五月杉話

 

「店づくり」と「まちづくり」と「杉」と。

文・写真/ 渡部原己

 

 

唐突ですが、愛媛県松山市ってどこか解りますか?
夏目漱石氏の小説「坊ちゃん」の舞台になった所(本年が、作品発表から100年目)。
司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」の主人公、正岡子規、秋山兄弟の生誕地。
この小説は司馬氏の遺言で映像化はしてはならないと言われていましたが、N H Kがやっとの思いで司馬氏の奥様等関係各所の御理解を得て、21世紀スペシャルとしての大河ドラマでテレビ放映されることになりました。

時、同じくして松山市は「坂の上の雲」を軸としたまちづくりを推進しているセンターゾーンの開発で、安藤忠雄氏設計による「坂の上の雲記念館」の建設、秋山兄弟生家跡の復元、 ロープウェイ 駅舎の新築、これらを結ぶ街路 ロープウェイ 商店街の店舗のファサード整備(国、通産省のリノベーション事業)などが行われています。その中で、僕が、小野寺康さん(八月〜十月杉話参照)、南雲勝志さん(デザイナー/当サイト監修人)との出会いのきっかけになったのが、 ロープウェイ 商店街の道路景観整備(素晴らしい作品です。是非見に来て下さい)でした。先日、南雲さんにお会いしたとき、「こんなコトもしているんですよ」と差し出されたのが「日本全国スギダラケ倶楽部」の名刺でした。そして、帰る際に、「W E B版月刊『杉』を発行しているので、そこに記事を書いてくれませんか」と依頼をされ、え!! 私が?と不安を感じながらも今こうやって書いている次第です。

 
 
松山城と松山市内
  
 
たまたま「杉」----------蒲団屋の履歴

寝具店を親から継ぎ、昭和63年に「夢・空・生活提案 蒲団屋」と店名を改めて大きく店舗改装、品揃えを変えました。当時はバブル期で、メーカーは大店舗重視で我々小店舗切り捨て的な感でした(美しき日本の心の崩壊の始まりであったのかな)。
小店舗の生き残りとして、寝具業界に「ファッション」「お洒落」「コーディネイト」が足りないコトに気づき、親からの顧客や問屋さんと決別し、自らお洒落を楽しみたい思いで、素朴で安くても素材感(木/杉、竹/すす竹、鉄/足場、石/裏庭の400年経た石垣、土/漆喰)を生かせる店舗デザインに変え、「生活を潤わせてくれるモノすべてが蒲団屋の商品です」を掲げ、蒲団屋なのに何故かふとんが一枚も売っていない品揃えに変えました。
この頃、よくコンサルさん達に店名に「屋」を付けるのは戦後に廃れた屋号で、今は「C I(コーポレィション・アイデンティティ)」による店名だとよく言われました。横文字が氾濫した時代で、私は、小さな蒲団屋の3代目として単純に「P I(パーソナル・アイデンティティ)」で「蒲団屋」とし、名刺の肩書きも「大番頭」にしたんです、と言い訳を言ったものです。
また、何が受けたのか解りませんが、N H Kテレビの全国版で取り上げられたりもしました。この反響は大きかった。東京で新規メーカーに行くと、それまではあやしげに見られていましたが、随分対応が変わりました。今では店名に「屋」を付けるのがトレンドになっているようですね。

 
  蒲団屋のファサード。このファサード、及び看板もファサード事業で新たに設置したものです。


 
入り口のドアー。取っ手は地場のススダケ


  その脇に置かれた石臼。
たかが「杉」-----第2幕 蒲団屋の履歴・継続のための新生「質」

店舗改装から15年間、数々の試行錯誤を経て、過剰品質を遠ざけた、シンプルな品質の高度化に眠りの道具の本質を感じ、価値感が同じ仲間達と「正直が最大の戦略である」ことを原理に「眠れる寝具を起こす会」(資本主義の矛盾、業界標準というヴェールに覆われて見えなかった「ほんもの」の寝具を「眠れる」状態から起こす、という会)を設立しました。

