特集 ワイス・ワイス 「東日本大震災被災地周辺域の杉を活用したエコファニチャー事業」
  佐藤岳利 (ワイス・ワイス代表)+榎本文夫 (デザイナー) ロングインタビュー インタビュアー/ 南雲勝志
    記録・文/ 内田みえ
   
 
  2012年秋に発表された家具ブランド「ワイス・ワイス」の杉の家具「KURIKOMA」。
杉のやわらかさや温かさが生かされた、なんとも心地いい家具の製作は宮城県にある製材所「栗駒木材」、デザインは榎本文夫さんによるものです。その「KURIKOMA」の取り組み自体が「東日本大震災周辺域の杉を活用したエコファニチャー事業」として、2012年度グッドデザイン・ものづくりデザイン賞を受賞しました。家具材としての杉の新たな可能性を示すと共に、被災地支援のものづくりとしても大いに評価を受けています。そこで、「KURIKOMA」が生まれた経緯や背景、思いを、ワイス・ワイス代表取締役社長の佐藤岳利さんとデザイナーの榎本文夫さんに語っていただきました。インタビュアーは我らがスギダラ大将・南雲勝志さんです。実は、榎本さんと南雲さんは大学の同期。長年ライバルであり良き友人である二人の打打発止のやり取りも聞き所です。
   
 
  インタビューは2013年2月18日、表参道の株式会社ワイス・ワイスにて。左から榎本文夫氏、佐藤岳利氏、インタビュアー南雲勝志。「KURIKOMA」のテーブルと椅子に座り、杉のやわらかさ、温かさを身体で感じながら。
   
   
 
   
   
 
南雲: 佐藤さん、今回の「KURIKOMA」は杉だけど、それ以前からワイス・ワイスは国産材を使った家具づくりをしてますね。まずは、国産材を使っていこうと思い始めた理由を聞かせてください。
   
佐藤: このワイス・ワイスを立ち上げて10年くらい経った2006年頃から、仕事をやってもやっても儲からないようになっていったんですよ。クライアントのバジェット(予算)がどんどん減っていく傾向にあった。今思えば、それはリーマンショックやデフレ社会になっていく予兆だったんですね。でも、当時は気づかなかった。ワイス・ワイスは自社工場は持っていなくて、協力工場さんに製作を依頼しているのですが、「バジェットがないから中国でつくってくれ」って、クライアントから依頼されたんです。それで中国でつくり始めたんですが、たいへんな思いをしました。我々、日本人の感覚からすると、仕事を重ねていくとこちらの要求とかクオリティを勉強してもらえるじゃないですか。国内の協力工場さんではそうでした。でも、中国ではそういった工場をつくることが出来なかった。せっかく覚えてもらっても次に行くと、工場長が替わっていたり、職人チームがいなくなっていたり、工場ごとなくなってるなんいてこともありました。あまりにも急激な経済成長、社会の変化。出張のたびに新しい高速道路に新しい街、新しい工場といった感じで、その凄まじいスピードに驚くばかり。地平線の果てまで続く巨大な家具工場に出くわして、その名の通りベルトコンベアーで膨大な数の家具が目の前を流れていく姿に、まるで映画の中にはいってしまったようでトリップしてしまったのです。世界の工場と呼ばれるその現実を目の当たりにし、この家具はいったいどこに行くんだろう?そして、そもそもこの原材料である膨大な木材はどこから来ているんだろうって素朴な疑問をもったんです。それで、人に聞いたり自分でも調べたりしたんですが、とある環境NGOの人から「木材の違法伐採問題」について衝撃的な話を聞いてしまったんです。先進国といわれる国々の中で日本は違法伐採木材の輸入、消費割合が群を抜いて高い国であると。「オランウータンもアムールタイガーも日本人が絶滅に追いやってるんだ」とも言っていた。日本のバイニングパワーは本当にすごい。日本の企業がいったら、ペンペン草も生えない、と。森林、環境に関するいろんな勉強会に参加して、衝撃的な映像もたくさん見ました。違法伐採によって環境がむちゃくちゃになってる。金で有無を言わさず木を伐り持って来て、それによって環境、生態系が破壊されたり、少数民族や動物が命を絶たれたり、衝撃だったんです。自分は何も知らずに10年も飯を食ってきたのかと。我が社はそれまで外材100%で家具をつくってきたわけですからね。しかも、出来るだけ安く、とトレースもしないでやってきたわけで。
 

