特集 天草高浜フィールドワーク2013
  スギダラな一生/第60笑 「はじまりのはじまり」
文/ 若杉浩一
     
 
 
  天草のワークショップ3年目、今までにない数と多才な人々が集まった。
いつもの九州大学の皆、スギダラケ倶楽部のメンバー、津高JR九州軍団、大手電子会社の吉田さん、韓国産業技術大学組、スマイルズの平井さん、建築家の大坪さん、某高級官僚の河野さん、日南市の健ちゃん、北山創研の久保さん、漫画プロジェクト代表 橋本先輩(高校の同窓)、スギコダマの有馬君、そして地元の方々だ。まあ随分なメンバーである。
   
  藤原先生の独自な運営の妙はあるのだが、結束の強さ、熱さ、真直ぐさ、そして連夜の酒宴。この、濃厚且つ人の距離を瞬間的に近づけてしまう波に飲まれ思わず、丸裸になってしまうのである。
何かに取り憑かれ、そして、何かを手づかみにするのである。
そんな、不思議なエネルギーが存在する。
   
  最初の年に、連れて行った倉内は、このイベントに参加して、帰りの飛行機でずっと興奮していた。その喜びと感動で、大きな声でずっと喋っていた。お陰で僕の前に座っていた、いかにもそれらしいオッサンから、倉内だけでなく、僕までどつかれてしまった。
飛行機を降りて、トイレに入った倉内を追いかけ、後ろから小突いて
「こりゃ〜お前。いい加減にせんかい、飛行機の中でうるさいんじゃ、お前の声でこっちは、眠れなかったんじゃい。ぶっ殺すど〜〜!!うりゃ!!」
今度は、続いて僕だ、
「こりゃ、あんた、先輩やろ、上司やろ、後輩の注意せんかい!!あんたが周りの気にしとったの知っとったが、ダメやろ〜あんた、ちゃんと教育せんかい!!」
二人してドヤされ、小突かれたのだ。
「早く逃げ帰ろう」そう目配せし、大声を上げるやばいオッサンにひたすら謝り、倉内は、ようやく興奮から覚めたのだった。
「いや〜参った!!俺やばい感じがしたんだよな〜チラチラ見てたもん、オッサン。舌打ちしながら。お前、あの殺気、よく気付かんかったんか。」
「すんまっせん、そうすか?全然でした。」
「まあ〜いいや、とっとと帰ろう!!参った、参った。」
   
  僕は、一人バス停に向かってとぼとぼ歩き、帰りのバスの列に並んだ。
何故か、いやな気配がした。そして、ゆっくり隣を見た、向こうもほぼ同時だった。
「あ〜〜〜っっっっ!!」
「何や〜〜〜あんた!!!さっきの奴!!」
「ああああああ、すんません、先ほどは〜〜」
またまた、さっきの怒りが戻って来た。全くついていない。
「ほんと済みませんでした、スタッフが興奮してましたもんで〜」
「ちゃんとせんかい、ほんま、どついたるど!何やお前!!」
「こりゃ、たまらん、逃げられん。」そう思うと僕はとっさに、
「ところで、先輩!!察するに、音楽とか何かクリエイティブな事をやられてるんですか?普通の人とは見た感じが違うもんですから。」
よくこんなことが思いついたもんだ、どう見ても水系のビジネスの方だろう。
「いや〜〜まあ〜〜そんな感じだ。解るか?」
「いやな〜〜・・・・」この後、長い自慢話が続いた。
「早くバスよ〜〜〜来い〜〜」
僕は、話しを虚ろに聞きながら、時を過ごした。
「ところで、あんた、流石やないか、あのアホもあんたを尊敬してたもんな。いやすまんかった。頼む、次は、なああ。お互い九州人としてな〜」
気付いたら、すっかり仲良くなってしまった。
おまけに、この人は、何だかんだ言いながら、僕らの話を、じっくり聞き入ってた訳だ。そして、このぎこちない長い時間の後、僕らは、バスの終点で挨拶をして別れた。
「また、会おう!!」
「二度と会いませんように」
僕は、引きつりながらの笑顔で、心の中で呟いた。
随分、前置きが長くなった。つまりそのくらい不思議なマジックが起こるのだ。
   
  そしてそれから、今回が3回目のワークショップである。
今回のワークショップを迎える前に、僕は長野の栄村に行った。そこで、沢山のことを教えてもらった。
私達が忘れてしまった、本質や、豊かさは、遠い未来にあるのではなく、私達の足下に、体の中に潜んでいることを。そして、その英知を、捨てて来た歴史が、今につながっていることを。
私達が、便利で、簡単で、安全で、解りやすい見える豊かさを求め、走り続けた結果が地域や、ここ天草にある。この僕だって正しく、その一人だ。
   