しかし、私自身も、忘れてはいけないものづくりの心が知らず知らず薄れていたことを否定できません。メーカー、ブランドに依存した品揃えには、マスプロダクションの影響が否めませんでした。
そこで「蒲団屋」は、その命名の由来のままの「蒲団屋」であるべく、ものづくりに帰る決意をし、付加価値という言葉に飾られた過剰品質を拒み、また多量生産、価格破壊という言葉に飾られた過少品質も拒み、「安全」「コストダウン」を追求。蒲団の素材「羽毛」「羊毛」「麻」「真綿」「綿」「布」の工場見学、勉強会、商品開発、自身で使用しての検証などを行い、「眠り専門店」として「質」の高い睡眠をお客様と共に創造できる蒲団屋オリジナル・手づくり商品に品揃えを変えています。

最近は、リュゥートによるバロック音楽、奄美の音楽、ケーナ、クラブD J、バイオリン、ピアノなどの演奏、100万人のキャンドルナイト、語り部、一ヶ月間の「event & bottle @Bar T O T S U Z E N」などの会場として蒲団屋が愉快に時々変身しています。蒲団屋なのに……。

 
  蒲団屋の2Fに、まちづくりサロン「いころ」を開いています。
そこに、集まる人たちが蒲団屋の雰囲気が気に入ってくれ(結構音響が良いみたい) 「語り部の会」を開催し、 コミュニティーの輪を広げています。
 
 

子供新聞:昨年、モノを作る楽しみと、手間がどれだけ掛かるかを知ろうと、仲間たちと「ワタ」の栽培をしました。その時 地域の小学生が総合学習で蒲団屋に訪れ、昔の機械(ワタ繰り機)でワタの種取り、「糸車」で糸をつむぐワークショップをした感想を「ふとんや新聞」にしてくれました。



されど「杉」-----古き良きモノを残す目と新しきモノを取り入れる勇気、それを見極める英知

時代と共にスタイルを変えて蒲団屋も変革していきましたが、いくら時代が経ても変えてはいけないモノ、伝え継承していくべきモノがあると思います。
松山市が掲げた「坂の上の雲」を軸にまち全体を博物館ととらえる「フィールドミュージアム構想」のセンターゾーンに当商店街が指定され、ファサード景観整備、道路景観整備(電線類の地中化等)が沢山の人たちの関わりの中で5年の歳月を経て完成しました。


ロープウェイ 商店街は、四国最大の大街道商店街の一つに挙げられる商店街ですが、名物の坊ちゃん列車が走る大きな国道に阻まれ、一等地でありながら人通りが三分の一に減る商店街です。このような商店街に来て頂くために、私が当初考えたのは「当地区のお宝はなんぞや、どんなマチにしたいか」でした。一番のお宝は、松山市の中心地に位置する山頂に松山市民のシンボルとなっている松山城です。松山城は全国に現存する多数の城の中でも、400年を経て木造で残る12にしかない城の一つです(四国には確か4〜5城あります)。ロープウェイ街(昭和30年に ロープウェイ 完成)は、この松山城に上がる沿道として発展・形成されたと共に、その昔当地区は小唐人町と呼ばれた職人町でした。400年の時代を経ても人々を感銘させ続ける城……、壮大な石垣・石組み、木柱張り、漆喰、鉄鋲、瓦、素朴な素材を匠の職人達が組み合わせて長い年月命を懸け、手間暇かけて築きあげた物語、日本の美の集大成であることに気付かされたのです。

