特集 長野県栄村セミナー&スギダラツアー
  スギダラな一生/第59笑 「始まりの地」
文/ 若杉浩一
    写真/ 南雲勝志
 
 
  長野とのつながり。
スギダラを始める僕のきっかけが、長野のカラマツ集成材を使った家具をデザインするという仕事だった。
カラマツは、ヤニが出るし、変形が激しい。結局LVL材を使ってフローリング材や、テーブル、ベンチ等をデザインしたものの、高級家具になり、なかなか売れなかった。そして、国の補助金がつかなくなると、会社の熱も冷め、手のひらを返したように、間伐材のことを誰も話さなくなった。僕は、地域や林業に貢献できるという志を持っていたのだが、始めてまだ浅いのに、あっさり仕事の道を断たれた。企業とは、目の前の利益がないと、何もやらないのだ、と痛感したのだった。
   
  僕の小さい頃、地元の製材所は、大きくて、元気だった。
「き〜〜ん」という、製材の音と供に、木の匂いと油の匂いが入り交じった何とも言えない匂いが、元気の感覚だった。
本家のおじさんは、夏休みにはいつも山に連れて行ってくれた。
「こういち。こん木が太うなった時は、お前達は安心して生活でくっばい。見てみろ、こん杉ば、よか杉やろうが。」
美しい杉林だった。その時から既に大きい杉で、おじさんは大切に育てていた。
ひんやりする、木陰、杉の匂い、沢の匂い、未来が詰まっていた。
   
  そして、長野のカラマツを通じて、林業の今を知る事になり、全く別ルートで、南雲さんが杉と関わる事になる。僕は、何かを置いてきた気がした。使命感に満ちたものが込み上げてきた。あれから、何が変わったのか?相変わらず杉は、大きくなり、山は美しいままだ。しかし、まちからは、あの音も、匂いも、元気もなくなってしまった。
先人達の努力や苦労が何も価値にならなかった。何が潜んでいるのか?
そして、それを知る事が、日本全国スギダラケ倶楽部の始まりだった。
   
  今回の、長野との繋がり、それは友人(森のライフスタイル研究所の竹垣さん)の依頼で、長野県のカーボンオフセット事業の取り組みを紹介するセミナーを、当社の会場で行った事がきっかけだった。スギダラケな会場の説明を15分くらいでということで、日本全国スギダラ倶楽部の説明をしたのだった。会場の雰囲気に合っていたのかどうかは定かではないが、その後、県庁の方々と、長野も杉がある、なんとかしたい、という話の中、栄村の話になったのだ。僕は栄村が何処にあるのかさえ解らなかったし、何かできるかどうか定かではなかった。公式というより、スギダラツアーってことで、皆と知り合う事を旨とした。そして、企画が現実になるにつれ、思った事、それは南雲さんを外せないということだ、なんせ、南雲さんの地元に近い。
南雲さんが来る事を前提にツアーの企画を進めた。しかし、現地に行ってそれは、予想をはるかに超えたツアーになったのだった。
   
  行きすがら、南雲さんの実家への道を思い出し、ここから何処で長野になるんだ?と思いながら、新緑の眩しさに、目を奪われつつ待ち合わせ場所に向かった。そして、今回の仕掛人である、長野県のメンバーと出会った。
そして、栄村、秋山郷、森を見て回った。素晴らしい景色、そして、苗場山等の険しい山から広葉樹に変わり、杉林そして田園に変わって行く姿が一望に見える。本当に美しい。
ツアーの度に「日本全国スギダラケ倶楽部じゃなかったら、来れなかった」って毎回思う。
そして、今回ぐらいそう思った事はない。
   
  ハッとする様な大自然の中に杉が逞しく生きている。何故にそこまでして植えたのか?しかも、雪深く、生育が困難で、根が曲がってしまい雪の重みや試練に耐えたものだけが急速に上へ伸びて行く。だから根は太く、しかも雪との戦いで楕円になる。不思議な形をしている。そして、太い根っこは、使い道が無い。
   
  栄村から、秋山郷への道のりは本当に美しい景色だった。様々な自然と生命が息づく力に圧倒され、息をのむ。しかし、秋山郷では、かつて厳しい自然の中で、飢餓があり、口減らしがあり、姥捨てがあった。そして、村そのものが消滅しながら、人がこの地で生きてきたという話を聞いた。おそらくそんな事は想像できないほど水は美しく、緑は豊かだ。
何がここに潜んできたのか、そして何をもって生きてきたのか思い馳せる。
   