自分は知らず知らずオランウータを絶滅の危機にさらしてきたかもしれない。自分の仕事とオランウータンの減少が自分の中で直結しちゃったんです。オラウータンを殺しているのは、極端に言えば「オレだ!」と。すごい衝撃、ショックでしたね。知らずに無邪気に家具をつくっていたけど、もう知ってしまったからには同じことは出来ない。それで、FoE Japan(国際環境NGO)に協力を仰いで、まずは全商品のトレーサビリティを調べてもうことにした。恥ずかしい話なんですが、合法性が証明できるか、あるいは違法伐採じゃないことを証明できるか以前の段階で、自社が扱っている商品のトレーサビリティーが全く分っていなかったんです。それが5年前。それで2009年の春にはグリーン宣言をしました。環境NGOの指導の下、ロードマップをつくって、「地球環境や子どもたちを考えた家具づくりに変えます」と宣言、ワイス・ワイスのお客さまに4つの約束をしたんです。@長期使用にこだわる A安全で健康に配慮する B合法木材(フェアウッド)だけを使った家具をつくる C環境負荷の削減 です。それから足かけ5年かけてフェアウッド、つまり合法木材や国産材の使用に取り組み、昨年の秋に発表した国産の杉やシラカバ、クヌギにヒノキを用いた新作家具を掲載した次のカタログが3月28日に発刊されるところです。

  それで、なぜ国産材かというと・・・。フェアウッドというのは、違法伐採じゃない木材、認証材、国産材というのが3本柱なんですが、フェアウッドに変えようとした当時、協力工場にフェアウッドと言ったら、みんなぽかんとして。家具メーカーの社長さんたちでさえ日本への違法伐採木材の混入問題を知らない。FSC(森林管理協議会)とか認証材というともっと難しくなっちゃう。でも、その中でも国産材というとみなさん、わかりやすかった。
 

同時に、木のことに興味をもって、いろいろな環境団体のみなさんについて日本各地に行ってみたら、どうやら国産材がやばいということがわかってきたんです。岩手県に行った時は、ショックでしたね。伐採現場に行ったらクリ、サクラのものすごく立派な太い木があって、それが全部その場でチップになっていったんですよ。しばらく何が起こっているのか、わからなかった。聞いてみたら、紙パルプになっていると。山持ちさんに会えた時、なんで?って聞いたら、「それらの材を誰も使ってくれない。紙パルプやさんしか買ってくれない。我々にも生活があるから」と、おっしゃっていて。でも、「本当は、爺さんが植えた木だから、育った年月かそれ以上、木のまま長らえて、誰かに使って欲しい。家具とか木工品とか家とか。でも、そう使ってもらえない」と。何十年も掛けて立派に育った木を粉砕しちゃうのは岩手だけじゃなくて、日本中で行われていると。持っているだけお金が出て行くから、何代も続いてきた所有者が山林を放棄したり、山林の所有者不明の問題も大きい。つらい話しばかりで。

   
南雲: 数年前、ワイス・ワイスというおしゃれな家具を表参道でやっている佐藤さんにひさしぶりに会った時、「国産材でやってます」って言われたけどピンと来なかったんですよ。佐藤さんとの出会いは18年前のミラノだけど、僕たちはそれからまったく違う方向に向かっていたと思っていたから。でも、今、その話しを聞いて、やっとピンと来ました。ただ、事実をわかって理解したとしても、こういうデザイン家具が木にはまり込むと売上げに影響あるでしょ?
   
佐藤: ありますよね。でも、デザインの領域ってよく言いますけど、デザインって色、カタチというのはほんの一部で、僕は社会をよくするところまでをデザインの範疇にしたい。社会をデザインするってことまでちゃんと出来ないで格好いいだけの家具をつくっても、片落ちだと思うんですよ。
   
南雲: でも、それがビジネスで成立しないと、所詮、言うだけで終わったなとか言われるわけでしょ。だから、佐藤さんが国産材にシフトしたのは、生き残っていく根拠、自信というか、そういうものがうっすらでもあったんじゃないですか?
   
