連載
  スギダラな一生/第55笑 「楽しい、美しい時間の積みかさね」
文/ 若杉浩一
   
 
 
  今年も、今週の「吉野材を使った暮らしのデザインコンペ」を終えると、連続不休の秋が集結する。と思ったら、今年も後2週だ。まったくランナーズハイである。しかし、不思議に今年は熱を出さなかった。いや、これからかもしれない。
今年も随分仕事や、スギダラが広がって行った。去年の今頃は想像もし得てなかった。素晴らしい出会い、そして素晴らしい仲間、そして感動の経験が沢山あった。
いったい、このまま何処へ行くのだろう?
ただ決めていることは、出会いを受け入れること、そして、その流れに流されることにしている。それは、後で気付けば自分の道に繋がっている事を確信するからである。だから、毎年、何が起こって行くのか、来年が想像できない。ただ、思いは一つだ、この仲間と供に、素晴らしいデザインを見てみたい、新しい感動を共有したいということだけだ。
   
  昨年はチーム崩壊という危機に曝されながら、長年の相棒 村部長と、デザインと技術とメンバーの未来を思い社内ベンチャーとして企業で立ち上がることを決めた。
この企業内でのデザインの未来、仲間達の未来を創るには、僕たち立ち上がらなければならないと確信した。お陰で、生きて行く為に、今まで以上に仕事の量が増えた。そしてメンバーが生きていく為の、持てきれない程の責務が生じた。泳げないかもしれないメンバーばかりなのに、いきなり遠泳という感じだ。
皆が、向島までたどり着かねばならない。若いメンバーは大変だ、体力でカバーするしかない。そしていよいよ、チーム力を発揮しないと、そうならない。だから、若かろうが何だろうが、一人一人の気迫や力がダイレクトに影響する、組んず解れつ、大騒ぎの毎日だ。
お陰で、半年が経ち、短期間で随分、皆逞しくなった。去年の今頃とは随分違う顔つきと力を持っている。この感じだ、このリアリティーだ、ここから、この格闘の中からまた新しいデザインが生まれてくる、そう信じている。
この危機的状況も良いものだ。無理なものを沢山背負う、責任を肌で感じるそしてその重圧の中で未来を見つめる事を、皆が感じる。だから、僕は出来るだけ、一人で背負わないように、理不尽であろうと思っている。こんな面白い時間、一人では勿体ないからだ。
   
  さて、今回は吉野のことを書こうと思う。吉野のメンバーとは永い付き合いで記念すべき第一回公式スギダラツアーが吉野だった事から始まる。当時は吉野中央木材の石橋君のお父さんにお願いし、吉野ツアーを敢行した。まあ、この得体の知れない軍団によくもお付き合い頂き、そして繋げて頂いた。その後、ご子息である石橋君がスギダラ関西を仕切ってくれることになるのである。
   
  吉野杉は元々銘木、ブランドがあり、隆盛期と今は違うと言うものの、まだまだ、ちゃんと産業が残っている。吉野杉は当初、樽丸といい、酒樽等の素材として使われていた。素材、加工、端材を使った割り箸など山と製材、加工が整っていた産地だった。それがやがて、産業は、高級建築材の時代へ台頭し、新たな生き残り策を打ってきたのだ。変化する時代の中で地域が一丸となってブランドを支えてきた。しかし更なる激変のなかで、更なる変革を求められているのが今である。
木を育てる技術や製材加工に関しては明らかに他の地域とは違う、目的を持って材料が育てられてきた。そしてその為の製材、加工と産業が成立し連動し製品の価値とブランド、そしてモノガタリを作り上げてきたのだ。
それは長い風雪の時間とともに先人達の努力の賜物であった。
つまり、最初から銘木があった訳ではないのだ、そのブランドや価値を生み出したのは、正しく、人と人の繋がりだった。
   
  しかし、そのブランドが今、そして、これからをどう生きるのか?
また、その「人」に委ねられている。
問題は素材や山や市場ではない、「人」なのだ。
   
  最近本当に思う、企業も地域も同じ問題を抱えている。
市場性、製品、システム、シェアではない、新しい時代に人が何をなし得るか?
そこに掛かっているように思う。しかし、我々はそこを差し置いて保身し、環境のせいにして、失われつつある今までの価値を追いかけているような気がするのである。
そんなことを思い(仕事のこと)ながら、吉野に向かったのだ。
   
