油津(あぶらつ)木橋記(その4)

文/写真 小野寺康

杉の木橋? 今どきそんな橋がつくれるの? 都市設計家・小野寺さんが取り組む、屋根付き木橋づくりの現場を3回に渡って紹介します。

 
 
□ まっさらな橋面
橋面の床板を留め付ける。つまりは、デッキ材の固定方法である。
通常のボードデッキなら、根太に床板を載せて、上から木ねじ留め(脳天打ち)するのが「常識」である。このとき5o程度の「目透かし」とする。木材の腐食の最大の原因は残留水分であり、いかに雨水を溜めず、さらさらと流すかがポイントだ。わざと隙間をつくって、床板から雨水を下に落とすのだ。
通常ならばそれでいい。床板の下はただ根太が走るだけであり、その根太もまた地盤から浮いているので問題はない。雨水はすぐに地盤コンクリート(土間)に落ちて、外に排出される。しかし、この橋梁の床下には、主構造である桁材――金物を使わず組み木で複雑に結合している――が並ぶ。無為にだらだらと雨水を落とすわけにはいかない。接合部にことごとく水が浸入してしまうだろう。
そこで逆に、デッキ材をきっちりと突きつけ、締め込むことにした。デッキを固めて「第二の屋根」とし、主構造を雨から守ろうと考えたのだ。
だが、デッキ材を突きつけると、毛管現象によって隙間を水分が走ることになる。結局は構造体の内側に水を廻すことになりかねない。それを回避するのに、床板の接合部分に特殊な加工を施した。「実(さね)」と呼ばれる、床材相互の接合材に、排水機能を持たせたのだ。
だが、それでも十分でない。
やはり、床板自体の強度を可能な限り維持し続ける必要がある。
そのためには、床板の留め付け方法が問題だった。下から床板は留め付けられない。人間は入り込めない。手も入らない。脳天打ちは、材の交換を容易にするが、水の浸入には最も弱い。和釘を使えば防水効果は上がる。それより、木栓でフタをするという工法がいいようだ。しかし、それでもいずれは隙間が生じて水の侵入口となるだろう。そもそも、金物でない納めにこだわりたい。屋内のフローリングならば、床材の側面で根太に斜めに釘打ちにし、次の床材を突き込んでいく。しかしこれは部分補修が困難だ――。
「そんなの、できるはずがない」
そういうのは簡単。とはいえ、「床材ごとに脳天打ち、その上に木栓処理。これ以外にない」というのが、一旦は木材WGの結論であったのも事実だ。
 

最終形は、またもや熊田原工務店が出した。
原寸試作を見れば、床板表面に一切の加工跡がない。まっさらな板がひたすら並ぶ。ただ床材を並べて置いてあるようにしか見えない。だが、外そうと思って引き上げようにも、横にずらし込もうにもびくともしない。まるで魔法のようだ。
種明かしをすると、数枚ずつの床材に、斜め方向に根太と結合する「蟻首」材を貫入するというものだ。(写真8,9)
斜め、というのがミソである。平面形状でハの字型にこの貫通材を使うことで、完全に固定される形状となる。実際に写真を見てもらっても、お分かりになれるかどうか。破損した場合は、さすがに床板一枚ずつの交換というわけにはいかないが、数枚ごとにきれいに外れる。
この発想は、実際に自らの手で、無数の材を刻んできた大工職人にしか出せないであろう。大工以外には、仮に思いついたにしても、実際にそんなことができるとは到底思えない工法なのである。もちろん過去にない納まりだ。

□ 腐らないシステム、腐っても対応しやすいシステム
「杉は、腐るのです」
今回のプロジェクトの最初で、宮崎県の木材利用技術センターの飯村豊部長が強く主張されたのはこのことだ。
現代の日本行政は、メンテナンスに金を掛けないことを求めている。なぜそうなのか、突き詰めて考えるとよくわからないのだが(だって欧米では一般的なので)、そうなのだからしょうがない。
当然、木材にも「腐らない」ことが求められる。
そのため木材の技術基準は、杉のような柔らかいものではなく、米マツクラスに相当するものとなっている。いうまでもないが、それでは国産材はいつまでたっても利用されにくい。「腐らない木」を求めていくと、結局使えるのは外材にならざるを得なくなるのだ。
南米のイペ材や西オーストラリアのジャラ材などは、比重が1.0に限りなく近い。つまりは水に沈みそうになるほど重く、そして硬い。こういう材は、通常のノコギリが利かないほどだ。電動ノコギリでなければ切断できない。木ねじというよりはボルトで結合するような代物だ。
これらの材は、見事に腐らない。近年完成した横浜・大桟橋のフェリーターミナルは、建物全部の内外装がボードデッキという、すさまじい構築物だが、その全てがイペ材である。国産材では、ヒノキであっても維持営繕できないだろう。
しかし、我々は杉を使いたい。だが、杉は腐る。