佐藤: いやー、もうそれはかなり賭けでしたね。それを言ったら、17年前に脱サラしてこの会社をつくったときも賭けだったわけで。当時、バブルがはじけた不況時で、その時期に会社を起こしてインテリアブランドに打って出るってことは、狂気の沙汰みたいに言われましたしね(笑)。そう考えると、どうせ狂気の沙汰だったら、お父さんとして、「お父さんは立派な仕事をやろうとしてた」って思われたいというか。だって、どっちにしろ、たいへんはたいへんじゃないですか。中国に行って価格競争でぐちゃぐちゃになって、命削って会社を長らえさせたとしても、それはそれでものすごくたいへんだし。それなら、ね。
   
南雲: 命を削る、一生を掛けるとしたら、ってことだね。
   
佐藤: そうです。結婚したのもグリーン宣言をした年で、子どもも出来ましたしね(笑)。
   
南雲: 杉に関してはどう? 広葉樹ではない、針葉樹ですが。 
   
佐藤: ワイス・ワイスは、10年やってきて300もの製品をもっていたのですが、それは全部、広葉樹による家具。それをまずは、違法伐採の木材ではなくしようとしました。違法かそうでないか、黒か白かといったとき、黒ではない木にしようと。でも、(黒ではないけど)グレーな木もあるので、いっそのこと真っ白の木にしようと。それで、とにかく片っ端から国産材の木でつくってくれと協力工場に言って歩いたんです。でも、みんな、ぽかんとしてドン引かれた(笑)。それでも勉強会を繰り返して、国産材の広葉樹への切り替えを5年かけてやってきました。ところが、そこで震災が起こった。それまでこのビルの1階にはチェコレストランがあったんですが、震災後、彼らはお店を辞めて帰ってしまったり、仕事もキャンセルが続いたり、もう暗くて暗くてノイローゼになりそうなくらい。でも、こういう時こそ、東北に行こうと。復興リーダーを訪ねる旅を『オルタナ』(環境系ビジネス情報誌)の編集長が企画して、それに行くことにしたんです。まだ自衛隊とか救援の人がたくさんいた4月で、泊まるところがなくて、栗駒山の中腹にあるくりこま高原自然学校の校長が宿を提供してくれて、そこで一晩、語り明かしました。「復興をどうやっていったらいいのか?」「もう服も食べ物もある、あとは自分たちの力で復興したい。だから仕事が欲しい」と、リーダーたちがみんな言っていた。「家具屋なら家具の仕事を出してくれ」と。校長は日本の森バイオマスネットワークというペレットを製造販売するNPOもやっていて、そのペレットをつくっているのが栗駒木材さんだったんですが、「彼らも大変困っている。助けてやってくれ」と。それが今回、杉をつかったきっかけです。栗駒木材は杉専門の製材所だったから。だから、ワイス・ワイスとしては杉を初めて扱ったんです。それまで、このショップで南雲さんに杉の話しをしてもらったりしたけど、うちはやはり椅子が多いので、これまでなかなか針葉樹には手を出せなかったんですよ。
   
南雲: 榎本をデザイナーに選んだのは、どうしてですか?
   
佐藤: 震災の1年くらい前に榎本さんから売り込みがあったんです。グリーン宣言をして、日経ビジネスのwebマガジンでインタビューをしてもらったんですが、それを見て、榎本さんが訪ねてくれたんです。それまでつきあいはなくて、名刺交換した程度でした。その時に、竹の椅子などを見せてもらいました。いいデザインがいっぱいあるのに、名だたるメーカーさんは採用しなかったらしくて、なんで?って思いました。それでその竹の椅子をやろうと思って、竹の集成材の産地まで行って進めていたんですが、結果として商品にすることが出来ませんでした。
 

