不定期連載

かみざき物語り 第4回
文・写真 / 南雲勝志
もうすぐ橋が架かる上崎地区、架橋を通してまちが動く!?
 
 

約五か月ぶり、久々に上崎からの便りである。

上崎地区は温暖な気候と緑豊かな環境に恵まれ、みかん、桃、梨などの果物が一年中出来ることで知られている。糖度はピカ一らしい。ボクも食べたことがあるが本当に甘い! 五月の新聞に上崎地区ふるさとづくり促進協議会会長の甲斐さんが桃の収穫をしている様子が新聞に掲載された。

●その後
さて本誌6号のかみざきものがたり、すぎだらな人々、そして9号で紹介してきた、上崎地区ふるさとづくり促進協議会(以下ふるさと協議会)主催によるワークショップは地区住民、九保大、スギダラとスクランブルしながら2回開催された。(第2回が2月18日)その努力の成果である上崎橋の高欄用杉材は伐採、葉がらしを経て、玉切り、切り出しと順調に進んでいった。この模様は東臼杵振興局によって「林道」という専門誌にも掲載された。(みなさん頑張っています。)

5月17日。福岡の帰りに上崎に寄る。高速バスで4時間の旅だ。笠木の杉は、乾燥、丸加工の工程に移っていった。高欄への取付方法等を検討するために大まかな試作を製作、それを見ながらもう一度地区民による取付を前提に詳細検討、そして完成までの今後のスケジュール等が話し合われた。地味であるがこの辺は大事な技術的な打合せである。これなくしてイベントは出来ない。
またふるさと協議会からは来訪者に気持ち良く地区内を散策してもらえるよう、案内板、ベンチ等を製作していくことが報告された。また現在の地区センターの入り口に杉のシェルターを架け、効率よく共同作業が出来るためのスペースをつくることになった。地区は地区で盛り上がっているようだ。

そうこうしているうちに確実に上崎橋の工事は進んでいった。

●日向打合せ
その一ヶ月後、6月20日。最終的な詳細の詰めが関係者がなぜか日向市役所に集まり検討会を開いた。(理由は簡単で前日、小野寺さんとともに日向で打合せがあったので、こちらまで来ていただいたのだ。)親柱、袖柱、防護柵など一連の最終打合せを行った。

そして橋梁の完成予定から地区のイベントの日程を割り出し、今後のワークショップの日程、回数、規模と最終的なイベントの規模、内容などを話し合った。結構時間がない、結構やることがたくさんある。そして戦力に期待していた九保大の学生が大学のカリュキュラムの関係でなかなか参加出来そうにないというマイナスの条件も加わった。さらに地区側からはワークショップの集大成としての完成イベントと別にもう一本、念願の橋の完成を祝うイベントは別に行いたいという一見不思議な話が登場した。
理由は念願の橋の完成を祝うイベントはどちらかというとオフィシャルなもので、それなりの関係者が集まり、故郷を離れた出身者にも参加してもらい、みんなで祝うということなのだが、突き詰めるとそれは行政の正式な竣工式とセットでないと意味がないということらしい。そして両方のイベントは地区にとって負担も大きいとの意見も出された。

理由はわからなくはない。
我々は行政の竣工式はお飾りで、市民主導の完成イベントの方が何倍も価値があるといってきたが、それは言ってみれば単に好きな人が内輪でやることに過ぎないのだ。(おそらく比率でいえば前者の方が格が上という考え方は普通に当たり前なのだ。)地元に負担をかけてまでやっても意味がない。少し動揺しながら、ちょっと時間をかけ整理しましょう。ということになった。とはいえ、もう6月も半ばの事だ、当初予定していた7月のワークショップはとりあえず中止。その先のスケジュールを具体的に詰めながらの話だ。

●再び上崎地区へ
そして7月6日、イベントに関する調整会議が地区で行われた。今後のことを考えるとこの時点で地元としての最終判断をしないとあとの作業が動けない。また、言葉ではわかっていても具体的なイメージが湧かない高欄取付作業に対する説明を、原寸試作を前に説明を行い、実際のイベント当日のタイムスケジュールが検討された。意見は一枚岩ではなく、時間も延長して真剣な議論が続けられた。

そして大きな方向性が確認された。(1)行政の竣工式(市主催)は地区民総出で行う。これは地区主導、婦人部を中心にお客さんをもてなす。(2)そしてその前日、ワークショップの集大成としてのイベントを行う。メインメニューは地区民全員による高欄笠木の取付、それに加え現在運休中だが、長い間(昭和12年以降)お世話になってきた高千穂鉄道(07号参照)、上崎駅周辺を休息の場として修復、線路上もトロッコ的な機能を持たせ地区として愛情を持って活用していこうというもの。これはふるさと協議会主催で行う。九保大、スギダラが協力する。

 
  桃狩りの記事:5月夕刊デイリー

  
製作打合せの模様:田丸木材にて。

高欄笠木試作:結構ふといねぇ(笑)

連結部詳細:この穴に連結金具が入る。

高欄模型:笠木の径は20cmもある。

袖柱模型:手に触れる箇所はやはり杉材を使用。

 
  7月6日:住民打合せ。婦人部を含む30人ほどが結集。

●上崎駅復活!?
   