  僕らが知る吉野は概ね本当に魅力の一部、ひと欠片ほどでしかないだろうが、ここ数年吉野を中心としたスギダラ関西の躍進ぶりは凄い。様々な魅力の糸が繋がり始めた感じがする。
その中心人物が中井さんである。吉野町の町会議員でありながら林業家である。
中井さんは、その人懐っこい顔から溢れ出るように、人柄や、見識の深さそして未来を見る目、オープンなマインド、何にしてもその行動力、エネルギーに満ちあふれている。そして彼を中心として石橋君、坂本さん、県の北村さん等、まあキャラの濃い元気な仲間が集まっているのだ。この異種混合軍団が数々のイノベーションを仕掛けている。キーマン(木マン)の登場だ。
杉樽を復活させ吉野の酒造りを見直そう「銘木と名酒」「やっ樽で〜〜」や数々のイベント、そして数々のメンバーとの交流や研究活動。そして今回の企画「吉野材を使った暮らしの道具デザインコンペ」連動した「吉野貯木まちあるき」である。
   
  僕は、このイベントいったいどれくらいの人が集まるんだろうか?と不安と期待でドキドキしながら、吉野へ向かった。
駅を降りるや、至る所に案内版とそして色々な人達群。正直ビックリした、様々な方々、年齢や専門を超えて、皆楽しそうに、各所を回っているのである。僕も以前に見ている箇所が随分あったが、改めてのその説明を聞き、おもてなしを受け、このまち全体の繋がり、力に本当に感動したのだった。
本当にどの工場も、良かった。それは、そこにある木材、そして設備が凄かったのではない、当然それも良いのだが、それを説明してくれる方々のエネルギーやおもてなし、皆で、伝え、受け入れようとしてくれる何ものかの力に感動したのたっだ。特に僕は「目立てバー」には、やられてしまった。製材の為の鋸に刃を付ける作業である。それは木を切ることの裏の仕事、しかし、その仕事は、困難な仕事で且つ長い時間と苦労を要し、仕事を超えた何ものかの支えないと成立し得ないような大変なものだった。そんなことを、目立て職人大石さんが、一生懸命に鋸の目立てについて説明してくれた。
   
  「皆さん、これから鋸の目立てについて、説明させて頂きます。僕の前に師匠が居りまして、当時僕は、全く別の仕事をしていました。ある日、目立てをやってみないかとのことで半信半疑でやってみたんですが、ボコボコにされるばかり、仕事が終わってから教わるんですわ。もう、何で、こんなことやらなあかんのかって悩みました。しかしですね、製材ってですね、この鋸の性能如何で全然効率や生産性が変わる、仕上げが変わるんですね。そんな大切なことをやるんですね。」
「しかし、なんともうまく出来ないんです。いつも怒られるし、師匠と僕一人ですわ。誰にも理解されんのですわ、この苦しみが。だけどね女房がね、あんただったら出来る言うてくれるんですわ。それで今です〜ぅ。」
「今は、師匠は辞めはって、私一人ですぅ。難しい仕事してて、こんなとき師匠やったらどうやりはるんやろ思いながらやってますぅ〜。それでも解らんかったら聞きに行くんですわ。皆さん鋸見ててわかりますか?ここですわ〜、難しいの。」
   
  いや、見ても解らない。しかし、僕らの全く知らなかった世界で、ひたむきだが、素晴らしい技や伝承、そしてそれを遠くから見ていた家族や仲間、それが製材所の片隅で脈々と繋がっている力の存在は充分に理解出来た。いやそれどころか、その謙虚で、澄んだ眼差し、そしてこの繋がり、僕らが失いつつある何かにとても感動したのだった。
何気なく、本当に何気なく、見ているものの裏側に存在し、僕らが支えられているものだ。それは、見えないが繋がっている大切なことへの感謝の気持ちだった。恐らくそこに居た皆がそう思ったに違いない。僕らと鋸目立て職人大石さん、そして其処にいる皆が供に「喜びを、ありがとう」を共有した瞬間だった。
   
