再再
      
特集  上崎橋10周年!!
  手のかかる、橋ほど可愛い。

文・写真 / 長谷川映見

   
 

「地元の橋ができて10周年だから、ちょっと2泊3日で帰省してくる。」
新幹線と電車を乗り継ぐこと約7時間。”ちょっと” 帰省してくるというような距離ではない。

そもそも、橋ができた10週年のお祝いって何?! と、友達みんなにびっくりされた。 毎年、集落のみんなで集まって橋の欄干を磨くし、今回の10周年記念には全国から色んな人がお祝いに集まってくれるんだ。と話すとさらに意味が分からない…!という反応が返ってくる。そりゃそうだろうなと思う。

上崎橋が架かるまで、上崎地区がどんなところだったのかという話は、他の方が書いてくれているし、バックナンバーにあると思うので省略するが、本当に陸の孤島という言葉がぴったりだった。 10年前で小学生の時なので、もうおぼろげな記憶になってしまったけれど、開通式の時のみんなの嬉しそうな顔と、上崎中がハッピーな空気に包まれていたことは忘れられない。

私はその後、全寮制の中高一貫校に進み京都の大学に進学した。そのため上崎を離れていることが多く、欄干磨きや菜の花の種まき等のイベントになかなか参加できなかった。 正直言うと、今まで参加していなかったという少し気まずい気持ちもあったのだが…今年の10周年記念には絶対参加しよう!と思い、カメラ片手に駆けつけた。

土曜日の朝からみんなで、わいわいテキパキ準備を進めていく。役割分担を決めて指揮をとる人がいなくても、どんどん餅まき用の餅が2000個程出来上がり、お土産用のみかんとお米に、公民館や橋周りの準備に整備、そして前夜祭の準備まであっという間に終わってしまった。 小学生の時は何も思わなかったけれど、すごいチームワーク。みんなキラキラとしていて、本当の”いきいき集落"ってこんな感じなんだろうな〜と思う。

そしてその後は前夜祭。
スギダラの方々や取材してくださった新聞記者の方など、続々と10年振りのメンバーが集まる。10年なんて間がなかったかのように、まるで1つの家族みたいな雰囲気に和む。 飲み会は進み、いきなり1人ずつマイク片手に話していくことに!事前に原稿なんて考える時間なかったのに、みんなするすると上崎橋や上崎地区のこと、この場に集まっている人達のことについて自分の言葉で語っていく。 それだけ、みんな上崎橋やここにいる人達を想って、考えていることがあるからすぐに言葉が出てくるんだろうなと思う。想いがなければ、あんな風にみんなが語ることはできないだろう。

日本中どこを探しても、こんなに愛されて大切にされている橋はないと思う。10年間毎年欠かさずに、地区の住人を中心に全長201mもある橋の欄干を手作業で磨き、ワックスがけをし10周年記念には、全国からお祝いに集まりもち投げをし、宴会をしてお祝いする。上崎橋は、本当に幸せスギる橋だ。

上崎橋が生活に密接に関わっているからということもあるが、地区住人とスギダラの方々や行政の方々、他にもたくさんの学生達や近所の人々たくさんの方が関わって、色々な想いが混ざり合ってできた橋だからこんなに大切にされるのだろう。 もし、お互い何の関わりもなくただ橋ができるだけで、欄干を磨く必要も住人や他の人が関わる必要もない橋だったら、ここまで愛されることもなく、地区内外を含めた交流も生まれることがなかった筈だ。 どこかに人の手が加わる必要があったからこそ、かみざき物語が生まれたのだと思う。

上崎地区も高齢化が進み、これからは今までと同じようには出来ない事が増えてくるかもしれない。自分達で水道や道路をつくるところから始め、橋を架けるために決して諦めなかったおじいちゃん達。そんな上崎地区だからこそ、これからもどうにか工夫を凝らして生き残っていけると私は思っている。地区のみんなも、私も、今の自分の力で出来る範囲の行動をしている。

かみざき物語は、まだこれからも続いていく。

 
  心を込めて杉高欄を手入れする住民達。
 
  前夜祭のシルエット。ワイワイ楽しそうに話す会話は終わらない。
   
   
  ●<はせがわ・えみ> (22才)京都造形芸術大学 情報デザイン学科 実質 上崎に住んでいたのは3年間だけ。しかし現在、実家のマリちゃん農園のSNS広報を担当し上崎地区のこともあわせて発信し活動している。
   
 
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