連載

 
新・つれづれ杉話 「スギナとタンポポ」
文/写真 長町美和子
日常の中で感じた杉について語るエッセイ。杉を通して日本の文化がほのかに香ってきます。
 


 

「どこにでも生えてて、みんな違うからいい」

ほぼ毎日、てくてく往復する買い物道の脇に、スギナが群生しているのを発見。ツツジの根元にほら、こんなたくさん生えてます。よく見るとタンポポまで咲いていました。子供の頃、公園や団地の芝生の隅っこで、スギナやタンポポを摘んで遊んだのを思い出しました。

どうやって遊んだかというと、節のところで適当にプチっと切ってもう一度元に戻し、「どーこだ?」と相手に当てさせるという単純なもの。改めてよく見ると、この節のところはとても可愛らしい形をしています。<写真1、2、3>

 
 
 
 
写真2:細い枝
 
写真1:スギナの上半分
  写真3:分解すると

 

全部むしって茎だけにしてみたら何かに似てる。そーです、ツクシです。ツクシはスギナの胞子体で、スギナは栄養茎なのだそうです。ツクシが成長するとスギナになる、ってわけじゃないみたいで、別々に生えるようです。地下でつながってるんですって。<写真4、5>

なぜ「杉菜」なのか。それは、まっすぐ伸びた幹と円錐形に広がる枝の形が杉の木に似ているからです。ツクシと同様食用にもなるらしい。「ミネラルが豊富で、カルシウムはほうれん草の150倍」だそうで、煎じて飲む、漆かぶれに汁をつける、また入浴剤としても使用できる、とネットで販売されていました。なんと500グラムで2100円! こんな雑草にお金を払う人がいるんですね。

ついでにタンポポでどんな風に遊んだかも紹介しましょう。まず、できるだけ太い茎を選んで6〜7センチにちぎります。綿毛になったタンポポの方が太くていいかもしれません。<写真6>

そして両側の小口を爪で6本くらいに細く割いて水に浸します。<写真7、8>

そうすると、アラ不思議。くるくるっと丸まって「水車」の出来上がり。<写真9>

今日摘んできたタンポポは細かったのでうまく回りませんでしたが、太い茎なら、何か細いものを通すとカラカラよく回ります。もちろん、水が流れてないとダメなんですけど、私の子供の頃は側溝に流れる水で遊んでました(つまりドブですね)。<写真10>

花のすぐ下のガクが反り返っているのが外来種の西洋タンポポで、ぴったり寄り添っているのが在来種のタンポポ。今、街で見かけるタンポポのほとんどが西洋タンポポと言われていますが、今日見つけたのは在来の和タンポポです。在来のタンポポが養分や水をたくさん必要とし、花を咲かせるのに2〜3年かかるのに対して、西洋タンポポは栄養が少ない土でも平気で育ち、なんと受粉しなくてもタネができてしまうそうな(うっへー!)。だから虫が少ない都会でもどんどん増えることができるのです。日本本来の自然が残っている農村部には在来種が見られますが、都市部では繊細な和タンポポは生きていけず、西洋タンポポが圧倒的に多いとのこと。なんだか、都会では単純で雑なやつがハバをきかせてる、って言われているようでイヤですね。

かのフランク・ロイド・ライトが、アリゾナに生きる昆虫の生態を観察し、彼らの身体のしくみが環境に適応していることについて「実にいいデザインがなされている」と話したのは有名ですが、その土地に生きる動植物は、人間も含めて、その環境で生きやすいものが選ばれて、生きやすいように自然に工夫を重ねて現在の姿になっているのだということに改めて気づかされます。
そして、その環境の中で生きる動植物は、そこに住む人間の暮らし方や、建物や道具のデザインに大きな影響を与えます。その点、杉は、北から南まで日本各地に適応した性格を備えていて、その土地土地でさまざまに利用されているのが興味深いところだと思うのです。

温暖な南国で育つ杉は大らかで成長が早く、ラフな素朴さがあります。寒さの厳しい北国の杉は辛抱強くじわじわと育つので、目が詰まって繊細な美しさを持っています。どこの杉が高級だとか、どっちが上でどっちが下だとか、そういう話じゃないんですよ。どこにでも生えていて、みんな違っていながら、その特性に合わせて活躍してきたというのがいい! 

そういえば、西洋タンポポの話をはじめて聞いたのは大学の生物学の時間でした。<写真11>

私が通っていた頃のムサ美の生物学の先生はとっても面白くて大人気だったのです。オットセイのような雰囲気の人でね。雌雄同体のカタツムリが枝の上で恋をして、一瞬のうちに「私はメス! あなたはオス!」って決める瞬間の話なんか、演技まで入って大変な熱の入れようでした。ミミズも節ごとに雌雄が交互に並んでて、ちぎれるとそこで性別が決まるとか(ほんとーかなぁ)。
彼は第二次世界大戦中、戦闘機のパイロットをしていたそうで、人と人が争い、死にゆく悲しさ、無念さ、命のはかなさを身もだえしながら語るのです。よく理解できなかったけれど、話は必ず最後に「命の渚(なぎさ)」に行き着くのでした。
「それは岸に打ちつける命の渚なのです! 寄せては返し、泡となり……」って。

ちなみに、出席簿は名前の後ろに1センチ角のマス目が入った紙が回ってきて、一人一人最初の講義の日に自分で考案したマークを描き入れるシステムでした。するとやっぱり美大なのでみんな非常に凝ったマークをつくるわけです。それで時間がかかって出席簿がなかなか回ってこないので、授業が終わっても順番待ちするというへんな光景が見られました。

私は、生物学のほかにも能楽研究とか、古美術研究とか、日本庭園史とか、どうでもいいような趣味の講義をたくさんスケジュールに組み込んでいて、カルチャーセンターに行く主婦のように学校を楽しんでいました。でも、そんな風に直接デザインと関わりのなさそうなモロモロが自分の中に蓄積されたのはラッキーだったなぁ、と今になって思います。

 
写真4:茎はツクシ
  写真5:茎の節
 
  写真6
 
  写真7
 
  写真8
 
  写真9
 
  写真10
 
  <写真11>

……というわけで「つれづれ杉話」の新シリーズは、ますます徒然に勝手な方向へ話が行くと思いますが、箸休めに読んでください。

<ながまち・みわこ>ライター
1965年横浜生まれ。ムサ美の造形学部でインテリアデザインを専攻。雑誌編集者を経て97年にライターとして独立。
建築、デザイン、 暮らしの垣根を越えて執筆活動を展開中。特に日本の風土や暮らしが育んだモノやかたちに興味あり


   
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