7月杉話

あぶらつ木橋記(その1)

文/写真 小野寺康

杉の木橋? 今どきそんな橋がつくれるの? 都市設計家・小野寺さんが取り組む、屋根付き木橋づくりの現場を3回に渡って紹介します。

 

 そこにはかつて、木橋が架かっていた。

「方杖(ほうづえ)橋」といって、文字通り頬杖を突くように斜材が桁(けた)を支持するものだ。この失われた木橋をふたたび、という地域の人々の願いを受けて、宮崎県はその水辺に架橋を決めた。しかし、以前の方杖橋では現行の法規で許可を得がたいばかりか、耐久性に大いに問題があった。付近に似た形状の歴史的橋梁が一橋あるのだが、支持部材の根元が波に洗われてとろけてしまっているのだ。そんなものを、いかに歴史的な造作といっても、無責任に採用はできない。新しい形態にならざるを得ない。となると、どこまで歴史性を保持するかが重要になった。まず、木橋にしたい。次に、それを地域の伝統工法でやれないかと考えた

 この橋が架かるその水辺は、宮崎県日南市の港町・油津にある「堀川運河」だ。江戸期に開削され、昭和(戦前)にかけて築き上げられてきた石積みの運河である。延長900m、最大幅員36 m(平均27 m)のそれは、地場材である飫肥杉(おびすぎ)の集積・搬送を目的として建設された。開削された水路を石積み護岸として仕上げたのは地元の有力者たちだ。「請願工事」といって、川沿いの地元民が行政の許可を得て、独自に石積み工事をつなげてきた。だから、調べてみると石垣は微妙なバリエーションを得ながら、様々な年代でつながっている。
 この運河は、やがて港湾機能の充実とともに、木材のみならず海産物の輸送拠点として発展するようになった。しかし、戦後の陸運の発展とともに水運機能が衰退し、街の賑わいも次第に遠のいていった。
 いまこの油津・堀川運河では、歴史的な石積み護岸を復元修復しつつ、モダンなウォーターフロント・デザインを重ね合わせて、魅力的な水辺空間を現出させようとしている。港湾機能は衰退しても、「風景」としての潜在力はまだ十分なのだ。石垣護岸の修復はすでに第一期の最終局面を迎えている。ウォーターフロント・デザインも整備が進んでいる。その白眉となるのが、この木橋、方杖橋改め「象川橋」の再生なのだ。
  昨今、公共事業で木橋を架けるというと、集成材をボルトやジベル(接合金物)で組み立てるのが一般的だ。しかし、ただ木橋を架ければいいというものではない。わずかでもこの木橋に、まちの人々の郷土への想いを結晶化したかった。また、「杉」という地域素材の活用方法に明確な道筋も見出したいと思った。
  可能な限り、地場の材料と伝統の技術でそのまま架橋しよう。つまり地場材の杉で、さらに集成材ではなく製材で、地元の職人たちの手によって、彼らと会話を積み重ねる中で架橋できたら――。
  飫肥杉は、柔らかい上に脂分が多く、かつて和船の材料として重用された。その船大工の伝統技術は、まだ地域に潜在している。それを掘り起こしたかった。職人たちの住民参加、と僕らは呼んだ。

 
現在の油津 堀川運河

油津 堀川運河施工前(上)と施工後(下)

  そんな「ものづくり」、「まちづくり」の現場を、雰囲気も生々しく、数回に分けてここにお伝えしようと思う。

 木橋が架かる緑地広場のイメージスケッチ

 緑地広場の中の木橋(模型)

□はじめのかたち――屋根付き橋という選択
 この橋を、「屋根付き」とすることにした。

 きっかけは、設計案の住民説明会で出された、地元のご婦人の素朴な意見からだった。日南市の日照は強烈なので、屋根があれば日陰で水上にいられていい。木橋の耐久性も向上するだろうと仰る。
 この地に屋根付き橋の伝統はないから、私は最初「それはないんじゃないの?」と思ったし、そう発言もしたのだが、設計条件に対する解答として合理的だということは初めから明白だった。だが橋梁自体は10mそこそこの小橋であり、集成材なら単純桁で終わってしまうほどの規模である。この長さで屋根を架けると、プロポーション的に間抜けでちんちくりんなものになる。
「それでは、いっそのこと伸ばすか」と思った。

 両側に屋根を伸ばすことによって橋梁の存在感が上がるし、広場空間に建築的な空間が絡み合う面白さも出るだろう。やってみると、橋長10mそこそこなのに、屋根が45mある。屋根付き橋というより、「橋付き屋根」といった方がいいくらいのものだ。
 次は構造。もとより集成材で設計する気はない。繰り返すが、架橋するのが目的ではないのだ。これを契機に、地場産業である木材利用の可能性を徹底的に追求しようと考えていた。
 


木橋の模型写真

 

その実現のために、日南市と宮崎県の合同による「油津木材WG(ワーキング)」が編成された。メンバーは、宮崎県と日南市のほか、設計者として私と構造設計家の岡村仁氏(空間工学研究所)及び腰原幹雄氏(東京大学・助教授)、地場産業から森林組合と製材組合、さらに木材メーカーや工務店の職人たちだ。これに宮崎県の木材利用技術センターが全面協力している。この木橋をケーススタディに、木材の利用供給システムを考えていくのが目的である。そこまでやらないと、公共事業では維持管理が安定しない。

 設計原案ができた。

 委員会の場で公表された際、このデザインが地元説明会の意見を受けて変更した結果であるということは、もちろん申し述べた。実は、広場のデザイン自体も、やはり地元との直接会話の結果、デザインを全面変更している。油津のまちづくりでは、最初に地元の意見を聞いて案をつくるのではなく、まず専門家として「これでどうだ」という「推奨案」を提示して、いきなり地域にぶつけるというやり方をしている。ただし無理強いはしない。もしさらにいい意見が出たら、ためらわずに変更するというやり方だ。この方法だと話しがなかなか進まず、手間もかかるのだが、間違いなくいいものができるし、住民にも「本気で自分たちの意見を聞いてもらった」という手ごたえが残る。

 木橋の話だ。本格的に設計のとりまとめにかかろうという矢先、事態は思いもかけない展開を見せ始めた。宮崎県の担当者から連絡があって、「日南市まちづくり市民協議会」のメンバーであり、地元大工の熊田原(くまたばら)正一さんが、「協議会」のイベントとしてこの木橋の模型をつくりたいといってきているという。
「模型? いいじゃないですか。」
「実際に飫肥杉でつくるそうですよ。」
「それはますますいい。是非お願いします。ところで縮尺はいくつですか?」
「五分の一だそうです。」
「……。五十分の一でしょう? あるいは十五分の一か? 五分の一だと何メートルもの大きさになってしまいますよ」
「いや、五分の一」

 
地元職人による1/5スケールの模型の製作現場。

 そんなわけないよな、と思ってしばらくしたら、やがてその「五分の一模型」は、デザイン会議の会場にも持ち込まれた。全長4mに及ぼうという巨大なそれは、もはや試作品といっていいものだった。

----つづく

●〈おのでらやすし〉・都市設計家,小野寺康都市設計事務所・代表
デザイン会議会場に持ち込まれた完成模型。
   
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