特集 矢作川流域支部結成!!
  木づかいと共に進める矢作川流域単位の森林づくりとその考え方
文•写真/蔵治光一郎
   
 
 

はじめに

  国土交通省中部地方整備局豊橋河川事務所が2000年に組織した「矢作川流域圏懇談会」の山部会では、「矢作川の恵みで生きる」を出発点(合言葉)として議論を進め、課題を大きく「人と山村」「森林」の2つに設定した。そしてそれぞれの課題を解決するための手法の一つとして、流域圏として統一性のある森林管理を行い、矢作川の森の恵みが中下流や海までいきとどくために「森づくりガイドライン」を策定することとし、おおむね月1回のペースで行われるワーキンググループ会議、地域部会、全体会議等において議論を進めてきた。筆者は山部会設置当初から、この「森づくりガイドライン」策定の担当者を務めてきた。
   
   筆者は、「森づくりガイドライン」とは、「矢作川流域単位の森林づくり」を実現するための手段の一つであると考えている。流域単位の森林づくりという考え方の歴史は古いが、近年の急速な国民の価値観、ライフスタイルの変化に伴い、その考え方の中身も大きく変容しつつある。本稿では、流域単位の森林づくりの考え方の歴史を振り返り、矢作川流域単位の森林づくりの未来を展望することを試みる。
   
  流域単位の森林づくりの考え方の歴史
  森林を流域単位で管理しなければならないという考え方は、日本では飛鳥時代にさかのぼる。672年の壬申の乱の勝利により政権を掌握した天武天皇は、676 年に飛鳥川の水害対策として,上流の南淵山,細川山の伐採禁止令を出した。これは政府として正式に災害防止を目的に森林の伐採を規制した最初の制度と言われている。江戸時代の1666年には4老中連名で諸国山川掟が出された。これらの制度は、上流の森林の過剰利用により土砂が河川へ流出し、河床が上昇したことにより洪水時の水位が上昇し、水害の頻度が高まったことが背景にある。下流の水害を減らすために、流域単位で森林の過剰利用を抑制しなければならないという考え方である。この考え方は江戸時代、熊沢蕃山や河村瑞賢らによって思想の段階まで高められ、「治山治水思想」という言葉が社会に定着した。この思想は明治時代の1897年の森林法制定に伴う水源涵養・土砂流出防備保安林の設定によって法的に位置づけられ、現在に至っている。
   
   次に生まれた考え方は、下流に「清浄にして豊富低廉な」水の供給をするために、上流域の森林の過剰利用を抑制しなければならない、という考え方である。この考え方に基づき、水源林という言葉も生み出された。まず平安時代の821年に、わが国初の水源林保護制度といわれる水源禁伐の官符が出された。この官符の背景にあった考え方は、大河川の水源は鬱蒼とした森が茂っており、小河川はハゲ山の丘陵から流れているので、もし森が伐採されてしまうと河川の水が涸れてしまう、という「科学的に誤った認識」に基づいたものであった。この認識は土砂流出による水害の激化という「科学的に正しい認識」と結び付けられ、社会的に広く認識されるに至った。明治後期には農業用水団体が水源林を購入する動きが起きた。庄内赤川(鶴岡市、1908〜、1319ha)・青竜寺川(鶴岡市)・明治用水(矢作川流域、1908〜、525ha)・鹿妻穴堰(雫石町、233ha)の4つの事例が有名である。明治用水は矢作川上流の森を購入したが、その際の合言葉は「水を使う者は自ら水をつくれ」であった。また東京府は清浄な水道水を得るため、1901年に多摩川上流の水源林を購入した(現在の面積は21,629ha)が、これは多摩川の上流域が東京府の権限の及ばない山梨県内であったことが影響している。その後も全国の多くの水道事業体が水源林を購入し、管理している。
   