そして、震災後、被災した栗駒木材に行ったら、杉だらけだった(笑)。原木の杉がごろごろ運ばれてきて。また大場隆博さんという代表の方が、超すばらしい方で感動したんです。案内してもらって酒飲んで、わんわん泣いちゃって。宮城内陸地震というのが6年前にあったんですが、栗駒木材はその時にも被災して、やっと立ち直ってきた時にまたこの震災が起こって、ひどい状態なのに従業員の雇用を確保することにも一所懸命で。また、木材の製材・加工なども重油や防腐剤を一切使わず、廃材を使って燻煙乾燥したり、木酢液でどぶ付けして防カビ処理したり。考え方もやっていることもすばらしい。儲からないけど、やってる。こういう人がちゃんと日の目を見る世の中じゃないといけない、よしここでやろう! と思って榎本さんに頼みに行ったんです。実は、竹の家具と一緒に杉の家具も見せてもらっていたという経緯があったんです。

   
 
  宮城県、栗駒木材周辺の風景。
   
   
   
  栗駒木材の工場。ここで「KURIKOMA」がつくられることになる。
   
 
榎本: 杉の家具は、独自に取り組んでいたんですよ、試作まで。発表していなかったけど、それを佐藤さんに見てもらっていた。それでまずはその試作を栗駒木材に送って、大場さんに見てもらった。それが気に入ってもらえて、開発が始まったんです。デザインは、ほとんどその試作のままですね。
   
南雲: 被災地周辺の杉を使ってということは始めから考えにあったの? それとも、デザインストックの延長上?
   
榎本: 被災地の杉というのは、震災後、佐藤さんと大場さんが繋がってそうなったことです。僕がこのデザインを考えていたのは震災前のことで、その時は日本全国に生えている杉を対象に考えてました。僕はスギダラ設立初期に会員にもなってるし、南雲の杉の活動を見てコンプレックスを持っていたんですよ(笑)。僕も社会性を持ったデザインをやりたいなとずっと思ってた。自分なりに何が出来るか、悶々と考えてましたね。そう思っていた中で、8年くらい前に岐阜県のオリベプロジェクトに参加して、その時、杉という提案を受けたんだけど僕は竹を選んだ。まだ竹は誰もやってなかったから(笑)。それで竹を使った家具づくりに挑戦していたんですが、製品化にはならず。コンペにも出して入選したんだけど商品化しようというメーカーがなかったんで、どこかやってくれるところがないか探していた時に、佐藤さんの記事を読んで感動したわけですよ。日本の家具屋でこんなことをやっている人がいるのかと。それでさっそく佐藤さんに会いに行って、やろうとなった。でも、ワイス・ワイスでやるからには国産の竹でなければ意味がない。それで国内で唯一、竹の集成材をつくっている産地まで行ったのだけど、うまくいかなかったんですよ。その一方で、僕の中では竹と共に杉もテーマにあって、独自にやっていたんです。あるコンペに出したら優秀賞をもらったんで、その賞金で試作をつくった。
今回は宮城の杉を使っているけど、もともと杉で考えていたのは地産地消みたいなことができないかと。輸送にかかるコストをかけずに。日本中に杉はあるし。
   
南雲: それは、スギダラでも言われていることじゃない。榎本らしさはどこにあるの?
   
榎本: それはデザインでしょ。かっこいいわけだよ(笑)。
   
南雲: さっき佐藤さんは、デザインはカタチや色だけじゃない、社会的なものって言ったじゃない。そこらへんは?
   
榎本: そのモノが、人々の生活の中に入っていかない限りは、社会を変えることにつながっていかないわけじゃない。今まで、有名デザイナーもたくさん杉の家具をつくってきたけど、生活の中で使いたくなるようなものはあまりなかったと思う。一般ユーザーに使ってもらうには、環境問題からだけでなく、商品としての魅力が必要で、それを感じさせるのはデザインの力だと。商品として普及し、使われることによって、初めて宮城の工場、里山、職人の問題につながっていくんだと思うんですよ。だからちゃんと使ってもらえる魅力あるものにしなきゃいけない、それが僕の仕事であり、デザインだろうと。
   
 
 
ワイス・ワイスの杉の家具 KURIKOMA アームチェア (¥40,950 税込、以下同様)。   ディテール。フレームを3層構造にし、繊維が直行するように組む新しい工法により、杉の強度を高める。
 
  左からKURIKOMA ループサイドチェア(¥42,000) / ダイニングテーブル(¥246,750/幅1800タイプ)、サイドチェア(¥38,850)、ループアームチェア(¥45,150)
   
   
 
南雲: この値段、つくる側からすると、とてもがんばったと思いますよ。でも、地産地消という考えからいうと、その値段じゃ被災地の人は買えないんじゃない?
   
