不定期連載

かみざき物語り 第1回
構成 南雲勝志
もうすぐ橋が架かる上崎地区、架橋を通してまちが動く!?  
 

 

 12月3日宮崎県北方町上崎地区で第1回ふるさとづくりというワークショップが行われた。(その詳細はスギダラの人びとで千代田さん、吉武春美さんが詳しく報告してくれていますのでご覧下さい。)
  この連載ではここまでのいきさつや、今上崎地区でどんな変化起こっているか? 外部との交流がなんの役に立つか? その結果まちはどうなっていくか? などなど、節目節目でレポートします。また地区の方々の紹介や、これからの想いなども含め、不定期ですが連載していきます。
  第1回目は、まず上崎地区の紹介やそこに上崎橋(仮称)が架かることになった経緯、その概要や今までの流れを東臼杵振興局の梶原さんに語っていただき、続けて僕が関わってからの体験を報告します。そして 最後に地区若手のホープ、長谷川ご夫妻の奥さま、民ちゃんより上崎橋にかける今の想いを綴っていただきました。

 


●かみざき地区と上崎橋/梶原和徳
 

橋をつくる計画
 上崎地区は、宮崎県の北部、延岡市から高千穂に向かい五ヶ瀬川沿いを約30分ほど進んだ国道の対岸にあり、椎茸・タケノコ栽培や、みかん・柿・梨・千代姫桃などの果物類、その他ほおずき栽培などを中心とした農林家が多数を占める24戸の集落です。
 当地区に通じる道路は、昭和40年代に作られた道路で、国道218号線から川水流橋を渡り、高千穂鉄道沿いに幅員3.0m〜4.0mの町道が1本あるだけで、それまでは川を渡し船に乗って荷物と一緒に渡っていたそうです。
 こういった実情もあり、当時から国道に直接渡る橋の要望があったのですが、かなり大がかりな工事になるためなかなか実現できませんでした。
 しかし、平成10年、上崎地区の奥に広がる広大な森林の手入れと成熟したスギなどの木材を有効に活用するため林道が計画され、高千穂鉄道と河川に阻まれた狭い町道の改良は困難なことや地域の要望もあり今回の橋を起点とする路線計画となりました。

 
アーチが完成寸前の上崎橋 2005年10月

 こういった経緯を経て、測量設計を行い平成15年(仮称)上崎橋の発注となりました。この橋は橋長201m、環境への配慮から川の中に橋脚を設けず対岸まで1スパンで渡すことを考慮し、景観的にも優れているとされるニールセンローゼ橋(アーチ橋)の形式となりました。

   

橋をつかう計画
 発注当初は、道としての機能をつくることが目的で、地元にとってどれだけ重要かという視点はあまりなかったような気がします。
 そこへ堀川運河で地元の将来と繋がった事業を経験した植村さんが異動でやってきました。開口一番「これって何のための橋なの?」「山のためだけでなく、ちょっとグレードアップして実際に使う地域のためになる橋にしましょうよ」そう言われたものの「それはわかるけど、地域のことは役場に任せてあるから、僕らは受け持った工事を進めればいいんじゃない」といったやりとりがしばらく続きましたが、最後はお互い「でもそれが実現可能ならやってみよう!」と意気投合、一致団結し今回の取り組みが始まりました。
 そこから事務所内での調整、県庁での協議を重ね、木材を使う事を条件にようやく橋の景観整備を検討することになりました。
 しばらくして、南雲さんデザインの高欄、親柱、小野寺さんデザインの橋詰め広場のスペシャルなイメージが出来上がったものの、もともとデザイン的にグレードアップの予定がなかったことなので、それが良い物なのか“やりすぎ”なのか事務所内でも「地元にとってそれは必要なの?このまま作ったら自分たちの自己満足では?」という意見や、地元はどう受け止めるのか確認しようにも「やるかやらないかも分からないものを地元に見せるなんて」という反対の声を「やるかやらないかを一緒に考えて行くんです」と半ば強引に押し切り“橋が架かったあとの上崎の将来をどう創り上げるのか”、“そのために橋をどう仕上げるのか”を地域の方と懇談会を開いて話し合いをしてきました。
 そうして、そのきっかけとして今回の高欄の手すりを自分たちも一緒につくろうと第1回のふるさとづくり活動に繋がったのです。

 今回の取り組みの一番の“売り”は、橋の工事をする側と使う側がどういう風に使うかを一緒に考えながら創り上げていくプロセスにあるような気がします。そうすることで、がんばって一緒に作った橋を愛着を持って大事に使ってくれるだろうし、せっかく橋が架かったのに使う人が減っていったらもったいない。
橋が架かったことを十分に活かして、いろいろなことを展開すれば、地域もますます元気になり、盛り上がっていくことになると確信しています。

<かじわら・かずのり> 宮崎県東臼杵振興局


 
●かみざきとの関わり/南雲勝志
   
 
 

