連載
  スギと文学/その49 『島守』 中勘助
文/ 石田紀佳
 
  27か28歳の青年がひとり野尻湖弁天島にこもったときの日記をもとに書かれたのが「島守」だそうだ。
彼の「銀の匙」を偏愛した私だが、「島守」は一度さらっと目を通したきり、忘れていた。「犬」という異様な小説と一緒に収録(岩波文庫)されていたせいだろう。「犬」を15年以上前に読んだときには、虫酸が走るというか、もう二度と読みたくないと感じたほど、気分が悪くなり、そのままこの文庫本を見えないところにしまっていたのだ。
   
  「島守」に杉が出てくるということを知って、あの「犬」のあった文庫本のはずだ、と本棚の隅を探した。まだ「犬」についての嫌悪が残っていたので、まずは後ろの「島守」を読んで、「犬」に移った。再読して、「犬」を書いた人だからこそ、ひとり島に籠りたくもなったのと納得した。
これもまた年月を経て味わえる人生の妙だろうか。
   
  一筋縄ではいかない人の感性。
ひとりの人間の中に同居する相反するかのような感情や、行為。
ほんとうは、矛盾や多重性がそのまま人間の特性(動物もそうかもしれない)で、ただ、それをあるていど隠したりしているのだ。意識したり、無意識に。
   
  それでは杉の出る箇所を引用していきましょう。
   
 
  後ろの森の杉の枯葉をひろう。ひとつずつ拾って左手にためる。涙がでる。かけすぐらいの鳥がゲーゲーと争っている。
 
   
  作者は独居をこのうえもなく喜びながら、妹の危篤の知らせをきいて、ひとり泣いているのだ。
   
 
  ...土間の蓄えのうちから一掴みの杉の枯葉とやや生のとを拾い五六本の木屑をそえて焜炉に火をおこす。生の葉は燃えるときに濃い白い煙をたてるのと、ぱちぱちはぜるのがよくてことさらにまぜるのである。
 
   
  島では焚付けに杉がかかせないが、彼はわざと生の葉を入れて楽しむ。
雨の降る夜には、その雨になつかしさを感じ、恋人の霊の衣擦れのようだと書く。彼は恋人を実際に亡くしたのか、それともあきらめなくてはいけない理由があって想像の上で霊としたのか。
翌日は
   
 
   明けがたまでふったとみえ、土も落葉もしっとりぬれて、雲はそのままに残りながら雨はあがっていた。湖の島の朝凪はたとしえなく静かである。森はしんしんとしずまりかえっておりおり杉の枯葉がこそりと落ちるばかり、幾億の木の葉のひとひらもそよぎはしない。
 
   
  鳥の声で目をさまし、おこされる者は自分ひとりだといって喜び、昼寝もまた、
   
 
   うたた寝の夢を板戸をたたく啄木鳥に呼びさまされた。目ざましに香煎をのむ。焚つけがなくなったので裏へいって杉の葉をひろう。じっとり土についてるのを拾って土間に投げ込むうちに山のようになった。こうして独りくらしていることが身にしみて嬉しい。
 
   
  そんなふうに独りを愛する作者が、夫婦連れの鴛鴦を描写する。ここには杉が出てこないが、引用する。
   
 
   あのしずかな草山につつまれた入江に海のはてからわたってきておのずからなる舟の形にむつみあう浮寝の鴛鴦よ、古の猶太の神は万物創造の終わりにあたってすべての色よい鳥の羽の残りをつづって羽衣とし、蜜のような愛のいぶきにその胸をふくらませて汝らめおとづれの遊牧者をこしらえたのであろう。
 
   
  舟の形にむつみあう浮寝、このことばを、私は鴛鴦をみたらきっと思い出すにちがいない。
   
 
  ...花の咲いた杉を石段でひろう。...夜、どん栗と杉の葉をならべて日記をつけているとき南の浦にぱさぱさと水を打つ音がして鳥の群れが降りたらしかった。月は遠じろく湖水を照らしながらこの島へは森に遮られてわずかにきれぎれの光を投げるばかりである。大木の幹がすくすくと立って月の夜は闇よりも凄じい。
 