榎本: その考えは震災の前だったということもあるけど、実際に使ってもらえるか、もらえないかってことは、値段だけじゃなくて、魅力があるかないかだと思う。
   
佐藤: 地消って概念は、このプロジェクトではなかったですね。それだとマーケットが小さすぎるし。日本中さらには世界で売れるものだと思っています。
   
南雲: 震災後であれば、復興のためのものづくりもあるじゃないですか。例えば、石巻工房とか。地元の人が参加して、地元の人も使える家具づくりなども興っている中で、そういうことには影響されなかったんですか?
   
榎本: デザインは、震災の前からやっていたこと。たまたま震災後に被災地の杉でスタートしたけど、僕の中では震災復興のためにスタートしているわけではないから。
   
南雲: まどわされたり、方向転換はなかったの?
   
榎本: まどわされないよ。結果として、被災地の支援につながるかもしれないけど、もともとのスタートは日本の林業だったり里山の問題だったり。そういうことをデザイナーとして何かできないか、ってことがスタートだから。
   
南雲: でも、あれだけの出来事があって、何か変わらなかった?
   
榎本: うん、被災地に自分が出来ることがないか、僕なりに考えていたけど、たまたまこれがそれにつながったかと。これを売れるものにすることが僕にとって被災地への支援になるかと思ってる。
   
南雲: わかった、明快だね。では、具体的なデザインについて。かっこいいと言ったけど、具体的に言ってくれませんか。榎本のデザインは、「広葉樹でも杉でもかわらないように見える、杉のことを考えてないじゃない」って言ったら怒ったじゃない(笑)。
   
榎本: 怒ってないよ。でも、杉のことは考えてるよ。
   
南雲: 「杉もおだてりゃ、家具になる」って言ったじゃない。「この程度でいいやって甘やかすと杉はダメなんだ」って。「がんばれって言うと杉もちゃんと家具になる」って言ったじゃない。
   
榎本: そうそう、なるんですよ。
   
南雲: そうは言っても、強度のない、やわらかい杉なりのカタチってものがあると思うんだけど、それはどう思う? いつもの榎本スタイルじゃないの?
   
榎本: そう? (杉なりのカタチに)なってない?
   
佐藤: これまで多くの杉の家具を見て触ってきたけど、この家具で本当に杉ってやさしいんだなって実感したんですよ、僕は。今までのプロダクトでは感じなかったやさしさを感じたのは確かなんです。微妙なアールだったり丸さだったり、そういうカタチが影響しているとは思うけど、杉のやわらかさ、温かさといった良いところがすごく引き出されていると思う。僕も感じたけど、お客さんがまず驚きましたよ。
   
南雲: 売れる?
   
佐藤: 売れる感じがじわじわきてる。普通、売れ出すのって半年くらいかかるんですけど、すでにちょっとずつ売れてきてるんですよ。
   
南雲: 何ロットでつくってるの?
   
佐藤: 椅子は、脚、アームの違いで4種あるんですが、それぞれ10脚です。
   
南雲: 榎本は、長年考えてきた杉をデザイン化して、自分の中で満足するカタチで製品化できたことには間違いないわけだ。
   
榎本: うん。
   
南雲: それは素晴らしいね。
   
榎本: 二十数年デザイナーをやってきて、プロセスも含めて満足できたのは、はじめてかもしれないね。たまたまデザインを見せに行って、佐藤さんが被災地に行って、それで3者がすごいタイミングで出会って繋がって。大げさに言うと、神の啓示じゃないかって思う。だからGマークも絶対にとれると思って、佐藤さんに応募しようって言ったんですよ。佐藤さんははじめ渋っていたけど、そこまで言うならって出してくれた。それくらい変な自信があった。Gマークもとれたし、いろいろな意味で、こういう時期にこんなにうまく話しがつながって、自分の残りの運、全部使ってるんじゃないかってくらい(笑)。
   
