の中の理屈や、理不尽さ、そして生きるということを語った。もはや子供に聞かせる話ではない。ただ、自分を勇気づけているだけだ。ある時、学校の作文できっと両親の話を書きなさいというテーマだったのだろう、作文を見せてもらったことがあった。作文の大半が母親の話だった。最後の一文に「僕のお父さんは何でも知っています、いつも凄い話をしてくれます。」だけだった。
   
  僕は400字詰め分の30字の存在である。 果してその凄い話は何だったのか?僕も本人未だに覚えていない。 しかし、この小さい子供は僕の聞き手になり、そしてきっとお父さんは、凄いんだと思い込んでくれていた訳だ、泣けるではないか。
   
  この僕は、息子が虐められ、参っている時にだって 「お前、そりゃ面白い!!あのな、人の不幸って本当は、面白いんだ。お笑いを見てみろ、人に笑ってもらえるために面白い体験や、笑える程、不幸な目に遭うんだ。普通の幸せなんか、面白くも何ともない。だって皆同じだろ?人の幸せがドラマになるか?映画になるか?ならんだろう。皆が体験できねえ、ひで〜え感じが、話のネタになるんだ、ドラマになるんだ。だからな、お前、今だ、今だぜ、今が、お前のネタが生まれている瞬間だ。こりゃ、すげーぞ、もっと話せ、話してみろ、おもれえから。」 と笑い飛ばした。 息子は、きっとこの人に話してもダメだと思ったに違いない。
   
  この僕は、息子が高校を退学になった時にも。
「何で、俺だけ見つかるんだよ〜〜。あの教師がいけねえんだ、クソ〜〜!!」
母親は学校から散々なことを言われ、息子のこれからを思い、うろたえ、落胆していた。そりゃそうだ、息子の性根はそんなヤツじゃない、30/400の僕だって解る。
「おい、おめでとう!!やったな!すげ〜ぞお前!」
「何でだよ〜〜!!」
「何でじゃね〜よ、俺だって人生、踏み外すのに、ダメ人生の始まりに30年間も要した、それなのにお前は16歳でやりやがった。すげ〜よ。おめでとう!!」
「そしてな〜、これからだ、これからが本質を問われるんだ、こんないい体験を16歳でだ、おめでたい!!」
「もう一つだ、そんなありがたい体験を、させてくれた方々を恨むんじゃねえぞ、人のせいにするんじゃねえぞ。何故なら、お前が決めた道だからだよ、キチンと責任を負うんだ。いいか、そんな小ちぇことなんか笑い飛ばせ。お前は人が滅多に体験出来ない道を、これから自分で生きて行くんだぞ。すげ〜じゃないか。だからだよ、人のせいにしたらいかん。むしろありがたいと思え。いいか! そしてもう一度、おめでとう!!」
ひどいもんだ。 この息子が何故か大学でデザインを学びたいといい、受験をした。 実技なんてやったことがないのに無謀なチャレンジをした。 特訓のせいか、奇跡的に入学した。
   
  この僕はそんな息子へ 「残念だな、お前、この世界食えないぞ。デザイナーなんてな、必要があまりないのに沢山人がいるんだ。頭が良かろうが、悪かろうが、どんな大学出ようが通用しないんだ。本当に出来るヤツしか生き残れない世界だ。まあ言ってみれば芸能界だ。本気を出さないとナンチャッテだ。ただ本気出せば、今までがチャラになるぐらい、ひっくり返せる面白い世界だ。だからメチャクチャやれ、普通じゃダメだ、メチャクチャだ。変態になるんだ。いいか!!」 これまたひどい。
   
  そんな大学生になりたての息子を天草のワークショップに連れて行った。そして皆の前でおそらく最年少メンバーだったと思う。プロ、そして地域のメンバー、社会人、先輩。凄いメンバーだ。本当にやれるんだろうか?プレゼン。 不安だった。そして、本番。 素晴らしい!!中々のものだった。なんせ、堂々としていた。
「やるじゃね〜〜か。よかったぜ!!」
「いや〜〜お父さんこそ凄いよ。皆の力が集まっている感じがする。」
「天草に来て良かった、デザインって凄いと思った。学校で学んでいることと全然違う、これが本物だよ。同級生にも教えたいと思った。天草こそデザインが必要なんだって思った。来年も絶対くるよ。天草って素晴らしいよ!!もっとここに居たいよ〜」
「居りゃいいさ。だってお前の古里なんだ、ここからのデザインだってある。食うのは大変だけどな。」
「そうだね、ここからがある、僕には。よ〜〜しやるよ!おとうさん!」
「おう、どんどんやれ、そして最後まで諦めんな!」
   
  18年の歳月が流れ、僕が、400字詰めが何文字になったか解らないが、天草のこの時が、今までの白紙の原稿用紙を埋めてくれたような気がした。 デザインって素晴らしい、そしてその力が必要な場面がまだまだ沢山ある。そう、企業や製品のためにだけにあるものではないのだ。 この素晴らしい力をこの世のなかに、社会に繋げて行くために、がんばろう。 美しい未来を夢見て。
   
  いよいよ、天草、実態化だ、創るぞ、形にするぞ〜〜!! ねえ、小野さん。
   
  毎度、受け入れてくれる、天草の皆さん、そして学生の皆、スギダラの仲間達、親分、藤原先生に感謝の気持ちを込めて。
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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