そもそも
 僕がなぜこの上崎地区に関わることになったかであるが、それは植村幸治さんに始まる。植村さんとの出会いは彼が宮崎県油津港湾事務所で日南市の堀川運河の保存整備をしていた時である。ぼくらが関わったのは2002年の夏からで、当時植村さんは堀川運河の現場担当者として奮闘! 2004年3月まで景観やくざな人びととのコラボレーションを体験、第一期工事を仕上げたところで移動になった。異動先が東臼杵振興局であった。堀川プロジェクトでの運河からいきなり林道整備へ。つまり海から山の人になったのである。
 堀川の感動から新天地に移り、時々電話があった。「こっちでもやりますから、また連絡しますから協力して下さい」。ひとつの現場の出会いがそれだけで終わらず、次につながっていく。その一言がうれしく、「また応援しますよ、一緒にやりましょう。」と返事をした。

デザイン設計作業
 それから半年ほどたった2004年秋、植村さんから上崎橋の相談があった。国の林道整備ででっかい橋が出来る。でも自分はそれだけで終わらせたくない。橋をかけるだけでなく、その周辺環境、しいてはそれをきっかけに上崎地区の住民の意識向上が計れなければこのプロジェクトはあまり意味がないんですよ。そこまでやりたいんですよ。と言っていた。ここで堀川デザインチームの小野寺(2〜3号油津木橋記執筆)ナグモコンビで提案を進めることになった。
 とりあえず現場に視察にいくことになった。振興局で梶原和徳さんと初めて出会う。植村さんと違いまじめでとても頼りになりそうな人だ。五ヶ瀬川の美しい風景を見ながら、高千穂方面に向かう。川の左岸を30分ほど車でのぼり、途中手前の橋から右岸に渡る。そこからくねくね曲がった砂利道を10分ほど走り抜け、やっと上崎地区にたどり着いた。
 現場は橋台が出来ているだけで橋はまだ架かっていない。
周辺の環境をざっと見ながら、架橋後、地域の人たちがどう外部の人たちと交流していくべきか? また架けてもらうという発想から、住民が参加しながら一緒に橋をつくっていく方向付けで設計することを確認しあった。小野寺さんは橋詰め周辺地区公園の提案、僕の方では橋上の高欄や親柱を提案することになった。

  その後いろいろあった。が、とりあえず東臼杵振興局内部の調整、局長説明を経て、2005年2月地元北方町の町長プレゼンを行った。町の協力を得、概ねの方向性を確認し、ここでいったん設計作業は終了する。ただし課題は残った。東臼杵振興局、県庁林務部からはとにかく地元とのコミュニケーションをきちんと図ること。それを経た上で本当に彼らが望むものを探り、実現して欲しい。また県の予算にも限りがあることに特に念を押された。

準備
 少し間をおいた...
 その間、植村さん、梶原さんは下準備を行っていた。地元との意志交換をどうやっていくべきか? どんなやり方があるか? とにかく彼らと話し合おう。二人は何度か地元に入り、ぼくらを含めたコラボレーションの可能性を探っていた。
6月中旬電話がかかってきた。「木を使った日向市の取り組みのような事をやれないかと思っている。 とりあえず地域との可能性をあちこちの事例を交えながら話して欲しい。」という以来であった。断る理由もない。6月下旬再び上崎に向かう。到着したのは日が暮れた6時頃であった。その時期宮崎はもう暑い。クーラーのない、虫のたくさん飛び交う地区センターで約1時間半かけてスライドをまじえながら説明を行った。
 ある程度わかってもらえた感触はあった。ところが意見交換会でほとんど盛り上がる会話が聞けない。どうして? みんなで力を合わせていきましょうよ! 子供だって一緒に出来ますよ! すると「小学生はこの地区に2人だけ、中学生はいないですよ。はっきり言って今一番の難題は嫁問題です」と言われ、改めて少子化や老齢化の進む過疎の悩みの深刻さを考える。決定的な提案も出来ず少し消沈しながら、その日は山を下った。
 延岡で植村さん梶原さんと、何でわかってくれないんだー! と反省会。いやいやこの程度でくじけちゃいけない、次はもっと地元に入り、昼間の風景や彼らの日常生活をもう少し一緒に体験し、そしてもっと話そう! 前向きな気持ちで次に備えた。