佐藤: とんとんとんとん、役者が出てきて進んだんですよね。強度テストが問題だったけど、それも2度目ですんなり通って。
   
南雲: 話しを聞いてると、一緒にやって2、3年とは思えないほど、二人は愛情というか友情あるよね。
   
榎本: こころざしが一緒だから。
   
南雲: タイミングがすごくよくて、人との出会いがあって可能となった話しだけど、これからはそれがないと終わりなんだよなって気がするね。
   
佐藤: 「ものがたり」と「思い」だと思う。
   
南雲: それに出会いが重なった時、自分でわかるよね、これはいけるって感じ。デザイン過程でも、絵を描いてる時に、これでいけるって自分でドキドキしてくる時があるんだけど、それがないといまいちだったり。たぶん、そこらへんが一致したのかな。あとは、まあまあのペースで売れてるっていいよね。
   
佐藤: まだ売れてるとは言えないんですけど(笑)、売れる気配を感じてますね、ひさびさに。
   
 
 
 
 
 
 
KURIKOMA 製作プロセス
試作時の打ち合わせ。右が、栗駒木材の久保田さん、その左が大場さん。
   
   
 
南雲: では、最後の質問です。佐藤さんは、今後のこと、どんな思いでやっていきたいか、話してもらえますか。
   
佐藤: 脱サラしてつくったワイス・ワイスは、人と人が手をつないでワイズ(知恵)をわかちあって豊かな幸せな社会を分かち合っていこうという思いでつくったんです。だから人と繋がって、仕事をすればするほど、仕事を一緒にする人がうれしくて楽しくて、お前とやってよかったと言ってくれるような仕事をしていきたい。それが今、出来つつあるんじゃないかと。特にこの杉のプロジェクトでは、ひとつの成功?かわからないけど、まだ売れてないけど、山側もつくる現場も喜んでくれてる。買ってくれた方々も喜んで、使ってくれている。「この椅子が来て、うちがあたたかくなった」とか。理想的なカタチだと思います。ただただ安いからとか、かっこいいからというのではなくて、みんなが喜んでくれる、そういう家具のブランドになってくれたらいいなと。17年目のファーストモデルじゃないけど、そういう成功モデルに発展してくれて、2番目、3番目が出来てくると、日本の世界に通用するブランドになれるんじゃないかなと思っています。
   
南雲: スギダラをやっていて、こういう事例をたくさんの人に知ってもらうっていいことだと思いますよ。
   
佐藤: 杉について言えば、今回の開発で、造形と強度の点で、杉にはデザインの力というものがすごく必要でした。杉を一般家庭の中で使ってもらう家具にするってためには、材料の特性とそこにデザインと製造する技術、その3つのかけ算にさらに思いとか、多様なかけ算が必要で、今という時代こそ、それが求められていると思うんです。
   
南雲: 補助金とか、他力本願じゃなくてね。
 

では、榎本に最後の質問。榎本は、デザイナーと教授の二足のわらじをはいてきて、今回のことがきかっけで変わったことがあれば聞きたいし、こういうデザインをしていきたいってものがあれば聞きたいな。

   
榎本: 僕は、2000年に東京・新宿にあるリビングデザインセンター・オゾンで「ピリオド」という展覧会をやったのが転機だったんですよ。それまでの仕事を精算して、そこでリセットしようと思ってその展覧会を開催した。
   
南雲: 再起動できたの?
   
榎本: 再起動かけたつもりだったけど、12年かかったわけだよ。南雲の背中を眺めながら(笑)。僕は86年くらいに独立したんだけど、たまたまクラマタデザイン事務所にいたから、たぶん多少スタートはよかったのかもしれない。でも、バブルにも乗り切れず、それもすぐはじけて。自分のやってたことが、むなしいなと思っていた、商業空間のインテリアデザインとか。こんなことをやってたら消耗するだけだ、仕事もないしデザイナーを辞めようか、と思ったくらい。それでコマーシャルの仕事、インテリアの仕事をまず辞めて、家具デザインをやっていこうと思った。そのうち大学で教えることにもなったけど、南雲みたいに社会を変えるデザインの仕事をしたいなってずっと思ってた。好きな山歩きをしている中でも、デザインの仕事で環境問題とかに関われないかと。それでオリベプロジェクトで竹に関わったけど、結果的にダメだったり。でも、自分としては、そこに何か見えたなと思ったから竹も杉も身銭きってやってきたんだけど、それがここにきて、やっと繋がったというかね。
   
