連載

 
つれづれ杉話 /第5回 「秋田と宮崎の意外なカンケイ」
文/ 長町美和子
日常の中で感じた杉について語るエッセイ。杉を通して日本の文化がほのかに香ってきます。
 

畑の作物のように杉を収穫してどんどん食べよう

11月5日

 11月に入るとだいぶ日差しが低くなって、南の部屋の奥の方まで日が入ります。そこにありったけの座蒲団や枕を並べて猫と一緒に日向ぼっこ。身体ごと日光消毒すれば風邪も治るかなぁ、と期待しながら。そうなんです、10月末の秋田スギダラツアーで風邪ひいたという人も多かったでしょうけど、私は秋田ではなんとか持ちこたえたくせに、その後に仕事で行った鹿児島の予想外の寒さにやられてしまったのです。

 我がスギダラ倶楽部の秋田ツアーの詳細はおいおいホームページで紹介されると思いますが、メインイベントから離れたところでさりげなく印象に残ったのは、色づき始めた山々の優しい表情でした。車窓から眺めていると結構広葉樹が多いんですね。赤や黄色のモコモコした柔らかい山並みの中に、パッチワークのように点在する先の尖った濃い緑の杉林。地元の方のお話によれば、秋田の杉林の特徴は一軒当たりが所有する面積が少ないことだそうです。そして、林道近くのわりと平坦な土地に植えられることが多い、と。

 





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秋田の風景。





 ここで思い出したのは、ちょっと前にこの連載で触れた昔の杉並区の高井戸杉の話。「少しずつ家の近くに植えてていねいに面倒を見たので良質の杉が生産できた」というあたりが秋田杉の環境と似ています。そして、山の中に広葉樹と杉林を混在させるという点では、以前、宮崎県日向市の諸塚で見た「モザイク植林」とも似ている、と感じました。

 諸塚はもともと椎茸栽培が盛んな地域だったので、国が杉の植林を推奨した時代にも、山の所有者たちが話し合って椎の木林をきちんと残してきたのです。その時には山のことを思って、というよりは、椎茸栽培による収入が多かったから、という単純な理由だったのかもしれません。でも、広葉樹林と人工林と人家や畑が入り交じり、バランスがうまく取れている山は、肥えた土で良質の木が採れ、保水性がいいために土砂崩れなども起こりにくく、木の実やキノコも採れて、おまけに牛もよく育つ(諸塚の杉林では牛に下草を食べてもらっています)、といいことずくめ。杉もキノコも牛も、人も畑も山も、みんな関連しあって共存している──たとえそれぞれの生産数は少なくても、里山は人が管理しやすい状態にあるのがいちばんなんですね。

 つまり、何が言いたいかというと、杉っていうのは作物と同じで人が植えて人が管理する木なんだ、ってことです。これまで、観光で山を訪れた時に、なんの気なしに「あぁ杉林がある」と思って見ていたのは、多くの場合「勝手に生えてる」んじゃなくて「植えられた」ものだったんだ、と改めて実感する今日この頃。これって、山に関係している方にとっては当然のことでしょうけど、私をはじめ一般市民はほとんど知らないことだと思うのです。

 さらに、この間テレビで見て「へぇー!」と感心したのは、山に育つ木を決定しているのは、実は海だったということ。正確に言えば、日本の近辺に流れ込む暖流の道筋によって気候(雨量)が変化し、それに対応して山に生育する木の種類も変化する、ってことなんですけど、秋田の白神山地をはじめとする日本海側の山のブナは、日本列島が大陸から離れて暖かい対馬海流が入り込むようになった時代を境に、海水温が上がって格段に増えた雨量(=豪雪)に耐えるしなやかさを持っていたために、雪の重みで折れてしまうナラに取って代わり増えていったのだそうです。それは今から8000年前! ブナが葉っぱで受けた雨は幹を伝って地面にしみ込み、山全体がスポンジのように水を蓄えます。日照りが続くとその水が蒸発して雲をつくり、里山の田畑に実りの雨を降らせる……山は天然の水瓶だ、というなんともNHKらしい(笑)ありがたいお話でした。

 
 
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2と3諸塚の風景。
撮影したのが冬だったため、広葉樹は落葉してしまっていますが、 山の上から眺めると、集落と畑、広葉樹林と杉林、そして伐採された後の山肌が まだらに入り交じっているのがよくわかります。
椎茸の原木となるクヌギやナラなどの広葉樹と杉やヒノキなどの針葉樹が こうして交互に植えられている様子を「モザイク林相」と呼ぶそうです。
 
 
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杉また杉の風景
諸塚に行くだいぶ手前で見かけた、あたり一面に広がる杉林。 真冬でも青々と鋭角に尖る針葉樹の森はとってもきれいですが、 全部人が植えた人工的な風景なのです。

写真2,3,4撮影/村角創一



 というわけで、日本の山、特に本州以南の山の本来の姿というのはたぶん、赤や黄色や緑がほどよく入り交じった柔らかい姿だったのではないかと思うのです。そこに、時代ごとに人間が生活に便利な木を植えていった、と。そう考えてみれば責任重大じゃありませんか。杉花粉がどーのこーのと文句を言う前に、十分育った杉の木をどんどん活用して山を元気にしていかなくちゃ。自分で蒔いた種は自分で刈る。人工の杉林というのは畑と同じだとつくづく思うのです。

 スギダラ秋田ツアーで杉の枝打ちをしていた時、ふと顔を上げると、それまで鬱蒼と茂っていて全然わからなかったけれど、杉が畝に並ぶ野菜のように整然と植わっていることに気づきました。そして周囲には汗をかきながら黙々と「畑を耕す」仲間たち。こうやって日本全国の杉の「収穫」が進んでいけばいいなぁ。そして、その後に植える木については未来を見据えて真剣に考え(目先の損得だけじゃなくて)、徐々に日本中の山が需要と供給と環境のバランスのとれた健全な姿に戻っていってくれたら、と願うのです。

 そうするには、日本人が山や海や田畑と密接に関わる暮らしに戻っていく必要があるし、とりあえずもっと身の回りの木に関心を持つことから始めないといけないし、自分の役割としてはそういうことを繰り返し言っていく必要があるんだろう……なんて、日溜まりの中でトロトロしながら考えたのでありました。そんなことしてるとあっという間に日が暮れちゃうんですよね。



<ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。
特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
 
   
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