そもそも
僕がなぜこの上崎地区に関わることになったかであるが、それは植村幸治さんに始まる。植村さんとの出会いは彼が宮崎県油津港湾事務所で日南市の堀川運河の保存整備をしていた時である。ぼくらが関わったのは2002年の夏からで、当時植村さんは堀川運河の現場担当者として奮闘!
2004年3月まで景観やくざな人びととのコラボレーションを体験、第一期工事を仕上げたところで移動になった。異動先が東臼杵振興局であった。堀川プロジェクトでの運河からいきなり林道整備へ。つまり海から山の人になったのである。
堀川の感動から新天地に移り、時々電話があった。「こっちでもやりますから、また連絡しますから協力して下さい」。ひとつの現場の出会いがそれだけで終わらず、次につながっていく。その一言がうれしく、「また応援しますよ、一緒にやりましょう。」と返事をした。
デザイン設計作業
それから半年ほどたった2004年秋、植村さんから上崎橋の相談があった。国の林道整備ででっかい橋が出来る。でも自分はそれだけで終わらせたくない。橋をかけるだけでなく、その周辺環境、しいてはそれをきっかけに上崎地区の住民の意識向上が計れなければこのプロジェクトはあまり意味がないんですよ。そこまでやりたいんですよ。と言っていた。ここで堀川デザインチームの小野寺(2〜3号油津木橋記執筆)ナグモコンビで提案を進めることになった。
とりあえず現場に視察にいくことになった。振興局で梶原和徳さんと初めて出会う。植村さんと違いまじめでとても頼りになりそうな人だ。五ヶ瀬川の美しい風景を見ながら、高千穂方面に向かう。川の左岸を30分ほど車でのぼり、途中手前の橋から右岸に渡る。そこからくねくね曲がった砂利道を10分ほど走り抜け、やっと上崎地区にたどり着いた。
現場は橋台が出来ているだけで橋はまだ架かっていない。
周辺の環境をざっと見ながら、架橋後、地域の人たちがどう外部の人たちと交流していくべきか? また架けてもらうという発想から、住民が参加しながら一緒に橋をつくっていく方向付けで設計することを確認しあった。小野寺さんは橋詰め周辺地区公園の提案、僕の方では橋上の高欄や親柱を提案することになった。
その後いろいろあった。が、とりあえず東臼杵振興局内部の調整、局長説明を経て、2005年2月地元北方町の町長プレゼンを行った。町の協力を得、概ねの方向性を確認し、ここでいったん設計作業は終了する。ただし課題は残った。東臼杵振興局、県庁林務部からはとにかく地元とのコミュニケーションをきちんと図ること。それを経た上で本当に彼らが望むものを探り、実現して欲しい。また県の予算にも限りがあることに特に念を押された。
準備
少し間をおいた...
その間、植村さん、梶原さんは下準備を行っていた。地元との意志交換をどうやっていくべきか? どんなやり方があるか? とにかく彼らと話し合おう。二人は何度か地元に入り、ぼくらを含めたコラボレーションの可能性を探っていた。
6月中旬電話がかかってきた。「木を使った日向市の取り組みのような事をやれないかと思っている。 とりあえず地域との可能性をあちこちの事例を交えながら話して欲しい。」という以来であった。断る理由もない。6月下旬再び上崎に向かう。到着したのは日が暮れた6時頃であった。その時期宮崎はもう暑い。クーラーのない、虫のたくさん飛び交う地区センターで約1時間半かけてスライドをまじえながら説明を行った。
ある程度わかってもらえた感触はあった。ところが意見交換会でほとんど盛り上がる会話が聞けない。どうして? みんなで力を合わせていきましょうよ!
子供だって一緒に出来ますよ! すると「小学生はこの地区に2人だけ、中学生はいないですよ。はっきり言って今一番の難題は嫁問題です」と言われ、改めて少子化や老齢化の進む過疎の悩みの深刻さを考える。決定的な提案も出来ず少し消沈しながら、その日は山を下った。
延岡で植村さん梶原さんと、何でわかってくれないんだー! と反省会。いやいやこの程度でくじけちゃいけない、次はもっと地元に入り、昼間の風景や彼らの日常生活をもう少し一緒に体験し、そしてもっと話そう!
前向きな気持ちで次に備えた。
予感
振興局と地区との調整は続けられた。地元は理解してくれていないわけではなく、気持ちは十分ある。何とか橋の高欄を地場の杉を使い、取りつけも地区民でやる方向でいけそうだ。具体的な段取りを進めたい。そんな報告を梶原さんから受け、一ヶ月後また訪れた。まず全体会議を地区センター前の資材置き場で行う。前回とうってかわり、みなさん積極的だ。顔もにこにこしている。さっそく具体的な打合せに入った。誰の山の木を使うか?
太さはどの程度ものが必要か? 伐採時期は? その後の乾燥、加工、取り付をどうするか? 一緒に打合せに加わった宮崎木青会の海野さん、田丸さんとともに、一通りディスカッションを行う。今日は話が早い。秋に伐採を行いとりあえずスタートすることになった。
そこまで決めたあと、Kトラで分乗し、伐採出来そうな杉林を3カ所ほど案内してもらった。高欄の仕上の径に対し、末口で40cm程度は必要。一本の木から何本とれるか?
最終的には100本邸度必要な事も確認した。伐採計画もほぼめどがついた。 そのあとひと通り上崎地区を見学した。緩やかな斜面に風をよけるように家が建っている。そしてなかなか立派な屋敷が多い。敷地は広いし、家も大きい。そして至る所にある果樹園がとても心地いい。南イタリアの丘陵地を思わせる風景に、ここは豊かだ。と実感した。
最後に区長宅におじゃまする。なんとそこではバーベキューで出迎えてくれた。懇親会。大勢の地区住民が訪れ、梶原さんが現場の進捗状況を説明する。話が弾んだ。暗くなっても笑い声がとぎれず、会社帰りの若者夫婦長谷川さん達も交わった。楽しい、今度はいける。
「延岡の大学生、そして仲間のスギダラのメンバーだってよろこんで参加してくれますよ。頑張りましょう! 」すると「本当か? そりゃ歓迎するよ」そんな会話で締めくくった。
前回とうって代わって実にいい気分で山を下りた。延岡に帰り、改めてみんなで祝杯をあげた。
その後、振興局が九州保健福祉大へのまちづくりへの協力要請し、合意を確認、そして今回の第1回ふるさとづくりへとつながったわけである。
地区住民、大学生、スギダラ、そして行政、一緒になると誰がどこのメンバーかわからないような混合状態だ。みんなしゃべった、みんな想いを語った。良かった、本当に良かった。その感動のおかげで延岡で5次会まで続いたのである。
しかしまだまだこれからだ。橋の完成は2007年3月。やることはたくさんある。
以下次回に続く。
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