南雲: そうなんだよな、みんなでやろうと言っても始まらないんだよな。がっつり組まないとなかなか成果がでない。言ってるだけではね。
   
佐藤: 責任をとる人間がいないと、物事、動かないんですよ。最後に責任をとる人間が覚悟しないと物事は動かない。
   
南雲: 「みんなでやる」という大衆モードは社会を変える時に必要だけど、実際に実行する人間というのは、身銭切ったり、身を削ったり。そういうことなんだよね。今回のは、たぶん、そういうことなんだ。
   
榎本: 今回は偶然にせよ、3者が出会うことが出来たことだよね。
   
南雲: いいね。誰が何を言おうと「正しい」って言い続けられる、そういうものが残るじゃない。それがすごく大事。よく「あの頃は状況が違ったから」とかって言い訳することがあるじゃない。そういう言い訳をせずに出来たこと、すごくいいと思う。
   
佐藤: 今、まだスタートしたばかりで、まだ成功したわけじゃないけど。
   
南雲: そういうプロジェクトがこれからいくつか出来ていくと、世の中も変わっていくんじゃないかな。補助金に頼ったり、国の政策によって振り回されるような社会じゃ、変わっていかない。本気でやる人間が増えるかどうかじゃないかな。そういうことを、ぜひスギダラの仲間たちはもちろん、社会のたくさんの人に知ってもらいたいと思います。
   
榎本: 繋がっていけばいいと思うんですよ。思いもこころざしも同じ人間が。
   
   
 
   
   
  ワイス・ワイスがこの5年間でフェアウッドによる家具づくりに転換したことは、現在の日本の家具業界から見ると、勇気ある驚くべき出来事でしょう。そこには、並々ならぬ決意と努力があったわけですが、そこまで佐藤さんを突き動かしたのは、実はとてもシンプルな思いで、そこからは日本が失いかけている"ものづくりの良心"というものが、強く熱く感じられてきました。榎本さんも、デザイナーとして同じような思いを長年かかえ、誰に頼まれたのではなく自分自身に挑戦を課してきた。そして、度重なる苦難にも屈せず、信じる道を歩んできた大場さんの3者が出会って生まれた「KURIKOMA」。その家具づくりの背景を語る言葉からは、たくさんの気づきをもらいました。「環境を損なわない、つくる側も使う側も幸せになる、他力本願でなく自分から、本気で、責任を持つ」ものづくり。それは、すべてのことに通じることでしょう。ひとりひとりが自分自身の仕事に生かしていけば、日本は変わっていくかもしれません。
   
  さて、このワイス・ワイスの家具づくりをまとめた新カタログ発刊を記念してシンポジウムが3月28日(木)に開催されます。タイトルは「日本の希望」。多彩なゲストが登場します。このインタビュー同様、さまざまな気づきがありそうです。奮ってご参加を。
  詳細はこちら→http://www.wisewise.com/news/2012/47.html
   
   
   
   
   
   
 
●<さとう・たけとし>
株式会社ワイス・ワイス代表取締役社長。1996年ワイス・ワイスを設立。表参道にオリジナル家具、東京ミッドタウン(六本木)にて暮らしの道具の専門店「WISE・WISE tools」を経営。2009年グリーン宣言をし、国産材、フェアウッドなど環境配慮型の木材調達を中心にした「グリーンプロジェクト」を展開中。
http://www.wisewise.com/
   
●<えのもと・ふみお>
デザイナー。1957年東京生まれ。1979年東京造形大学・造形学部・デザイン学科卒業。多木浩二教授に師事し研究生を経て、1980年クラマタデザイン事務所勤務。1986年榎本文夫アトリエ設立。2002年より駒沢女子大学・人文学部空間造形学科教授。
http://www.fe-a.com/index4.html
   
 
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