連載

 
新・つれづれ杉話 / 「クジラのヒゲ話」
文/ 長町美和子
日常の中で感じた杉について語るエッセイ。杉を通して日本の文化がほのかに香ってきます。
 

 

 


2月13日

 明日はバレンタインデーですね。毎年うんざりしながらもとりあえずデパートの地下に行って、もみくちゃになりながらチョコレートを用意する私。自分としては甘いものがそんなに好きな方じゃないので、どうしても選び方がぞんざいになりがちです。なるべくシンプルでいっぱい詰まってるように見えるのがいいなぁ、リキュールが入ってるとか、トリュフなんかは食べるのが面倒だし、口いっぱいにどろどろ甘いのが広がるのはイヤ……ってアンタが食べるわけじゃないだろう、と思いつつ。

 さて、今回はウチダラ洋行株式会社の奥ちゃんとキャッシー・袴田さんからのリクエストにお応えするかたちで「鯨尺ってどうしてクジラのヒゲである必要があったんでしょうね」という疑問について、少々調べてみた結果をご報告させていただきます。

 今年に入って、ずっと前に雑誌で連載していた記事をまとめた本を出しました。という話はBBSでも書かせていただいたのですが、タイトルが『鯨尺の法則』といいます。内容的には特に鯨尺をテーマにしたものばかりというわけではないのですが、日本の暮らしの中で培われてきたモジュールであるとか、住まいやモノの関係、いろんなものが効率よく合理的にできている工夫について語る上で、着物と鯨尺の話が象徴的に出てくるので、タイトルがそんな風に決まったのです。

 で、「長町さん、本読みました!」の後に続いたのが冒頭の質問。たしかに、鯨尺を調べると、「昔はクジラのヒゲでできていたことから鯨尺と呼ばれるようになった」と書かれているだけで、それがどんなものだったのか、写真入りで解説しているような資料はなかなか見つかりません。どこかの民俗資料館あたりにひょっとしたら埋もれているのかもしれませんが、象牙製の鯨尺(ほんとはゾウ尺と呼ぶべきか?)はあっても、クジラ製の鯨尺を見つけることはできませんでした。

 それでは、クジラのヒゲは他にどんな風に使われていたのか、というのを下に並べてみましょう。

・文楽人形の頭(首)部分に使われるゼンマイ

・弓張り提灯の弓

・ドレスをふくらませるために身につけるペチコートの芯

・三線のバチ

・和竿の穂先

・歯ブラシの枝

 などなど。これらを眺めていると、なーんとなくクジラのヒゲの特性が見えてきますね。「くじらべっこう」という言葉もあるように、プラスチックの板のような、そんな素材であることがわかります。弾力性に富み、軽く、耐水性がある。細くしても割れない。

 実際のクジラのヒゲってのは、写真でみるとかなり大きいです。クジラの大きさにもよるわけですが、長いものは6mくらいにもなるそうです。上あごの本来歯が生える場所に皮膚が変化した爪状のものが伸び、先が板状に分かれています。この板状の部分は見たところそんなに長そうにも思えないのですが、根元の部分は塊状なので、長く使う場合はこっちを加工したのでしょうか。

 現代の物差しの素材としてポピュラーなのがプラスチックであることを考えると、クジラのヒゲが使われたのもうなずけます。記録によれば、日本国地図をつくった伊能忠敬は、最初のうちは要所要所に立てた竹の棒の間に苧麻や藤弦、麻などでつくった縄を張って距離を測定していたそうですが、後に水分による伸縮をなくすために鉄鎖を使うようになったとか。でも、海に近い場所では鉄が錆びてしまいます。それで長崎のあたりでは耐水性に優れ、軽量なヒゲを使ったらしいのです。近くで捕鯨が盛んだったため、手に入れやすかったのでは、という話でした。

 でも、縄の代わりに? と思いますよね。だってプラスチックみたいなものを、ですよ。もしかして、あのジグザグに折り畳む方式の物差しだったのでしょうか。むむむ……

 まぁ、とにかく「湿気で伸び縮みしない素材であること」というのがモノを計る道具としてはいちばん大事だということはたしかですね。それで軽ければ助かる、と。竹の物差しもそんなところでしょう。「しなる」というのが必要な要素なのかどうかはなんとも言えませんが、平らな台の上に置かれている定規をパッと手に取るには、弓なりに反っている方が扱いやすいという気もします。特に鯨尺の場合、着物の縫製で使われた尺度なので、布の上で滑らすようにして印をつけることを考えると、あまりべったり布にくっつかない方が都合がよかったと思われます。

 しかし「湿気で伸縮しない」と言われると、杉としてはつらいですね。

 以前、『コンフォルト』の取材で伺った、建築家の花田佳明さんのご自宅では、Jパネルと呼ばれる縦横3層、厚さ3センチの杉パネルが構造から建具まで、いたるところに使われていましたが、

「雨の日はこの部屋入れないんですよ(引き戸が開かない)」と苦笑する場面も。

 耐力壁としても使える強度を誇り、歪みや反りも少ないとされているJパネルでさえ、個室の引き戸に使われると、雨の日に動かなくなるほど反る、ということです。杉ってほんとに難しい。

 



 
クジラ尺の法則 長町美和子

<ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。
雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。 特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり。
 
 

   
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