特集 油津 [前編] 夢見橋ができるまで

 
続・油津木橋記<完成編>(前編)
文・写真/ 小野寺康
 
 
 

「風速55mを越えた!?」
この屋根付き木橋の最大の懸念は地震ではない。風だ。
――2007年7月14日。
大型の台風4号が日本列島を席巻していた。風速40mともなると、もはや人は立ち歩けない。家屋の壁は外に膨らむような形できしむ。50mを超えると通常の木造家屋は倒壊の危険にさらされる。実際この台風4号の後、宮崎空港の駐車場では、暴風に自動車が吹き寄せられてしまっていたという。
風速55mは、台風のメッカである宮崎県日南市にしても観測史上空前である。この橋の耐風強度は60m。許容範囲内とはいえ限界に近い。さらに、完成した状態ならまだしも、竣工式までまだ1ヶ月以上も残している。施工の途中で台風が来ることを何よりも恐れていた。
そして、悪魔のようにそれが来たのだ。

   
   
  □ 屋根を仕上げる――コケラ葺から銅板葺へ
   
  2年前――2005年の夏から秋にかけて。
1スパン分の原寸試作を前に、ディテール詰めは最終段階に入っていた。
熊田原(くまたばら)工務店の事務室に、宮崎県油津港湾事務所や日南市の行政職員と、南那珂(みなみなか)森林組合の皆さん、石工の井野畑(いのはた)さん、地元の建築設計士・作田(さくた)さん、宮崎県の木材利用センターの諸氏、設計事務所として小野寺康都市設計事務所と構造設計担当の空間工学研究所といった、いつものメンバーがCGと部分試作を前に議論を続けていた。
東京の構造設計事務所・空間工学研究所からは、例によってCADで描かれた設計図と解説用のCGが提示され、これに対して、熊田原工務店からも原寸模型で検討案が出てくる。コンピュータvs.現物、デジタルvs.アナログ、近代科学vs.伝統工法。エキサイティングな「試合」が続いていた。
この日、ついに主要部から釘やボルトといった金物は完全に駆逐された。すべてが貫(ぬき)や込み栓といった仕口による木組みに統一された。金物は、せいぜいが屋根の細部材を留めつける程度となった。主部材には一切金属がない。
11月には、設計の全容がほぼ整えられた。
最後に残されたのは屋根のディテールと防腐処理の仕様である。
まず屋根は、コケラ葺きで考えていた。薄くへいだ(「そぐ」ではなく「へぐ」という)割り板を深く重ねながら整えるものだ。桂離宮の屋根もこれである。一般にはヒノキやサワラなどを使うが、杉でできないかと考えていた。
重厚な瓦葺きは最初から念頭になかった。もちろん藁葺きはありえない。モダンにガルバリウム鋼板葺きも考えないではなかったが趣きに欠ける。モノトーンで渋く、そして端正に仕上げたいと思っていた。
でも、なぜコケラ葺か。
「だってかっこいいですよ」と私。
そんな程度。
   
  福井県・永平寺
  コケラ葺の例(福井県・永平寺)
   
 

2006年2月に、熊田原さんが宮崎県の担当者と一緒に、京都へコケラ葺きの視察に行かれ、ワーキング会議でその報告があった。
「うーん、どうも、やめたほうがいいかもしれませんね」
行ってきた熊田原さんや油津港湾事務所の感想である。
まず、葺き板を杉でやろうとすると、耐久性を考慮してある程度の厚みが要る。そうなるといわゆるコケラ葺の端正さは失われ、野暮ったい仕上がりになってしまう。だが、それ以上に問題なのは、やはり耐久性だった。
コケラ葺もきちんと施工すれば十分強度は出るのだが、何しろ日南は台風のメッカだ。文字通りの暴風雨が、一度ならず繰り返し来襲するこの地において、一枚も破損しないという保証はない。そして、コケラは、一枚外れるとそこからばらばらと被害が広がりやすい性質があるという。
やはり無理か。
メンテナンスにも限度があるだろうと思った。そこで、改めて地域の歴史に学ぶことにした。
日南海岸に鵜戸神宮がある。
神話の中で、山幸彦(彦火火出見尊=ヒコホホデミノミコト)と結ばれた豊玉姫命(トヨタマヒメ)が鵜戸の霊窟に急いで産殿を造って産もうとしたが、屋根の鵜の羽の茅も葺き合わぬうちに誕生したことから、御子(御祭神)は「ウガヤフキアエズノミコト」と名づけられた。そんな縁起の神社は、海が望める岸壁の洞窟に本殿があり、その手前にもいくつも社殿があって、境内の威容を誇っている。そして、これらの社殿すべてが銅版葺きなのだ。
強風にさらされる風土に対応して、軒裏まで回りこんできっちりと固められている。
すでに何度か訪れたことのある場所だったが、改めて訪れると、その建築の造作の精緻さやディテールの堅牢さに見るべきものが多かった。
潮風にさらされ続けるこの場所に耐えるには、なるほどこの形か。