蒲団屋裏手の石積み。
みごとな借景です 。


やっぱり「杉」----本物 お宝を生かす

蒲団屋の裏庭(店舗を立て替える前までは、見事な材で設えた茶室の庭で池もありましたが今は無くなり、現存するのは苔蒸した灯籠、手水鉢のみ)には、松山城を背に東の郭で約250m続くお宝、石垣(一説によると松山城最古の野良積みの石垣ではないかと言われています)があります。それを借景に店内から見えるようにし、さらに今回の景観整備(蒲団屋の商いの変革)にともない、「城」地域景観特性を生かした店舗外装としました。腰板、土間は御影石で、壁は柚肌仕上げ吹付けの漆喰風(予算が無かったので本漆喰は断念)。8角形の檜柱を用い、樹齢おそらく80年ぐらいの県内産の杉(太鼓削り/4.6m)をのき張りにし、2階の窓枠も木枠、一部8p檜角材で格子をつくり、一部檜の板張りに変えました。幅10m、棚7段の店内の棚も杉材でつくりました。(改装に当たっては伊予市のアトリエ A & A建築家・武智和臣氏に適切的確なアドバイスを受け、景観整備においても良き相談者になっていただき、感謝申し上げます)。

私にとって、味がない何も感じない既製品は使いたくありませんでした。安くても本物の質感を持つ材は、長年使えてリサイクルでき、環境にも優しい、流行にとらわれず、使い込むほどに味が出てきます。(店舗の什器は本来商品を引き立てるもので、主張をもたせてはいけませんが、蒲団屋はうまく融合していると、自己満足しています)。

 
  2階の窓越しに見る石積み。こちらも借景。今、この石積みを線でつなぎ商店街の新しいシンボルに出来ないかという構想も持ち上がっています。



さらに杉は、その柔らかさや温もり、香りがなにげなく人の五感になごみを与えてくれます。それは人間社会以前から自然界に存在していたからでしょうか? 杉は生き続けています。店にいると杉の声が聞こえてきます。「パーン」「ミッシ」と音が響き、私に話しかけるのです。割れます、反ります、主張しています。思わず杉を手のひらで撫でてしまいます。愛着わく蒲団屋の杉達です。

店内、店舗内に杉の軸組を一度組み、そこから天井や照明などの備品を取りつけています。自由度のある空間。天井にはススダケも。

杉棚。棚は収納物によって高さが変えられるようなつくりになっています。天然素材とバランスをとっています。ただ施工は意外と難しく、難航しました。上に置いてある赤い棒は神輿の担ぎ棒です。奥にはやはり石積みが見えます。


この、景観整備は当商店街の85%の店舗が参加し(公共事業としては異例の参加率)、店舗外装の改修を行いました。最近の流れではあると思いますが、設計者、建築業社が杉についてクライアントに言うのは、「雨が降って濡れると歪む。腐る。変色する。だから、アルミ(新建材)の方が長持ちします、便利です」ということです。何か一抹の不安を感じます。こんなんで良いのだろうか、心まで無機質になり、将来の子供達に与える影響、環境は?と考えさせられました。

道路景観整備に関しても9回裏の逆転劇みたいなもので、天からクモの糸がたれ、神様のように小野寺さん、南雲さんが舞い降りてきてくれました(ある方々の頑張りによってです)。そして、単なる車・人が通る道路ではない、このまちのテーマである「和・なごみ」のある「通り」になりました。本物の煉瓦、本物の御影石、骨材を生かし色合いを考えた舗装、素晴らしいバランスの組み合わせ、また、鋳鉄での手間をかけたボラード、昔の提灯をイメージした現代の提灯をデザインした街路灯、あかりの演出……、お陰で日本一の街路になりました。お二人以外にも私の知らない沢山の人々が関わり、 ロープウェイ 街に、こだわり、思い、を持って大きな作品が完成したと思います。意を尽くせませんが、すべての人にあらためて真摯に感謝申し上げます。

少しだけ、「ナグモの世界」に触れたくて、店舗の杉張りの余りがあったのでそれを利用して舗道上にイスをつくりました。すわって尻肌やさしい杉の感触を味わっています。

「杉」ええぞ、なもし(伊予弁)。

  
座って暖かい。通りを行く方々が座っていきます。


●<わたなべ・げんご> 親の家業を引き継いで3代目、蒲団屋 大番頭


   
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