短期連載
  佐渡の話2 〜笹川十八枚村物語〜 /第2話 「The Sense of Wonder」
文/写真 崎谷浩一郎
   
 
 
  2年前、僕は何かをやり残したまま、佐渡から離れていた。僕らのやったことは、本当に地域のためになっていくのか。よそ者である僕らの思いは地域の方々の心に届いていたのだろうか。皆と一緒にひとつの場所をつくりあげたと言えるだろうか…。そんな思いを巡らせていると、やはり、何かやり残したことがあるような気がしてならなかった。だから、再びこの島でこの島の人々と一緒に何かをやる、ということは僕にとっても大きな意味のあることであった。
   
  2011年10月、南雲隊長と僕は再び佐渡を目指して東京から新幹線で新潟へと向かった。新潟港で県のOさんと合流して、我々を乗せた佐渡汽船のジェットフォイルは薄曇りの中を進む。1時間ほどで両津港に着くと、今回の仕掛人、市のWさんが晴れやかな笑顔で向かえてくれた。両津ターミナルの雑多な土産物売り場を通りながら、イカ徳利を横目でチェック。両津で昼食を済ませると、我々は早速西三川、笹川集落へ向かった。とりあえず、今回の目的は集落の雰囲気を「感じる」ことである。
   
 
  ジェットフォイルの窓からの景色は鉛色の海と薄曇りの空
 
  両津ターミナルの雑多な土産物売り場。写真左は佐渡市のWさん。
   
   
  両津から1時間弱、集落へ向かう道路の入口部に「西三川ゴールドパーク」という砂金採り体験施設がある。西三川は古くは砂金山で栄えた集落だ。明治5年の閉山以来、砂金採りはやっていないが、こうした体験型施設があり、多くの観光客や修学旅行生が砂金採りに訪れる。施設の運営をしているのは佐渡汽船グループの子会社で笹川集落の方々も何人かはここで働いている。
   
 
  西三川ゴールドパーク。初めて訪れた時は中には入らなかった。
   
   
  ゴールドパークから5kmほど山道をいったところに笹川集落はある。集落の入口には金山守護の大山祗(おおやまずみ)神社がある。文禄 2(1593)年の創建と伝えられ、金山の安全と繁栄を願って建立された。佐渡には能舞台を持つ神社が多くあるが、ここも境内を観客席にした能舞台があって雰囲気がよく、舞台を使ったミニコンサートなども行われている。狛犬の台座の石に目をやると『北海道室蘭市、砂川、、』とある。聞くと、笹川と北海道で物資や人の行き来があったという。江戸末期には幕府の命により、砂金採掘の技術を伝えに西三川砂金山から蝦夷地へ人が派遣されたという記録も残る。そんな時代から、遠く北海道と笹川が繋がっていたとは驚きだ。
   
 
  大山祗神社
 
  狛犬の台座の石に刻まれた北海道の文字
   
   
  神社の他にも、集落内の家々や石垣(これは砂金堀りで山を崩した際に出たガラ石を積んだもの)全てが時間の蓄積の中でこれ以上無いってくらい味わいを持った風景になっている。だいぶ痛みが激しいが大山祗神社前の茅葺き屋根は金子勘三郎家で、当時西三川砂金山の名主であった。西三川砂金山の歴史的資料はそのほとんどが金子勘三郎家所蔵である。
   
 
  ガラ石による石積みと朽ちた家
 
  金子勘三郎家。道沿い手前から便所(瓦屋根)、納屋、牛納屋。母屋は道から奥へ入ったところにある。
   
   
  道ばたの畑に目をやるとキャベツやネギが植えられている。
『昔、笹川でネギを抜いたらその根っこに砂金が着いていて、それで砂金掘りが始まったらしいですよ〜』とWさん。
『え!じゃあ今でもネギ抜いたら根っこに砂金が付いてた!みたいなことがあるんですか!?』と興奮気味の南雲隊長。
   
 
  畑に植えられたキャベツ。右手にネギも見える。
   
   
  ネギの話は嘘か本当かわからないが、昔は山を削って川の流れを使ったりして砂金を採っていたということで、よし、じゃあその川へ行こう!ということに。確かに、観光施設で砂金採り体験もいいけど、やっぱり採るなら本物の現場で採りたい。ちょっと前までは、この西三川川でも砂金採り体験をやっていたというから、可能性はゼロではない。早速、川に入って砂金採りが始まった…が、もちろん、そう簡単に採れる訳ではない(笑)。ちなみに、川縁にはシダが生えていたが、金や銅などの重金属を好むヘビノネコザ(シダ植物)やトクサ、ヨモギなどの植物は鉱山発見の手掛かりだという。
   
 
  辺りに落ちていた板をゆすり、砂金を探す南雲隊長
 
  確かに水辺にシダが生えている
   
   
  砂金採りを諦め、次に僕たちが向かったのは、今は使われていない集落の昔の道であった。荒神山(あらがみやま)といういかにも厳つい名前の山の脇を通る草ボーボーの道だが、草を掻き分け進んでいくと、机上では得られない感覚が呼び起こされるのを感じる。まずは徹底的にその雰囲気を身体に染み込ませることも現地を「感じる」方法のひとつである。『相川のときもこんなことやったよなあ!笑』と嬉しそうに南雲隊長。一見、直接的には繋がりがないように思えることでも、現地でのひとつひとつの体験の積み重ね、出会いが感性を育み、その地域のためのデザインを生み出す源泉となる。
   
  『「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています』
これは、レイチェル・カーソンの著書「The Sense of Wonder」の有名な一節だ。レイチェルは、子供のころは誰もが持っている感じる心、情緒、感受性、美しいものや初めて見るものに触れた時の感動や賛美、慈しみや愛情を大切に育む必要性を説いている。大人になると様々な経験や情報が、この「感じる心」を閉ざしてしまう。しかし、人や人が暮らす地域にとって本質的なこと、生きる上での大切なことはこうした感性を働かせないと、偏ったつまらない考えや時には誤った方向を向いてしまう。古道を歩きながら、僕は地域にデザインという立場で関わる人にとっても、「The Sense of Wonder」は大切にすべき意識だと改めて感じていた。鬱蒼とした道を抜けると、僕らの目の前には平成22年4月に統合されて廃校となった笹川分校が現れた。
   
 
  草木で埋もれた集落の古道を歩く
 
  古道を抜けて現れた笹川分校。廃校になるまで120年間以上も地域の学び舎として使われていた。
   
  (つづく)
   
   
   
   
   
   
  ●<さきたに・こういちろう>
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