  現在の科学では、雨が多い場所には鬱蒼とした森が生育し河川が大きくなり、雨が少ない場所はハゲ山になりやすく河川が小さくなること、森が伐採されれば、河川の水量は逆に増加することが証明されている。このような科学的事実は、残念ながら社会になかなか受け入れられず、多くの人が誤った認識を正すことができないまま、今に至っている。
   
  いずれにしても、流域単位の森林づくりの考え方は、下流の人々の生活と上流の森は、河川によってつながっており、河川がもたらす恵みである水資源や、災いである水害や水不足は、上流の森林の過剰利用によって悪化する、という論理に長い間、支えられてきた。
   
 
   
  岐阜県恵那市上矢作町のアライダシ原生林にて。縄文時代はこのような大木が流域を覆っていたのだろう。
   
  流域単位の森林づくりの新しい考え方
  それに対して近年、流域単位の森林づくりの新しい考え方が芽生えてきた。その背景には、木材の需要が減少し、価格も下落し、木材生産を目的とした森林伐採が不活発になり、森林の過少利用とでもいうべき状況が出現したことがある。上流域の山村地域の中には、森林利用が地域経済の中で大きな位置を占めている地域があり、そのような地域では森林の利用が過少になれば、地域経済は衰退の危機に瀕することになる。国は所得の再分配により、このような地域を支援しようとしてきた。1975年には林野庁が「緑のダム」という言葉を生み出し、1985年には国レベルの水源税構想が示された(実現には至らず)。時を同じくして、長い歴史があって日本人の心の奥底まで浸透している「森林の過剰利用は下流に災いをもたらす」という論理を援用し、下流の都市住民が上流の山村を支援する、という考え方が萌芽してきた。1978年には水源林対策を明記した矢作川水源基金が設立され、1991年の森林法改正で森林を流域単位で管理するシステムが法的に位置づけられた。1993年には豊田市の水道事業審議会が水道水源保全の答申を行い、1997年には林政審議会が「国有林野事業の抜本的改革の方向」を発表、2001年の森林・林業基本法により「公益的機能重視」の政策転換がはかられた。2003年には高知県が全国初の「森林環境税」制度を開始し、10年間で35都道府県に広まった。
   
  この考え方を都市住民に正しく理解してもらうには、森林の過剰利用だけでなく、過少利用も、水害や水不足といった災いを引き起こす可能性が高まるので、公的資金を投入してでも支援する価値があることを証明する必要がある。科学的にこのことを証明することは容易ではなく、長い時間がかかるが、現代社会の急激な変化はそれを待ってはいられない。森林の過少利用がいつの間にか「森林の荒廃」と呼ばれるようになり、「森林の荒廃」は「保水力の低下」をもたらす、という科学的根拠の不十分な言説が流布されるようになった。
   
  森林の過剰利用によるハゲ山化を「森林の荒廃」と呼んできた専門家にとっては、人工林が過少利用となり、間伐されずに過密状態で放置されることを、同じ「森林の荒廃」という言葉で呼ぶことなど、考えられなかった。この両者は、科学的には、あまりにも異なるものだったからである。森林の過剰利用を「森林の量的荒廃」、森林の過少利用を「森林の質的荒廃」と呼んで区別する専門家も登場したが、この使い分けも都市住民に浸透したとはいいがたい。
   
  森林は、もはや都市住民にとって身近な存在ではない。都市住民が容易に認識できる現象ではなく、科学的証明も難しい森林と河川の因果関係は、実際に災害が発生して初めて広く人々に認識され、因果関係を証明するデータを得る必要性がようやく認識される。矢作川流域では有名な「流域は一つ、運命共同体」という合言葉は、上流の森林とは直接関係のない、土石等採掘業者や窯業原料供給業者が濁水を垂れ流すことによる河川の水質汚濁を防止する運動に由来していたが、2000年の東海豪雨以降は、上流の森林と下流の都市は運命共同体であるという意味でも使われるようになった。この災害では2014年広島土砂災害と同様に、風化花崗岩のマサ土の表層崩壊、いわゆる「沢抜け」が数多く発生したが、その多くが過少利用により「質的に荒廃」した森林で起きていた。この事実を目の当たりにした下流の都市住民は、安心・安全な生活を求めて立ち上がり、自らデータを集め、研究者や行政も、因果関係を証明するためのデータを収集し始めた。
   
