連載

 
杉スツール100選 第4回 「おまけ」
文・写真/南雲勝志
美々津のバンコ
 

 美々津は3度ほど訪れたことがある。次号原稿を書いていただく予定の建築家の武田光史さんに誘われていったのが最初だ。「日向のプロジェクトに関わるんだったら美々津を見ていないなんてもぐりだ! まず美々津の”バンコ”を見るように。」と言われ連れて行ってもらったのが最初だ。
武田さんは宮崎出身、親戚も美々津にいて知り合いもいる。おかげでまちの事、家の構造の事などいろいろ丁寧に説明をしてもらった。
さてバンコであるが武田さん曰く”なにやら危ない名前”とか言っていたが、ボクは愛着のある名前だと思っていた。
 実際に通りを歩くとその数は想像していたよりずっと多く、通りにひとつの風情をつくっている。通常は住宅の壁に収納される。収納といっても折り上げるだけであるが。使用する時は縁側のように路地側にはみ出す。
中から見ると縁側はなくバンコ部分だけが路地にはみ出す。たぶんそこは通りを歩く人の社交の場になり、港が繁栄していたころはずいぶん人が溢れていたことだろう。
では何で折りたたみ式か?ここからは想像であるが、畳むことで路地が広く使える。これは有事の際、たとえば火災時における消化活動、たとえば参勤交代など、とにかく通りに何も出っ張らせなくする。ひとつは折りたたむと戸を開けにくくなり、網戸と合わせ防犯的な役割もあったのではないか?まあいずれにしろ、単におもしろいからだけではなく、きちんとした機能とセットで息づく時、それは文化を創ることになる。
 話はバンコという名前に戻る。何でバンコというんですか?一回目、二回目言った時に聞いてまわった。「さあ、何でかねぇ、しらないねぇ。」幾度かそう言われ続けたが三度目の時、再び聞いてまわる。その時、おばさんが、「たぶんポルトガル語だと聞いたことがあるような...」それだ!どう聞いても日本語の発音ぽくない。バンコ、バンコ....そうだ、たぶんベンチだ。スペルも似てる。長崎だってポルトガルからカステラが伝わってきたんだ。海を越えて美々津にバンコ伝来はあり得る。帰って調べると確かにポルトガル語ではBANCOであった。

 
ここでふと考える、イタリアでbancoと言えば銀行が思い浮かぶ。銀行とベンチはどういう関係にあるのだろう?。少し調べてみた。Bankの語源であるBancoは、12世紀頃、当時世界の貿易、文化の中心地であった北イタリアの両替商が、両替のために広場に両替台(それがbanco、長いベンチ,長机、腰掛)をもち出して,その上でお金を並べ預金や貸付を行ったことが始まりらしい。そしてそれはなんとベニスの商人であったらしい。

 

バンコのあるまちなみ。
収納時のバンコ。防犯上の機能も持っているように見えるのだが。
オープン時のバンコ。収納された脚が開く。
ロックの方法は簡単木栓を指すだけだ。

●おまけのおまけ
 美々津は防火に関して気を使っている。過去何度かの火災の教訓を生かし、港から南に延びる3本の主道路に直交するツキヌケと呼ばれる二本の路地をつくった。これは延焼を防ぐため幅員を非常に広くとり、防火帯となっているのだ。そしてツキヌケノの角に共同井戸を設け防火用水にしていた。その空間がまた広場的な空間も作っている。
 それと関係あるかどうかわからないが、下の写真は消防舎前の杉ポールである。昔の電柱を思わせるが、まっすぐで高く、一本ものである。なにやらカッコイイ金具やリールがついている。確認したわけではないが、ボクの予想では使用した消防ホースを吊して干すための装置と見た。こんなに高くて構造計算は大丈夫なのだろうか?中に芯はあるのだろうか?とすぐ心配してしまうが、たぶんホース乾燥杉柱には構造基準はないと思える。
 美々津のまちはおもしろい。

屋根付き共同井戸


 
 
消防舎と杉ポール
  巻き上げ機から上部を見る


   
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