新連載
  私の原体験/第2回 
文・スケッチ / 南雲勝志
  牛と便所
 

 実家の玄関の入り口は東向きで建物左側にありました。その左手には小さな小屋があり、ウサギや山羊といった比較的小さな家畜が居ました。天井には燕の巣があり雀に襲われないよう白い和紙が貼ってあります。右手は一部屋しかなく、いや部屋というか牛舎で、最盛期は3頭の乳牛が居ました。牛の隙間を縫うように壁沿いにケージに入った鶏が10羽程度いて、日々の玉子は賄っていました。お祝いの時はこの中から1羽が犠牲になるのです。(笑)

 そして玄関の戸を開け、中に入ると3畳くらいの薄暗い土間があり、左に下駄箱があります。框を上り、左側にUターンするように急な階段を上ると二階へ行き、ちょっとした踊り場がありました。東側、南側とも全面ガラス戸でずいぶん見晴らしが良く、すぐ下には庭があってその向こうには田んぼあり、さらにずっと向こうには巻機山という美しい山が見えます。日当たりも良くて「メケ」という三毛の飼い猫とよくひなたぼっこをしたものです。飽きると「3回転宙返り〜」とか言いながら、メケを庭にほうり投げたものです。最初は上手くい来ましたが、敵も然る者、次からは事前に察知され、腕を爪で引っかかれ傷だらけになって投げるのにずいぶん苦労しました。 この2階の部屋が姉二人と私、兄弟三人の共通の子供部屋でした。合わせて24畳くらいの空間でしたが、ここを三人で適当に間仕切りをして自分の部屋をつくっていたのです。話し合いで、時には喧嘩をしながら自分の居場所はあちこちと移動していきました。押し入れも床の間もベッドだとか、隠れ家とかいいながら、勝手に自分のスペースに使い、カーテンなどで仕切るのは結構楽しいものでした。

 ひとつだけ、夜、皆が寝静まってから便所に行くのだけは苦手でした。階段をこわごわ下り、玄関を右手に見ながらまっすぐ進むと突き当たりが便所です。でも昔は夜電気をすべて消灯したので真っ暗でした。手探りでプルスイッチを探し当て、ようやく電気を付けてもせいぜい5ワット位の電球でしたから薄暗いのです。そこを抜き足差し足で次の便所の扉まで進みます。なぜ抜き足差し足かというと、玄関と牛舎は壁で仕切られていたものの、廊下側は一体になっていて、牛は胴体こそ牛舎で横たわっているのですが、巨大な頭だけは廊下と同じ高さに乗っていて、こちら側を向いて寝ているのです。その光景が薄暗い中でとても怖く、牛を起こさないようそっと静かに歩く必要があったのです。運が良ければ、用を足して何事もなく二階に戻ることが出来たのですが、運悪く気配を感じた牛が、少し涙の溜まった瞼をゆっくり開けるとモウたまりません。口を少し上に向け、低い声で「モ〜〜〜モ〜〜〜〜モ〜〜〜〜〜。」と鳴くのです。その瞬間、心臓が飛び出るほどドッっとするのです。そして目を開けた牛は必ずといっていいほど目の前に置いてある岩塩にながーい舌を伸ばしてペロりと舐めます。その時のジャリ、ジャリという音を聞くと本当におしっこをちびりそうになったものです。

もっとも瞳も性格もとても優しくて、本当に嫌な思いをさせられた事は一度もありません。ただ子供から見ると躰がとても大きい、それだけで十分怖かったのです。

   
 
  正面突き当たりが便所、右側に2頭牛の頭が見える。
   
   
 

● <なぐも・かつし>  デザイナー
ナグモデザイン事務所代表。新潟県六日町生まれ。
家具や景観プロダクトを中心に活動。最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。
著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
facebook:https://www.facebook.com/katsushi.nagumo
エンジニアアーキテクト協会 会員

   
 
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