予感
 振興局と地区との調整は続けられた。地元は理解してくれていないわけではなく、気持ちは十分ある。何とか橋の高欄を地場の杉を使い、取りつけも地区民でやる方向でいけそうだ。具体的な段取りを進めたい。そんな報告を梶原さんから受け、一ヶ月後また訪れた。まず全体会議を地区センター前の資材置き場で行う。前回とうってかわり、みなさん積極的だ。顔もにこにこしている。さっそく具体的な打合せに入った。誰の山の木を使うか? 太さはどの程度ものが必要か? 伐採時期は? その後の乾燥、加工、取り付をどうするか? 一緒に打合せに加わった宮崎木青会の海野さん、田丸さんとともに、一通りディスカッションを行う。今日は話が早い。秋に伐採を行いとりあえずスタートすることになった。
  そこまで決めたあと、Kトラで分乗し、伐採出来そうな杉林を3カ所ほど案内してもらった。高欄の仕上の径に対し、末口で40cm程度は必要。一本の木から何本とれるか? 最終的には100本邸度必要な事も確認した。伐採計画もほぼめどがついた。 そのあとひと通り上崎地区を見学した。緩やかな斜面に風をよけるように家が建っている。そしてなかなか立派な屋敷が多い。敷地は広いし、家も大きい。そして至る所にある果樹園がとても心地いい。南イタリアの丘陵地を思わせる風景に、ここは豊かだ。と実感した。
 最後に区長宅におじゃまする。なんとそこではバーベキューで出迎えてくれた。懇親会。大勢の地区住民が訪れ、梶原さんが現場の進捗状況を説明する。話が弾んだ。暗くなっても笑い声がとぎれず、会社帰りの若者夫婦長谷川さん達も交わった。楽しい、今度はいける。
 「延岡の大学生、そして仲間のスギダラのメンバーだってよろこんで参加してくれますよ。頑張りましょう! 」すると「本当か? そりゃ歓迎するよ」そんな会話で締めくくった。

 前回とうって代わって実にいい気分で山を下りた。延岡に帰り、改めてみんなで祝杯をあげた。
その後、振興局が九州保健福祉大へのまちづくりへの協力要請し、合意を確認、そして今回の第1回ふるさとづくりへとつながったわけである。
 地区住民、大学生、スギダラ、そして行政、一緒になると誰がどこのメンバーかわからないような混合状態だ。みんなしゃべった、みんな想いを語った。良かった、本当に良かった。その感動のおかげで延岡で5次会まで続いたのである。

 しかしまだまだこれからだ。橋の完成は2007年3月。やることはたくさんある。 以下次回に続く。

 
上崎地区を初めて訪れた時。対岸の国道から地区を見る

逆に上崎地区から国道側を見る。五ヶ瀬川が美しい。
橋台が出来ているだけで橋梁はまだ架かっていない。

町長プレゼン。真ん中が北方町長。

初めての地区説明。大勢の住民が集まってくれた。

二回目に訪れた時の打合せ風景。ここでだいたいの段取りを話し合った。

高欄の径は20cm、適した樹径を求めつつ山を下る。

あれなんかちょうどいいと指を指しているのが植村さん。ほぼめどが付いてきた。

山を下り上崎地区をのんびり散策。いい風景だ。

ハウスの中は桃園。手前はみかん。この地区は一年中フルーツがとぎれることなく栽培されるという。

3分の1ほど架かったアーチを背に状況説明する梶原さん。でも机にはビールが。手前は田丸さん。

夜になっても話は尽きない。仕事を終え、人数はどんどん増える。

この日はいろんな話が出来た。まだ明るい。

上崎地区一番の集落。全体で24戸。



●上崎に橋が架かるぞ!/長谷川民子

 

そこからひろがる私の夢と、上崎の人々が橋を架ける夢を実現するために
頑張ってきた時間が交差して凄い!
この上崎に架かる橋にはたくさんの人の思いが込められているんだ!!
そこからたくさんの人に出会い、その人達の上崎橋に対する思いも
積み重ねられ、その思いを心に抱き、私の夢を作り上げていきたいな。


上崎橋説明会に初めて参加した日の夜はとても刺激的でした。
上崎に架かる橋にこんなにも熱く語りかけていた梶原さんや植村さん、
そして杉の木を、風景の一部だけにしか感じていなかった私の中で
杉の木に命を吹き込んだ南雲さん。
その日の夜は自宅に帰ってから、夫婦でいろんなイメージや夢をふくらませ
ました。その内容は語りきれないほどです。
その後も事あるごとに語り合いが続いています。

先日の上崎プロジェクト 第一回 伐採!
私自身は伐採には参加できませんでしたが、参加された人々の感動を聞き
親睦会でのあの盛り上がりを目の辺りにして私も感動!
参加した人達みんなが家族みたいに思えた一日でした。スーパー感動ですね!!

幼い頃から思う上崎の人々は陽だまりのように優しく笑い暖かい。
そんなイメージを持つ上崎の橋が出来るといいな。

右端が長谷川民ちゃん。

民ちゃん、ありがとうございました。長谷川さん夫妻が1回目の説明会のあと、実は毎日のように未来の上崎の事を話し合ってると聞いて、少し驚きながらも関心していました。勇気が湧いてきました。今やアイドルのような存在になってしまいましたね。でも婦人部のみなさん、みんなすてきです。これからも頑張りましょう。(な)


 
●<なぐも・かつし>デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。 家具や景観プロダクトを中心に活動。
最近はひとやまちづくりを通したデザインに奮闘。著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』
(ラトルズ)など。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部
 
 
 
 
   
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