連載
スギダラ家奮闘記/第12回
「少し振り返って」(2) スギダラ・インテリアの戦い
スギダラ家奮闘記、スギダラ家計画は現在、深く新しい作戦を仕掛けております。もう少ししたら動きをご披露できると思いますので、お待ち頂ければ幸いです。
前回はスギダラの出来た背景に触れたが、今回は、この間、広報宣伝部長の千代田君(チヨケン)、小林君(コバケン)とともに仕掛けて来たスギのインテリア事例をご紹介したいと思う。というのは、我々はスギのデザインをやっている面白い集団と認知されているのだが、果たしてどのような活動を日常行っているのか、何をやろうとしているのかを、まったく話も紹介もしないまま、ただただ暑苦しくスギデザインをかたり、飲み、盛り上がる(もっとも大切な事なんですが)だけで、みなさん半信半疑の状態だった、という事に気づいたからだ。 上崎の方がおっしゃった。 「あんた方、有名な方で、協力して頂いているのは理解しとりますが、スギダラちゅうのは何をされておるんですか?」 そりゃそうだ。端から見たら、「なんだか東京から来たおもろい人たちで、スギが好きなんだな〜。でもいったい何やってんだ?」ってなところなのだ。 そう聞かれて、今までの活動の写真やら活動の記録やらをお見せしたところ、いたく感動され、また、私みたいな企業人が参画していることの意味を理解して頂いた。 なんでこんな事をやるのか? それはその時の盛り上がりと必然性があり、嗅覚の赴くままやって来たのだが、失敗もあり、恐怖もあり、学習もあり。ただただ我々は、ゾウリムシのように光に向かって成長をしたのだろうが、巨大化したゾウリムシをいきなり見た方々は理解に苦しむのである。 最近、スギダラ3兄弟で、大学や講演会やらで話す機会もあり、さらに説明を求められる機会が増え、少し振り返ってまとめてみて、話す事で核心やこの先が見えるかもしれないと思っているのである。 前置き長くなりました。 さて、南雲さんの「杉太」に出会って、社内で商品化を認知されずにいたが、それでもあきらめきれない僕たちは社内の色々なチャンスに画策。教育の全国規模のイベント「エデュケーション エキスポ」の間伐材、県産材の利用という企画に目を付け、当社の教育の事業部長に懇願し、出展・制作の許可を得た(写真参照)。そのときに生まれたのが、「動きスギ」であり、スギのテーブル「長スギ太」「高スギ太」であった。社内では半信半疑、それどころか「売りもんじゃない物を出すな!!」である。 しかしそれとは裏腹に、色々な教育関係の方々や先生に受けたのであった。 「欲しい、いくらするの?」 「学校の施設に入れたい!!!」 そうか、お客さんの要望なら社内に文句を言われず、製品開発や事例が、お客さんのお金で出来るのだ。 そう気づいてから、インテリアをやるたびに、というか、スギダラケをやるためにインテリアの仕事をした。とにかくスギの家具があってインテリアがある、まさしく本末転倒、いや本スギ天道!! それに千代田君がよくがんばってくれた、というか、つきあってくれた。まさしく公私混同スレスレを本気でやる、しかも素早い。それから怒濤のごとくスギを使っていった。2人3脚いや3人4脚体制。報酬はプロトタイプ分を頂けるだけ。僕たちはともかく南雲さんもよくつきあってくれたと思う。 きっと、それは、クライアント、いやユーザーからの喜びと、要望に支えられていたからかも知れない。とにかく、お客さんが、お客様に自慢する。そして繋がっていく。 多少反っても狂ってもメンテナンスする事でまた生き還る事を喜んでくれる。 大切に扱い、スギの家具に対する振る舞い方が生まれる。そして語ってくれる。 なんだかスギダラユーザー友の会なのである。それぞれの案件にスギ家具の名前があり逸話がある。そしてそれに、使い込まれた歴史が重なる。いつの間にか、我々の作っているマスプロダクトにはないストーリーと関係が出来上がるのである。この事に酔いしれ、突き進んでいった。その中で地元、産地とのふれあいが生まれ、地元や産地と協力をしながら製品やインテリアを作るという我々のマスプロダクトにはない新しい関係が生まれた。まさしく「中央と地方、マスと一品ものの出会いである」。これぞ新しい開発の姿に違いないという確信めいたモノが生まれるのである。 ユーザーの顔が見える、素材を通じて関わっている人たちの顔が見える。使い方、関わり方の知恵が共有される。そして何より製品やデザインを軸としたコミュニティーが形成されていく。もうたまらないのである。うれしいのである。 「皆で作る、モノ作り」と言ってしまうと簡単だが、やめられなくなってしまった。我々だけでなく、ぜひ多くの方々に味わってもらいたい。そして新しいモノ作りや関係が生まれる事を、我々は期待しつつゾウリムシのように活動を続けたいと思う。ねえ、南雲親分、千代田弟分!!
写真1 「EDUCATION EXPO」での展示。写真のように離れない人が結構いた。