   
  鵜戸神宮の社務所
  鵜戸神宮の社務所も銅版葺き
   
 

そういえば、油津の旧市街にある、登録文化財指定を受けた「杉村金物店」も外装に銅板を使っている。
銅板葺きにすると決まれば、トップライトの仕様も、木サッシュの銅板仕上げにすることが可能だ。実はトップライトの素材も悩んでいたのだ。
トップライトだけはメタルか、とも思っていた。スチール、といっても熱間押出形鋼という、自由に断面加工ができる鋼材を、リン酸亜鉛処理で仕上げることを考えていた。亜鉛の素材色そのままに、ややムラのあるガンメタリック色に仕上がる。シャープで質感がいい。
だが一方、表情が硬質すぎると思っていた。地域性を反映しないところも面白くない。どうも決め手に欠けると感じて、なかなか図面にまとめられないでいた。
銅板を使うことで、結局トップライト部材も木製とすることが可能になった。統一のディテールとなってデザイン的に収まりがいいのは、いうまでもない。
ディテールも決まった。立面形状、断面形状とも、屋根はその端部において、ほんのわずかに内側に倒し込まれている。屋根の稜線がかすかにツンと突き出る風情だ。これで形状が引き締まり、品格が出る。
屋根のディテールが整った。

   
   
  □ 破壊試験、石屋のつぶやき
   
 

2006年3月。木材の強度試験を、宮崎県木材利用推進センターでおこなった。
本来ならばもっと早くやりたかったところだが、諸事情によりずれ込んだのだ。
試験結果が良好でないと、根本的な部分で設計変更を余儀なくされる。おそらく大丈夫だろうとは思いつつも、一抹の懸念をしこりに持ちながら降り立った宮崎のその日は晴れた。

   
  宮崎県木材利用推進センター

宮崎県木材利用推進センター

   
 

都城市郊外にある木材利用推進センターは、いつ行っても立派な建物だと思う。瓦葺きの寄棟屋根の下は、ほぼ無柱に近い大伽藍となっている。これが事務棟で、他に作業所と実験施設も整っている。この広さを、数えるほどのスタッフで運営しているというのは何とも贅沢なことだ。
ここで木材や飫肥(おび)石の接合部の破壊実験をおこなう。
空間工学研究所の萩生田さんが、この実験の意図を丁寧に解説してくれた。
最初の実験は、最も懸念された飫肥石基礎と柱の接合部だ。石臼のように刳り込まれた穴に柱を落とし込み、それをさらに下部の「貫(ぬき)」で固める。石と柱の隙間には、クサビ状の木片を入れて締める。この状態で支柱上部を機械で握り、横方向に強くゆすって、基礎部材が破断するところまでやろうというのだ。

  破壊試験の説明をする萩生田さん
      破壊試験の説明をする萩生田さん
       
 

実験開始。左右にゆすぶられ、骨太の支柱がしなりだした。さらに少しずつ強度を増していくと、基礎石が震えだす。振動音が激しくなる。やがて、大きな破裂音とともに、石材がはじけ飛ぶほどに破断した。
我々は機械を止めて割れた断面を確認した。どういう形状でどこから割れるのかが重要だ。それが分かれば設計で対処が可能となる。
各々が破断した断面を眺めつつ、対処方法を議論していたとき、どうも石屋の井野畑(いのはた)さんが消沈している。
実験は実験なのだが、職人というのはそういうものではないらしい。やがて破片を持ってぼそりと
「負けましたねえ……」
実験と心情は別物らしい。

   
  破断した状況を見る   破断実験
 

破断した状況を見る

 
  石工・井野畑さん  
切ない顔の石工・井野畑さん

破断実験によって木材を裂く

       
  次には破断実験だ。
木材を上下に引張って、大口径の桁材がどの時点で破断するのかを確認する。機械がうなりをあげてテンションを加えていくと、やがてにごった破裂音とともに、ワニの口のように桁材が裂けた。「込栓(コミセン)」という、杉部材同士をつなぐ、堅木の部品のチェックも行った。
やがて一通りの実験が完了した。
後日、解析結果が出た。各部材とも、設計強度として十分なことが確認された。
着々と準備が整いつつあった。
   