  南雲さんが熱っぽく語っていた江戸時代の文人、鈴木牧之(すずきぼくし)の絵を見て僕は驚いた。巧みな描写、そしてそう風景がそこにある様な人々の暮らしと、今も変わらない山々。絵と言葉で綴られることで、当時の様が見えてきそうなのだ。残念ながら、読めないので、内容は解らない。どんな事が書いてあるか知りたくて「秋山紀行」現代語訳を買って読んだ。さらに、感動してしまった。当時の生活や、人々の生き様が活き活きを描かれていた。鈴木牧之の文章は淡々としているのだが、映像になるぐらいの繊細な表現で、ユーモラスで、そしてオープンなのだ。実にモダンなのである、時代を全く感じさせない。
  「秋山には夜具がなく、薪を燃やして暖炉のそばで寝る、夜中起きたものが火をつくろい、朝まで焚き続け、火の温かさを、たよりに寝ます。焚き火から離れて寝る人は叺のなかに入って寝ます。夫婦はとりわけ大きい叺に一緒に入って寝ます。」
山には沢山の燃料がある。完全に地にあるもので、生活が動いている。震災や雪害で陸の孤島と化した時ですら、何ら困らずに生活できた。今も薪の生活は脈々と続いているらしい。
「この村は、決して外の人と結婚しない。村の娘が、万が一、里の人と結婚する事があったら親子親戚の縁を切り一生交際しない。」
疱瘡を恐れてか、はたまた、この地の文化を維持するためか、は解らないが、どこの家人も心優しく、丁寧にもてなしてくれたらしい。
「外見の身なりはみすぼらしいが、秋山の人々は追従もせず落ち着いて、里人と交際もせず、世の中を安楽と過ごそうとする心がけは、とても里人の者の及ぶところではないと肝に銘じ感じ入った。限られた地域内で争いごともなく、こと足れりとする賢者のすみかというべきだろう」
何と言うことだろう、今に通じるどころではない。
それ以上に、我々が見失っている何かを鈴木牧之はこのとき既に見抜いていた。
   
  南雲さんは学生の時に山岳部で、あたりの山々、里を巡り歩いていたらしい。学生のとき一人、この秋山に降り立った時、茅葺き屋根の当時の面影が沢山あったということだ。
「若ちゃんさ〜、ここはさ〜、まるでタイムマシンで異次元に来た感覚が当時はあったんだよ。何かさ、貧しいって感じはあるんだけど、とてもいいものがあった。その時と山や風景は変わっていないんだけどさ、家や生活が変わったんだね。なんだか寂しいよな〜」
「あのさ〜、色々のところにさ、絶滅した村の跡とか、廃屋とか、石積みとかあったんだよね〜凄くいいんだ、それ見たいな〜〜、ねえ関川さん行こうよ!!」
「ここいらはさ〜〜栃の実食べてたんだよね、あと山菜、これ食べれるんだよね、とにかく何でも食べる、ほら!!あっウド、ちょっと降ろしてウドウド!!若ちゃん採りに行こう!!ドウ?」
南雲さん、もう完全に血が騒いでいる、やはりこの地の何かがシンクロしている。僕は南雲さんに翻弄され急斜面を泥まみれになりながら一緒にウドを採った。
   
  南雲さんと関川さんの、この土地の話を聞きながら見る風景は、全く違って見える。それぞれの場に物語が存在し、当時の風景が重なり、活き活きと見えてくるのだ。知らないで観るか、知って観るかでは、感じるものや、見えてくるものが全く違うのである。明らかに、そこに新しい価値が浮かび上がって来るのである。
価値とは有るものではなく、見えてくるものであり、感じるモノなのだと思ったのだった。
そして僕は、当時の風景や、ここに住んでいる人達のことが、もっと知りたかった。そして何故、僕たちをこの地に県のメンバーが連れてきたのか?
何があるのか?
それは、この美しくも、厳しくもあるこの地の物語の後ろにあった。
僕たちが、学ばねばならない大切な人々の英知、生き方のような気がしたのだった。今、ここには存在しない、「語らない人達」の日常の真実。
時代を超え、心に染み入ってくる何かだった。
   
  僕と南雲さんのセミナーの後の、オーストリア大使館のフィノキアーノさんの話。森林資源を素材として、エネルギー源として、再生可能な仕組みとして、教育を含め社会全体をデザインして行くということ。そして、県の皆さんや、栄村の皆さんが感じていたこと。
ここに来たこと。全てがシンクロしている気がする。
   
  目に見えることの裏にある、沢山の物語が織りなす価値を、今見える風景にどう照らしてみるか?私たちは先人達が当たり前のように生活し、伝えてきた何かを忘れすっかり見えなくなってしまっていた。そして、便利で簡単で合理的という視点だけで全てを見ていた。だから、この地にあるもの、僅かに残っているコトの価値の匂いは感じるのだが、見えないのだ。
鈴木牧之は、ここに会った美しい価値や、真実が見えていたし、事実ここにそれがあった。そして南雲さんや関川さんや、県の皆さんや、地元の皆さんはそれが見えていた。だからここに呼ばれたのだ、そう思った。
   
  僕たちは、現実や、今存在する価値にまみれ、今を全うするあまり、それが見えなくなってしまった。大切なものは、未来にあるのではなく、私達の足下に、この地に、私たちの心の中にあるのだ。
僕たちはそのことを先人達に学び、もう一度見えるようにしなければならない。
それが僕たちの使命であり、デザインなのだと痛感した。
   
  そういう意味では、やはり鈴木牧之は偉大なデザイナーだった。
さあ、僕たちが何が出来るか?
栄村の皆さん、県の皆さん、面白くなりましたね〜〜。
そして、南雲さん、現代の鈴木牧之(すずきぼくし)、あっ南雲勝「之」似てる!!って?
また新しい未来が生まれようとしている。
   
  この企画を創って頂いた皆さんへ感謝の気持ちを込めて。
   
 
  長野県栄村 秋山郷の民家。廃屋になった民家と今風になった民家が混在する。
 
  美しい景色に圧倒され、息を飲む。
 
  長野県職員のみなさんの、栄村の話を聞きながら見る風景は、全く違って見える。
   
   
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
『スギダラ家奮闘記』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
『スギダラな一生』web単行本:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
Copyright(C) 2005 GEKKAN SUGI all rights reserved