  このように、流域単位の森林づくりの新しい考え方は、河川がもたらす恵みである水資源や、災いである水害や水不足は、上流の森林の過剰利用のみならず、過少利用によっても悪化する、という論理に支えられている。もしそれが本当であれば、過剰利用も過少利用もいけないということになり、残された選択肢は「適度な利用」ということにならざるを得ない。
   
 
  典型的な放置人工林。豊田市内にて
   
  木づかいと共に進める流域単位の森林づくりの考え方
  残された選択肢「適度な利用」とは、河川がもたらす災いである水害や水不足、森林の立地する斜面が崩れることによる土砂災害やダムへの土砂流入をこれ以上悪化させることのない範囲で、森林を最大限、利用することである。人工林について言えば、木材生産に適していない急勾配の土地や、新たに道を作らない限りアクセスが悪い立地条件の人工林は、木材生産をあきらめた方が賢明であり、逆に、現状が人工林でなくても木材生産に適した土地では、積極的に木材生産を目指す場合もあるかもしれない。
   
  およそ、あらゆる第一次産業について言えることだが、現代日本において天然資源の「適度な利用」を実現することは、極めて難しくなっている。ほとんどの消費者は安ければ安いほどよい、という消費行動を取るため、商品を売る側もできるだけ安く売ろうとする。価格が低下しても、中間の流通や加工の業者は一定の経費をそこから取らなければやっていけないため、そのしわ寄せは生産者に来る。とにかく安く買い叩かれるだけなら、生産者はやる気をなくすだろう。かくして、日本の第一次産業は「過剰な利用」か「過少な利用」か、という両極端な二者択一を迫られる傾向にある。TPPなどによって低価格の農林水産物が流通するようになれば、この傾向に拍車がかかるであろう。森林の利用についても同じであり、過少利用という結果を招いている。
   
   これからの日本で、なぜ、木材生産を行う必要があるのか。私は大きく二つの理由があると考える。一つはすでに述べてきたように、国土の7割を占める森林は、「過剰な利用」でも「過少な利用」でも、河川を通じて私たちに災いをもたらす可能性が高まるからである。現状は「過少な利用」であるから、利用を増加させなければ「適度な利用」にならない。木材を買って使えばいい、ということだけではなく、自分の住んでいる地域の上流域で生産された木材を選んで買うことが必要となる。もう一つの理由は、歴史と文化の継承である。日本の長い歴史の中で、日本が木の国でなかったことがあっただろうか。現在のような、木を使わない暮らしは、歴史上かつてなかったことである。木を使わない国民は日本人といえるのか、全国民が一度立ち止まってよく考える必要があるだろう。歴史と文化の継承にはお金がかかる。公的資金を投入する根拠ともなるし、個人や企業が出資する価値のある理由にもなりうるのである。
   
  自分の住んでいる地域の上流域で生産された木材を選んで買うことは、地域の安心・安全を確保し、歴史・文化の継承にもなる。このことを理解した消費者が、自分の住んでいる地域の上流域で生産された木材を容易に選んで買えるよう、ありとあらゆる手段を使って、流域全体を山から川、まち、海までスギダラケにしていくことが求められている。
   
 
  豊田森林組合の原木市場にて。長伐期施業を推進すれば、山に大径木が増えるが、運び出すことは容易ではなくなる。都市住民はこの丸太にどのような価値を見出してくれるのだろうか。
   
  ●<くらじ・こういちろう> 東京大学 演習林 生態水文学研究所長
   
 
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