  そして、なんとも素敵な気持ちになりながら、懇親会場である旅館に向かった。僕は、びっくりした。50名ぐらいはいただろうか、建築家で早稲田大学の教授である古谷先生以下学生チーム、日本コカコーラ副社長の青木さんをはじめ、県のメンバー。地元のメンバー、スギダラメンバーと様々な顔ぶれ、吉野の恐るべきネットワーク力の賜物であった。繰り広げられる、自己紹介地獄。後半誰が誰だか覚えられない。2次会3次会と繰り広げられ、多いに盛り上がったのだった。
   
  そして、翌日のデザインコンペ最終審査。デザインも然ることながら、モノづくりのクオリティーが高い、どのデザインも提案を超え力強さを持っていた。しかも、日常の生活に相応しい優しさや、眼差しが感じられ、それに各プレゼンテータの情熱が加わり、審査委員一同、全く甲乙付けがたい審査になった。
   
  何が素晴らしいか、デザイン、デザイナーの眼差し、そして制作者の本気度、そして地元の情熱と頑張り、審査委員を含む観客の眼差しや応援、そして素晴らしい素材と技術。全てが美しく揃っているのだ。
後足りないとすれば、横たわる時間だけだ。しかしそれは、既に何回も、乗切ってきた地域だ、大丈夫に決まっている。
   
  凄いな〜〜、素材、技術を価値変えるシロモノ、それは人と人の織りなす力。しかも、力まず自然に、繋がり始めている。何かが起こる。
   
  こういうことなんだ、これなんだな、根拠のない確信が沸き起こって来る!!
   
  時間が掛かるかもしれない、簡単に答えは出ないかもしれない。しかし、この僕でさえ、ここの、この地の美しい未来の芽に何かを、何らかのお手伝いをしたいと思う。
そう、そんな何かが、ここに横たわっているのだ。
この仲間がいる限り、その連鎖は生まれ、あることが見えて来るだろう。
そしてそれはこの地の新しい未来を創って行くのだろう。
そんなことが、そんな風景が未来が、見えてくるのだ。
こういう力が積み重なって、何かが起こるんだな。
何故か、そう確信した、合点がいったのだ。
   
  何も起こりえない現実で、可能性という言葉ばかりが飛び交い、今日も明日も同じ時間が過ぎている今。時代のせいにしたり、技術のせいにしたり、商品のせいにしたりしながら、何も見ようとしない。自分を守る事以外は。
そんなクソ面白くない、場や人に価値など集まらないのだ。
   
  人は人を思い、未来を思い、良くなろうと生きるシロモノなのだ。
素晴らしい、面白いところにエネルギーは集まり醸成されて行く。
それを、そのエネルギーを絶え間なく形にして伝えようとするちからの集結が価値という結果に変わって行くのだ。
この時間の流れを吉野で、肌で感じて、合点がいって、嬉しくて、嬉しくて、僕は胸の奥から熱い何かが込み上げてくるのを感じた。あまりにも真っ当なことなのだが、このような美しい繋がりから始まるんだという実態を感じるのだ。
   
  目の前に見える価値や経済には誰もが飛びつくし、競い合い、奪い合いになる。そんな競争には、小さく力が弱い地域は中々勝てない。
そしてそんなモノを手に入れようと思っても、そう簡単ではないし、手に入れたとしても、また、もっと欲しくなる。きりがない。
   
  吉野のように、自分たちが楽しみ、喜び、沢山の仲間に伝え、集まり、やり続ける、そして見えなかった美しい価値を一つ一つ紡いで行けばいいのだ。
自らが、美しく、楽しく生きて行けばいいのだ。
   
  そうだ、そういうことだ、そういうことなんだな。なあんだ、ほっとした。
   
  僕は、駅前のお寿司屋さんで、美味しい太巻きを握って貰って、
美味しいお酒を買って、アメリカ帰りの堂元と高山と3人で、
馬鹿な話に花を咲かせ、素敵な気分と素敵なお土産を、吉野から頂いて、
終止笑い転げながら、あっという間の東京へ帰ったのだった。
   
  さあ、楽しい時間を美しく生きて行こう!!
なあ皆、なあ堂元!! それでいいじゃないか。
   
  乾杯!!
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない
活動を行う。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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