  しかし、栄村にも、高浜にも共通に存在する豊かさは、それとは全く別物だった。
社会や自然と接して生きる英知や喜び、そしてそれを支え、伝える力である。
お金ではない、目には見えぬ、古くて新しい価値軸の存在なのである。
おそらく、永い間、そんなふうに普通に生きて来たのであろう、だから、見た瞬間、接した瞬間に言葉にはできないが「こうして、生きて来たんだ、これが大切だったんだ。」甦るものがある。
しかし、幸いにも、その英知を、伝えるすべを栄村も、高浜も持っていた。
それは、鈴木牧之であり、上田宜珍である。
そのことを伝え、残した、偉人が存在したことである。
何も変わらない毎日の積み重ねの中で、この地の魅力を見いだし、編集し形にした、不易な力を持った偉人の存在である。
しかし、地元には地元の当たり前があり、毎日がある、それを背負いながら、社会を見つめ、不易なモノを背負う勇気と究極のおせっかいを誰がやるか。
誰も期待しない中で、たった一人で立ち上がる変態性なのである。
しかし、その、たった一人の存在で、世界が変わるのである。
   
  今年は、現代の宜珍の伝道師 田中さんと、高校の先輩である橋本さんと一緒のチームだった。
そして、二人の知識と見識ある話を聞きながら、そのことを確信したのだった。ここには、生きる知恵、価値を作るということ、未来への生き方が、既に存在していた。僕達は、その存在に気付き、掘り起こし、手にし、もう一度、伝えなければならない。さあ、やるしかない、究極のおせっかいを、そう思ったのだった。
   
  これは、多分、説明して、皆で合意して、一緒にやれることではない。一致団結なんてありえない。変態に変化するしかないのだ。
そう、文句の嵐、違和感の嵐、重しの嵐を、ひょうひょうとし、その場に立ちすくむことなのだ。
そして、このアホらしい行動には、あまりにも少ない一寸だけの結果がついて来る。
そして、そのアホらしい姿に、あまりにも少ない一寸だけの仲間が集まる。
そして、一寸だけの成果に一寸だけの仲間と、横たわる永い時間は、やがて大きな結果を生む。
大きなものは、こうして出来上がる、先人達がそうだったからだ。
横たわる時間の中で、何をやらなくても、今は衰退するだけだ。一寸の結果であることを受け入れなければならない。
   
  今回は、橋本さんのお陰で、
「なんの、企業(上田家)や、地域に頼らずとも、NPOにすればいい、段取りだったら僕が教えます、やろう!!田中さん!!」
「お〜〜そりゃいい!! で?名前は」
「う〜〜〜ん、高浜ルネッサンスの会」
「いい!!僕も手伝う」
「決まった!!」
「来年は宜珍祭で集まろう!!」「お〜〜!!」
この軽いノリだ。重く考えると出来なくなるが、やると決めれば、後は重しを皆でどければいいだけだ。
   
  こんなノリの中、藤原先生は今回のワークショップが最後であること、後は地元が決起するしかないということを最後にお話になった。
「これで終わるのか? これからどうするの?」そんな空気が渦巻いた。
「な〜に、今度は皆を呼びつけて、重しを一緒に持てばいい。配役と台詞を渡せばいい、もう動き始めている。」
そう思ったのだ。
   
  やりますばい、田中さん。
   
  残念ながら、上田宜珍の血、DNAは上田家の血ではなかったとですたい。
こん天草の血ですたい。
その遺伝子は、受け継いだもんがバトンば渡す宿命ですたい。
伝えましょうや、こん血ば、知恵ば、しあわしぇば。
みんなで、やりますばい、余計なお世話ば。
仲間は、変態ばかりですけん。
なあ、みんな!! 藤原しぇんしぇい!!
お〜〜!!
   
  来年の「宜珍祭」開催を夢見て。天草の現代の宜珍、田中さん。代官、橋本さん。Aチームの仲間、天草の皆さん、藤原先生始め九大の面々、そして沢山の変態の皆様へ感謝の気持ちを込めて。
   
   
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  プログラムAのプレゼンテーション資料
   
 
  最優秀賞を獲得したプログラムAのメンバー。
   
   
   
   
   
   
  ●<わかすぎ・こういち> インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 所属。
2012年7月より、内田洋行の関連デザイン会社であるパワープレイス株式会社 シニアデザインマネージャー。
企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長
月刊杉web単行本『スギダラ家奮闘記』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka.htm
月刊杉web単行本『スギダラな一生』:http://www.m-sugi.com/books/books_waka2.htm
   
 
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