   
  □ 消えかけた木目
   
 

屋根のディテールも決まった。強度も証明された。残る難関は防腐処理だ。
木造の防腐処理で一般的、つまりコストパフォーマンスに富んでいるのは、銅や塩化ベンザルコニウムといった薬剤を主成分とするACQだろう。だが銅を含んでいるため、仕上がりが緑色に染まるのが気になっていた。

高知にミロモックル産業という会社がある。国産ライフルの生産・輸出で知る人ぞ知るメーカーだが、木材の防腐技術で独特の薬液を開発した。「モックル処理」と呼ばれるそれは、無色無臭無害。高知に出向いて、実際にこの目で整備事例を確認したが、塗ったかどうかわからないほど自然な仕上がりだった。問題はコスト。ACQの倍ほども高い。
さらに「なぜ高知の業者に頼むのか」というドメスティックな価値観が障害としてあった。このことは、宮崎に限らず全国的に根強いものだ。しかも今回の木橋は、すべてを地場でやろうという掛け声で始まっている。はじめは最も木質の仕上がりがいいからということで候補にしていたが、最後にはコストパフォーマンスが悪すぎるという理由で落ちた。ドメスティックな理由も密やかに背後にあったかもしれない。これに対してミロモックルは、処理工場を宮崎県内に造るという所まで積極的に動いたのだが。
結局ACQと、銅を使わないAACという方法を使い分けることにした。AACの方がややコスト高ではあるのだが(それでもモックル処理よりは安い)、銅を使わないので緑色にならない。
内側の見えにくい部材はACQとし、表面に見えるところにAACを用いることにしたのだ。

だが――。
原寸試作に試験的に塗ってみて驚倒した。
まるで茶色のペンキを塗ったくった様なひどい有様なのだ。
「何ですかこれは。AACって色が付かないんじゃなかったんですか?」
県の担当者に聞くと、
「AAC自体には色は付かないんですけど、その塗膜を保護するためにコーティング剤を塗らんといけんとですよ。AACの上に色の付いた剤を塗るとこうなる」
「色のないコーティング剤はないんですか」
「ありません。今回はいくつか用意させましたが、これが一番薄い色です」

メーカーは、こういう仕上がりになるのは仕方ないとばかりに涼しい顔だ。いくつか用意してきたというのを全部塗ってみてもらったが、どれもひどい。こんなコッテリしたものを塗られた日には、木材から木目が消え、鉄骨に塗ったのと区別が付かなくなる。
「しょうがないですね」と宮崎県の担当者。
「しょうがないでは済まされませんよ。こんなものが使えますか! 木目も何もあったもんじゃない。ここまで積み上げてきたものがすべて台無しになりますよ。絶対にダメだ」
「でも……」
「どうしてもということなら、改めて違う防腐剤を探すしかありませんね」
ようやく塗装メーカーは、このままでは採用にならないらしいということを悟り始めた。
ローラー塗りを刷毛引きに変えたり試行錯誤が始まったが、結局その日は結論が出なかった。

後日、少しマシになったという連絡を受けたので、改めて宮崎に飛んで現場を見に行った。ずいぶん色が薄くなっている。木目も見えてきた。
「ほう。どうやったんですか」
「吹き付けました。吹き付けた後、拭き取りしてます」
「それで塗膜は保てるんですか」
「大丈夫です。計ってみたところ、膜厚は確保されています」
改めて見上げると、まだ色は付いているものの、べったりしたペンキ塗り的な表情ではなくなり、(やや厚めの)薄化粧という風情になっている。
「まあ、これならいいか」
塗装メーカーもようやく顔をほころばせた。宮崎県もこれで予算に収まると安堵の様子だ。
だが私は、
(しかし危ないところだった)
そう胸の中でつぶやいていた。

   
 

2006年の晩秋から木材の刻みが始まった。そして2007年春――運河の現場で施工が始まった。水上に足場が掛かり、「熊田原工務店」の横断幕が広げられ日差しの中にはためいた。
ついに木橋が、街なかにその全貌を現し始めた。

(続く)
   
 
   
 

注記:最後の写真は、ウェブサイト「オビダラ日記〜飫肥杉だらけのまちづくり〜」から転用させていただきました。謹んでお礼申し上げます。

   
   
   
 
 
  ●〈おのでら・やすし〉 都市設計家
小野寺康都市設計事務所 代表 http://www.onodera.co.jp/
   
   
   
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