 

写真8

写真8,9  
恐るべし、伝統工法。数枚ずつの床材に、斜め方向に根太と結合する「蟻首」材を貫入するこのアイディアは、実際見ても、どうしてこんなことが思いつくのか、できるのか、驚嘆のきわみ。脱帽である。

写真10  
同じ飫肥杉でも、材によってこれだけ密度の違いがある。右の材は明らかにスカスカだ。きちんとしたルートで、適正な仕様を整理することによって、左のようなしっかりした材の供給が保障される。

むしろ、腐ることを前提に設計を考え、メンテナンス方法を考えて、誰もが納得できるシステムをつくることができたら――しかも、最も柔らかいとされる飫肥杉でそれを実現したら、国産材利用の考え方を根本的に転換させることにもなりうる。飯村部長は、そう主張されたのだ。(写真10)
「腐ることを前提に考えるシステム。主部材は20年はもたせたい。しかし、床板は期限を決めて交換を前提にする。手摺りはさらに短い。あらかじめそういう前提のルールをつくり、体制を整えていけば、後から行政的な問題にならない」
どういうことか?
地場材で木橋を造ります。それはいい。最初は誰もが反対しない。壊れたら交換する、それで地場産業に金が落ちていいではないか、という意見は、じつのところは建設当初だけだ。後年になり、出来上がった木橋をメンテナンスする段になって、必ずこういう意見が出る。
「なぜ壊れるのだ。設計に問題があったのではないのか。」
「地場材振興といっても、特定業者に金が流れるだけではないか。そもそも、なぜ林業だけが優遇されるのだ。これから先、いつまでも特定業者に税金を投入し続けるのは問題だ」
逆に、こういう意見は建設時には出にくい。
だから「後のことはどうでもいいからとにかく地場木材で造れ」という無責任な圧力で、ろくな検証もせずに地場材を使わせたがる風潮も出てくる。
これに屈するのは容易だ。
腐るからやめましょうと、行政を説得する設計者はまだ良心的である。
「あれは、地場材を使ってくれというから入れただけだ。自分に責任はない」
後になって、そういいわけする設計者は、いる。
それがいやだった。
今回、飫肥杉をベンチやボードデッキ、そして橋梁に使おうと決めた段階で、この問題について真っ向から逃げずにやってみようと思ったのは、そんな設計者にはなりたくなかったからだ。無責任に好き勝手な「デザイン」を放り出して、そ知らぬ顔を決め込むほど、気が強くなかったということかもしれない。どちらでもいいが、ともあれ、この木橋「(仮称)象川橋」を、飫肥杉を使って日南・油津の風土に確実に落とし込むには、ただ図面を描くだけではすまない、ということが分かっている以上、設計者としてやるべきことをやろうと思ってみただけだ。

写真11、12
主要部の模型。橋の中央部には、このようにベンチがつく。デザインはいよいよ最終局面を迎えている。

□ はじまりのおわり
よくいうのだが、「いい現場」は、誰もが「あれは自分がやった」「自分が関わったからこそこれができた」というものだ。それでいい。工事に関わった職人さんが、竣工後に自分の子供の手を引いて現場を訪れ、「これはお父さんがやったんだ」と胸を張れる現場こそ、望ましいものだ。
逆に「だめな現場」の場合、「あれは私は関係ない」「私はやめろといったのだ」という会話になる。
いいデザインは、必然的に「いい現場」になる。そう思っている。
だが、いつの間にかこの橋梁造形は、すでに単一の設計者の技量をはるかに超えた。

 
多くの人々の想いや情熱を受け止めて、自律的に成長しつつある。どこまで高みへ上れるのか。私自身がそれを見てみたい。
現在、施工現場では着々と橋台の工事が進行している。橋梁本体の施工は、いよいよ来年度からだ。
完成した木橋は、日南の強い日差しの中で、心地よい日陰と、飫肥杉の豊かな質感を与えてくれるだろうか。木橋の中央には、水上に合わせてベンチも造る予定だ。
日南の市民の方々は、そこに腰掛けてくれるだろうか。
願わくば、そこにはろばろとした風が吹けばいい。
南国の陽射しをいっぱいにはらんだ、日南の風が――。
●〈おのでらやすし〉・都市設計家,小野寺康都市設計事務所・代表
  写真13  
現場は着々と護岸工事が進んでいる。歴史的石垣の復元が全貌を現しつつある。



※小野寺さん怒濤の解決編、3回の特集+1お疲れさまでした。そしてありがとうございました。完成の暁にはまたぜひ登場していただき、感動の完結編よろしくお願いします。スギダラ活動もよろしくね。(雲)

   
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