 
 

しばらくぶりで訪れた上崎駅。
列車も通らず手入れもない。訪れる人もなく線路にはびっしりと雑草が育っていた。伐採でお世話になったヤスシさんがひょっこり顔を出してくれた。「この草刈っておきますよ。」さりげなく言ってくれた一言に勇気づけられる。保線区長決定だ。
「昭和12年だったと思いますよ。ここに高千穂鉄道が通ったのは・・・古い写真があるので今度探しておきます。」そう言って遠くを見つめた。しかし上崎に停車場ができたのは昭和32年になってからことらしい。線路は通っていたが戦争を挟み20年間この地に列車は止まらなかったことになる。駅が出来た時の喜びは想像出来る。そして駅舎が出来たのはそのさらに後のことだ。

つまり、高千穂鉄道は、昭和32年頃から昨年までこの地区と外部を結ぶ貴重な交通機関であった。幸い(と言っていいかどうか)上崎橋が出来ることで、地区は国道に直結する。陸の孤島とおさらばだ。しかしそれだけではすまない繋がりがこの駅はあるはず。上崎橋こんにちは、上崎駅さようならではあまりに寂しい。

ふるさと協議会の甲斐さんもやってきて、振興局のみなさんとしばらく現場を見て回った。駅舎は意外と汚れていない。ちょっと手を入れればすぐきれいになる。時刻表などは運行当時のままだ。先ほどの会議の最中にどなたかが「乗車券を杉でつくりましょう」と発言された。素晴らしい。「乗車してくれた人にはミカン10個!いや3個!5個くらいがいいんじゃない」話が弾む。

「駅舎をきれいにしてプラットホームにベンチをおいてビアーガーデンもいいねぇ。」とボク。

あとは線路だ・・・
高千穂鉄道の保線基地、「川水流(かわずる)駅」は上崎駅の隣にある。線路の使用に関してはここに行けば相談してくれる。植村さんの案内で支所も方と一緒に連れて行ってもらった。

 
  雑草に埋まった線路。奥は現場管理事務所。

  
昔の上崎駅をを熱く語るヤスシさん。(左奥)
向こうに見えるのがは上崎橋。

内部は意外ときれい。いける!。思いでの写真もパネルにしてたくさん貼ろう。

待ち受けてくれたのは旧国鉄の頃から上崎鉄道を守り続けてきた、TRの守護神小浜さん。

奥が小浜さん。一人でコツコツ仕事をされていたが、丁寧な対応をしていただいた。昨年の台風14では小浜さんの後ろの扉の上(うっすら白い線が見える。)まで水につかった。(高さにして2mほど)書類は全滅だったそうだ。

 
あるある。使えそうだ。しかしいいですねぇ。線路は。最近すっかり無人駅フリークになっている。

  TRが誇る新鋭保線車。今は使われる機会もない。

施設の残務処理などを細々とやられている。保線の話には何十年と高千穂鉄道を守ってきた自信と、その合間にふっと覗くあきらめとも言える表情が何ともいえず辛そうだ。
しかし、上崎駅の企画を話すと、「駅や、線路を大事にしてくれる話には最大限協力しますよ。イベント時の安全確認も行いますよ。」涙ぐましいお言葉だ。一日駅長決定。
「うまくいくといいですね〜。ずっと続くと。ただし、施設が撤去されるまでの話ですけどね。」そういわれて、これは上崎エリアだけでも地区で払い下げてもらうしかない!と勝手に思ってしまった。
とにかくおもしろいことになってきた。

線路を利用するには台車がいる。その辺に転がっているモノを見せてもらった。あるある、ゴロゴロころがッている。「いっぱいあるじゃないですか〜」思わず叫ぶと、「全部使えるわけじゃないんですよ。管理会社の分もあるし。それに今でも保線は行っていますから、ウチでも使っているんですよ。」
そりゃぁそうだ。出来るだけ傷んでいるモノを集中的に探す。そして何とか2台ほど借用出来そうなものが見つかった。感動の瞬間である。
しかし、当面は安全上の問題からも手押しが良いと思っていたボクは、それが一体どの程度の力で動くのか、不安であった。さっそく台車を線路に載せてそろそろと引いてみる。するとほんのちょっとの力でスルスルと動き始めた。鉄道ってすごい! 再び感動!「もっとたくさん乗って下さいよ。」三人載っても片手でスルスル、「いける!」確信出来た瞬間であった。

その後、上崎橋の現場に戻り橋詰め部の打合せ。ヘルメットをかぶり、久々の本業打合せだ。親柱、袖柱の収まりチェックだ。(以下略)すべての打合せが終わり、にやにやしながら山を下る途中、タイミング良く若杉さんから電話が入る。相手の用件を聞く前に思わず叫んだ。「台車うまくいきました〜」

さて台車の上に何が乗っかるか、駅舎はどうなるか?

次号に続く。

 
  使って良いものと使えないものを小浜さんに教えてもらう。

 
  これ位の間隔かな?。

 
  実験をする植村さん。軽い! でも乗る方は怖い!


 
●<なぐも・かつし> デザイナー
ナグモデザイン事務所 代表。新潟県六日町生まれ。 家具や景観プロダクトを中心に活動。最近は人やまちづくりを通したデザインに奮闘。著書『デザイン図鑑+ナグモノガタリ』(ラトルズ)など。 日本全国スギダラケ倶楽部 本部
  


   
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