特集 東北復興木づかいプロジェクト「タコマツの木づな」
  タコマツへの思い
文/ 芳賀正明
  現地での製作担当者として
 
 
  筆者が専務をつとめる株式会社 奥羽木工所は仙台市にあり、学校向け収納家具製品の設計・製作・施行を一手に手がける木製品会社です。また、株式会社 内田洋行のパートナー企業で、タコマツプロジェクトでは現地での製造を担当しています。
   
 
   
  2011年3月11日、私は東京ビッグサイトにいました。ビッグサイトはゆったりとした揺れで、地震だとはわかりませんでした。
会場を出て、駅に向かいましたが全ての交通網は停止しており、完全に孤立状態でした。途方に暮れていましたが、内田洋行さんに迎えにきてもらい、そのまま車をお借りして、仙台に向かいました。渋滞や規制を抜け、翌12日の夜11時に24時間かけてようやく着きました。仙台港の工場や社員のことがとても気がかりでした。いち早く到着したい、そんな思いで車を走らせました。
  仙台は、停電でまるでゴーストタウンのようでした。
   
  翌朝、仙台港工場に向かいましたがガレキに埋もれ道が塞がれており、車ではたどり着きません。徒歩で向かうことにしました。
工場は、8メートルの津波で材料、製品はおろか、設備、施設とも壊滅状態でした。何がどうなったのか何もわかりません。その後一週間、私は、従業員の安否を確認する毎日でした。停電、断水、都市ガスの停止、電話も不通で、確認するだけで途方も無い時間が過ぎました。幸いにも一人の犠牲者もなく全員無事であることが確認できました。本当にほっとしました。
   
  それから、津波の被害を受けていない本社に間借りして、年度末で納品しなければならないものや、施工物件の対応をしました。とにかく、いち早く工場の再建と製造の再開することが第一だと思い、ガレキの片付けを始め、同時に加工設備の調達に奔走しました。ガレキは10トンのダンプカーで1000台分に達する量でした。
大型の設備の調達よりも苦労したのは手工具や治具です。長い経験や知恵で作りこまれたものですし、洗練された宝物です。記憶をもとに一から始めなければなりませんでした。 記憶をもとに一から始めなければなりませんでした。
電気が何時くるのかも分らない状態でしたので、取りあえず発電機を用意し、4月22日には小規模の生産を復旧させることが出来ました。
  復旧は驚異的なスピードでした。社員が一丸となってやったからこそ、出来たことでした。そして、パートナーである内田洋行の社員の方々も常駐し一緒になって復旧のお手伝いをして頂きました。
   
  暫くして、仙台の海岸を守っていた防風林がほとんど倒れ、大量のガレキになってしまったことを知りました。声が出ないくらいの量でした。海岸の風景は一変していました。何か出来ないか、そう思っていたら、仙台市の方から焼却処分するのではなく何か有効活用が出来ないかとの要請があり、当社で使っているパーチクルボードの素材に活用することに決めました。「絆ボード」としてもう一度製品にすることを始めたのです。他にも、もっと使おうと思いチャレンジしましたが、中々うまく行きません。加工メーカーも壊滅的被害を受けており、手だてが無いのです。しかも、急いで搬出するために2mの長さでカットしているため、建築用材としても使えないのです。何とかもう一度、生活に役立てることはできないか?そう思っていました。
そんなことを、考えながら、若杉さんに相談しました。
   
  暫くして、彼は、林野庁の補助事業に被災木の活用事業を申請するので一緒にやらないかという話を持ってきました。何が起こるかわかりませんが、その計画に乗ることにしました。そしてできたのがタコマツでした。
彼は、出来るだけ加工が少なくてどんな材料でも家具になるように金属のタコの脚の様な脚を付けてデザインしました。
しかし、私は、心配でした。福島第一原発の事故による残留放射能のことや風評被害です。早速、検査をしました、幸いにも、製材し乾燥した木材からは放射能は検出されませんでした。しかし、クロマツは節があったり青色化していたりします。様々な樹種があり均一化しません。
しかし、このタコマツは、それが気にならないくらいの愛嬌があり、それがまた個性に見えるのです。何とかなる、そう思いました。
   
  仙台市をはじめとして、東北には沢山の木材がまだまだあります。この沢山のガレキと呼ばれている木材は長い間、私達の生活を守ってくれた存在で、思いのこもったものでした。それがゴミとして処分されるのが、私はあまりにも寂しく、悲しいのです。このプロジェクトを通じて少しでも、被災地にかつてあったモノを忘れて欲しくないと思うのと同時に、立ち止まらないで前に進む勇気を共有したい、そして少しでも地元に還元できるよう広げたいと思っています。そしてまた、以前のように、この地が緑に溢れ、木々に囲まれた美しい風景に戻るために、皆さんと一緒に一歩一歩、歩み続けたいと思います。
   
   
  ●<はが・まさあき>
株式会社奥羽木工所 専務取締役。学校向け収納家具製品の設計・製作・施工を一手に手がける。(株)内田洋行のパートナー企業。
タコマツプロジェクトでは現地での製造を担当する。
http://www.ohu.jp/
 
   
 
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