   
  あたたかな日にかわせみを見て「岸壁の隠れがに美しい衣をきて心にくくも独りすむかわせみになりたい」と思った彼は
「どん栗と貝殻と杉の花とで賑になった机に頬杖をついてぼんやりと魚狗(かわせみ)のことを考えはじめ」、次の散歩でカワセミの精に出会って、心を射られる。それは朴の木の枝に腰掛けて釣りをする美しい女性、
   
 
   私はおぼえずよろめいて手にした桶をとり落した。彼女は驚いて口笛のような叫び声をあげ...(中略)...飛んでいった。そのあとに私は温もった朴の枝に頬をおしつけ恍惚として影もない水を眺めていた。夕べをもまたず冷えてゆく朴の枝が教えるであろう、無慈悲な鉤に捕らえられたのは淵にすむ鱒の子ではなくて私みずからであったことを。
 
   
  ひとりになりたくてきたのに、ひとりまっていることがあるのだ。
   
 
   月界の神女は昔ラトモスの山の窟にまだうら若い恋人をいだいてさめることのない甘い眠りに入らせたという。私は今ひとりここに立ってこのように憧れているというのに彼女はなぜはやくきて私を抱いてくれないのであろう。
 
   
  覚めることのない眠りとは死である。その夜に彼は夢をみる。「まっ暗な寒い杉の森のなかで北浦のほうを眺めて鴛鴦や鴨のくるのを待っている」。いったい何を待っているのか...
そして、「島守」のなかでもっとも詳細に杉を書いたところになる。
   
 
  一の鳥居をくぐったところに島でいちばん綺麗な杉の木がある。一抱えほどの幹を三抱えぐらいのとが根もとから二叉になって幹にも枝にも更紗模様をおいたように銭苔がはえ、どす黒い葉のなかにいちめんに花がさいている。その高い枝の下にみごとにかかった大きな蜂の巣は毎日ここへくるときの一つの楽しみである。渦巻の浮彫をかめ形の王宮にはほうぼうに入り口があり、寒い日には緋おどしの鎧をきた幾百の騎士が勇みたって湖のかなたに笑顔をもって彼らを待つ恋人の馨しい脣をすいにゆく。
 
   
  脣、という文字を書く青年の、島を離れる日が近くなっていく。
ひとりのおじいさんがたずねてきて、もじもじと、天狗や何かが出はしませんか、と問いかける。
   
 
  ...小さいとききいた伯母さんの話によると天狗様はおりおりこんなことをして嬲りにくるという。まずはお気にさわるようなことをいわないでよかったと思う。
 今日もしぐれてきた。雲のように繁り合った大杉の梢にしらしらと雨脚がみえる。
 
   
  なんとも杉の多く出る「島守」であった。
たくさん抜粋したのは杉が出ているだけでなくて、やはり私は中勘助を偏愛しているのだ。一語一文を、ゆきつもどりつ、読む。
   
   
   
   
  ●<いしだ・のりか> フリーランスキュレ−タ−
1965年京都生まれ、金沢にて小学2年時まで杉の校舎で杉の机と椅子に触れる。
「人と自然とものづくり」をキーワードに「手仕事」を執筆や展覧会企画などで紹介。
近著:「藍から青へ 自然の産物と手工芸」建築資料出版社
草虫暦:http://xusamusi.blog121.fc2.com/
『杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori.htm
『小さな杉暦』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_nori2.htm
羊毛手紡ぎ雑誌「spinnuts」(スピンハウスポンタ)に「庭木の恵み」を連載。
「マーマーマガジン」(mmbooks)に新連載「魔女入門」スタート。
   
 
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