特集日向

 
「ふれあい冨高小学校まちづくり課外授業」を振り返り、今思うこと
日向市 和田康之
*「ふれあい冨高小学校まちづくり課外授業」の詳細については、 冨高小学校 夢空間の小冊子(pdf)を参照ください。
 

 

 


 

2006年6月初旬、長さ18mに及ぶ大断面の杉集成材が、100tクレーンで1本1本丁寧につりあげられている。今年12月に開業する新しい日向市駅舎の大屋根に架かる34本の梁だ。その光景、姿たるや、上品で優雅である。

そして昨日、高架駅舎のホームにあがった。既に、110mの大屋根の梁、野地板までほぼ貼り終えているのは、地上からもわかってはいた。2階ホーム上にあがって、息を呑んだ。杉で覆われた大屋根。神秘的な空間。気品あるたたずまい。まさに圧巻。形容する言葉がでない。トップライトからの陽のさしこみも美しい。今まで、図面や模型、パース図面をどれだけ、見てきたかわからない。しかし、こんなにすごい駅舎ができるなんて想像できていなかった。いかに自分の想像力が乏しかったか愕然とする。同時に、日向圏域住民の誇りとなる駅舎が誕生することを確信した。

 

 


 

2004年春、2年前に実施し好評だったふれあい冨高小学校のまちづくり課外授業を、再度取り組んでみてはという話がどこからともなく湧いてきた。2年前(2002年、初回)は、日向市駅周辺地区のまちづくりコーディネーター的役割を果たしていただいている東京大学の篠原修教授、内藤廣教授をメインの講師に招き、まちの模型製作を通した授業だった。
その2回目の講師として、ぼくの頭のなかに浮かんだのは、南雲勝志さんだった。あの人なら、きっと子ども達といい関係を築ける。楽しい、夢のある、想像性を育む授業になるのではないか、適任ではないかと思った。

その前の年の暮れ(2003年12月)、当時、ぼくは、日向市から宮崎県に出向し、研修職員として県に身をおいていた。上司だった森山さんと都城に行く機会があり、その時、南雲さんも一緒だった。日向で塩見橋やまちなかのファニチャーをデザインされている方ということは勿論知っていたし、一方的にお顔を拝見したことも何度かあったが、言葉を交わしたのはこの日が最初だった。どんな話をしたかはよく覚えてない。宮崎〜都城〜なぜか高鍋までの電車の道中、森山さんと南雲さんが話されていて、たまに相槌をうつように、南雲さんがぼくの顔を見る。こんな程度の会話というか、やりとりだったような気がする。
講師は南雲さんがいいと直感したのは、この日受けた、いわば第一印象である。デザイナーという横文字にひかれた訳ではない。日向のまちづくりに関わりがある人という条件は根底にあったが、それより、ぼくが南雲さんしか考えられないと思ったのは、人間性、人をひきつける魅力みたいなものだ。そんな経緯があって、南雲さんに講師を依頼、打診した。

南雲さんは、篠原先生、内藤先生に少し気を遣いながら、2つの条件をつけて了解してくれた。ひとつは、やるからには、子どもたちと向き合える時間を十分にとってほしい。1回とかの授業ではダメだと。それと、91名の子ども達を自分ひとりでは限界がある。信頼できる仲間がいるから、その仲間と一緒にやりたいと。
 すぐ南雲さんから、仲間二人のプロフィールが届いた。なんとひとりは、フルフェイスのヘルメットをかぶっていて、顔はわからないのである。少し面食らいながらも、何だかとてもわくわくするような気持ちになったことをよく覚えている。

南雲さん、そして内田洋行のデザイナー、若杉浩一さんとフルフェイス素顔の千代田健一さん、この3講師のキャラクター、人柄は、すぐに子ども達を魅了した。外部から来た先生というもの珍しさではない。デザイナーとして彼らの仕事が、超一流だということを知っている訳でもない。南雲さんたちは子どもを信じる、子どもとともに考える、子どもとともに汗をかく、子どもを裏切らない、そんなことを確実にやったにすぎない。純粋な12歳の子どもたちには、よく見えるに違いない。インチキな大人でないことが。これは、ぼくにとって、とてもうれしかったし、励みになった。

担任の先生方、川崎先生(1組)、江藤先生(2組)、黒木先生(3組)の情熱、山本校長先生の全面的支援、そして、3名の講師陣とのスクラムも素晴らしかった。毎回授業が終わったあと、夜遅くまで議論を交わし、信頼関係も強固なものになった。双方、そこまでやらないと気がすまないところがあった。また、子どもたちは、海野さん、藤永さんら日向木の芽会をはじめとする多くの側面で支えてくれた大人たちがいて、はじめて自分たちの夢を実現できたということをきちんと理解し、感謝をことばで表していた。先生というのは、子ども達がゆらがないように、核となるところだけをしっかり伝えていく、それで十分なのかもしれない。

子ども達のまちに対する想いや夢は、とても純粋で、ストレートだった。まちづくりは、大人だけの世界ではない。仮に大人が舵を操っているなら、将来を担う子どもたちへ桟橋を架けるのは、最低限の義務だろう。その桟橋は、将来のまちを想像でき、夢が語りあえる場、また人が集える場でなければならない。新しくできる日向市駅舎は、まさにそれにふさわしい場だ。

 

  先日、ぼくにとって2年ぶり、3度目の冨高小学校6年生の子ども達と出会いがあった。冒頭に記した日向市駅舎の建設現場を見学してもらったのだ。南雲さん、小野寺康さん(月刊杉2〜4号参照ください)にも特別講師を引き受けていただいた。将来、大人になって、日向市駅ホームに立った時、この日のことを思い出し、ずっと心のなかにふるさとの駅への愛着、そして誇りをもってもらいたいと心から思った。

子ども達がつくった「移動式夢空間」が、日向市駅舎同様、今後永年にわたり、人に愛され、人の思い出が入り、心のよりどころとなっていくこと願ってやまない。

 

  <わだ・やすゆき>宮崎県日向市 市街地開発課
 
 
   
   
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