連載
  続・つれづれ杉話 (隔月刊) 第25回 「賃貸住宅のレベルって」
文/写真 長町美和子
  杉について、モノづくりについて、デザインについて、日常の中で感じたモロモロを語るエッセイ。 
 
今月の一枚
  ※話の内容に関係なく適当な写真をアップするという身勝手なコーナーです。
 
  秋です。猛暑が去って空が高くなりました。
秋刀魚で熱燗。いいですねぇ。
   
 
   
  賃貸住宅のレベルって
   
  父が亡くなって1年半余り、がんばって一人暮らしを続けてきた母親だが、いろいろ無理が出てきて、悩んだ末に私の住む町に移り住んでもらうことにした。
   
  いやー、猫2匹+78歳のチンタイ探しの大変なこと! 私が今暮らしているマンション内に住んでもらえたら、それこそ「スープの冷めない距離」で好都合なのだが、都合よく売りに出ている住戸はなくて、1軒だけ貸しに出ていた住戸のオーナーも「猫はダメ」というので、泣く泣く近所で探すことに。やっと見つかった「ペット可」の物件はけっこうなお値段で、これだけの家賃が毎月払えるならローン組んで買った方がよっぽど負担が少ないのに、という広めのお部屋。でも背に腹は代えられない。私の財布からお金が出るわけじゃないし、とにかく一人で放っておけないし、母親がその気になっている今を逃すわけにはいかない、と腹をくくることにした。
   
  短期間でガーッとコトを進めたので、あまり細かいところまでチェックしていられなかったけど、内見した時には、明るくて広々してて、それなりの設備も整っていて、「いいじゃん!」と思った。でも、契約も済んで、実際にそこである程度の時間を過ごすと、少しずつ「これは……」という小さな問題点が見えてくる。それは、取材で建築家がきちんと設計した邸宅に行っても何かしら問題点を見つけてしまうようなタチだからしょうがないのだが、なんというか「チンタイだからこのくらいでいいだろう」という打算というか、よく考えられていそうで実は考えられてない使い勝手とか、ここに何を入れるんだという収納の奥行とか、樹脂で固められたようなフローリングの感触(「ペット可」なんだから当たり前だ)も含めて、なんかこう……居心地が悪いのである。
   
  加えて、これも当たり前のことだけど、壁を傷つけるフックや釘などのたぐいは打てないので、写真や絵も掛けられないし、近隣のもめごとの元になりがちな楽器の演奏も許されていない。軒の浅いベランダの窓からは夏の日差しが容赦なく入ってくる。規模的にはファミリータイプなので、小さな子供がいる若い夫婦が対象なのだろうけれど、もし自分だったら、「この子が小学校に上がるまでには、もっと自由に快適に暮らせる分譲マンションか一戸建てに移りたい」と思うことだろう。
   
  それで思い出したのが、学生時代の店舗設計の実習。講師のデザイナーが誰だったか思い出せないけれど、飲食店のインテリアデザインをよくやっていると言っていたその人は、「あんまり居心地よくつくると長居されるから、椅子が高くてちょっと疲れるとか、テーブルがちょっと狭いとか、冷房が効きすぎてるとか、明るすぎるとか、そのくらいの方が店にとってはいいんだよ。回転数が大事だからね」みたいな裏話を得意そうにしていた。そういえば、他の講義で来ていた某大手家電メーカーのデザイナーも同じようなことを言ってたなぁ。「家電なんて3年経ったら壊れるようにできてるんですよ。あんまり頑丈で、あんまり使い勝手がいいと、買い換えてもらえませんからね」。
   
  新規契約時には敷金や礼金が入るチンタイのオーナーにとっては、あんまり住み心地よくて長居されるよりは、2年ごとにどんどん住み手が変わった方がいいんだろうな、と、そんなことを思ったりもする。もちろん、出て行った後でアキが続くのは困るから、パッと見は「いいじゃん!」というつくりにしておくことが必要だ。なるべくコストを抑えて、メンテナンスにもお金がかからないような素材を選んで、でもキッチンは対面式でカウンター収納も充実してますよ、とか(笑)
   
  以前、仕事で会った人で「建築は『経験』だ」と言った人がいた。「一度、いい経験をすると、その次に住む(建てる)家のレベルを下げられない。だから、誰もが若い頃に経験する賃貸住宅の質を上げることが、日本の住環境のレベルアップにつながる」と。世界の20世紀のモダンハウスを研究する彼女は、啓蒙活動として国内の優良賃貸住宅のプロデュースも手がけていて、建築家やオーナーと組んで「自分が住みたい」と思える賃貸住宅を次々に計画実現させている。土間や高低差のある豊かな空間には、無垢の床材、左官壁、木製建具、風を通す簾戸、温水ヒーターなどが整っており、各住戸内だけでなく、玄関と外廊下とのつながりや、住民が立ち話ができるような共有スペース、まちの人が立ち寄ってくれるような仕組みづくり──1階をショップにしたり、料理教室にしたり──、通りを行く人も楽しめる開放された庭づくりまで考えられている。
   
  不動産業界では、賃貸住宅には「経年変化の美しさ」なんてものは通用しない、という考え方がまだまだはびこっているが、彼女は繊細な素材や仕上げを施すことに何の疑問も抱いていない。「本当に質の高い住宅だったら、愛着を持って大切に住もうと思うはずだし、次にそこに住む人も、前に住んでいた人の思いをちゃんと受け継いで住んでくれるはずだから」と。見た目の新品を装うためにビニールクロスを張り替えるのではなく、傷がつかないように樹脂コーティングされた固い床を張るのではなく、もっと別の視点でクオリティの高い住空間を提供して、それが賃料のアップや空き住戸の減少につながるのであれば、理解してくれるオーナーも増えるに違いない。長く住める優良な賃貸住宅(戸建てやテラスハウスも含めて)が増えれば、土地信仰や新築願望も薄れて、長い目で見れば建築のストックも増えていくんじゃないだろうか。
   
  母の場合、あと何年自力で暮らすことができるのか、最終的に行き着く場所がどこなのかわからないけれど、賃貸マンションを一時的な仮住まいと割り切って暮らす若い夫婦と違って、年老いた人たちは、施設に移ることになったとしても、子供の家の一室にベッドを与えられて同居することになったとしても、今よりレベルの高い住環境に恵まれる可能性は低い。そういうものなのかな、人生って。働き盛りにローンを組んで、住まいを得られたとしても、納得のいく環境に暮らせる期間は人生の最盛期だけ、というのは、なんだかおかしくはないだろうか?
   
  大きな屋敷に何世代もの家族が同居していて、敷地内に離れがあったりして、順繰りに見送られていくようなスタイルが今もあれば(今も続いている地域は多いんだろうし、それなりに嫁の苦労もあるだろうけど)、歳を取ってもずっと上向きの穏やかな暮らしが続行できるんだろうなぁ。こんな尻つぼみで下降していくような暗い気持ちで引っ越しの準備に追われることもないんだろうな、もっといい方法があったのかもしれないな、と、ついついため息が出るのであった。
   
   
   
   
   
   
  ●<ながまち・みわこ> ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
著書に 『鯨尺の法則』 『欲しかったモノ』 『天の虫 天の糸』(いずれもラトルズ刊)がある。
月刊杉web単行本『つれづれ杉話』:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi.htm
月刊杉web単行本『新・つれづれ杉話』:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi2.htm
月刊杉web単行本『続・つれづれ杉話』:http://www.m-sugi.com/books/books_komachi3.htm
   
 
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