特集  上崎橋10周年!!
  上崎橋十周年を振り返って

文/写真 長谷川智久

   
 

“橋が架かるぞ”と弾んだ声で電話がかかって来た事を今でも覚えている。
それは、妻の父、佐一郎さんからだった。夢の夢でもあった橋が目の前の五ヶ瀬川に架かると言うのだ。 それまでは、上崎地区は陸の孤島と言われており、渡し船で物資を運んだ時代を経て、市道が開通したものの 峠を二つ越える曲がりくねった道を生活道路としていた。
五ヶ瀬川の対岸の国道にでるには、時間もかかるし、大型台風がくれば、土砂が堆積したりして通行止めとなる 事もしばしばあった。それ故に、上崎区民にとっては橋が架かる事は、悲願であった。
ことある事に、町政・県政へと陳情を繰り返してはいたが、なかなか希望は叶わなかった。しかし、幸運にも、 ふるさと林道整備において、実現する事となった。
上崎地区の集落の規模を考えると、そこに架かる橋という事は、車一台が通れる位の橋だろうと思っていた。 ところが、想像をはるかに超える大きな橋で、片側一車線、歩道までもある、おまけに、吊り橋で作る、 との事であった。まったく、想像できなかったが、どのような橋が出来るのだろうかと期待に胸を弾ませる毎日が始まった。

   
  工事が始まった上崎地区   グングン伸びる橋桁
  橋桁の工事も順調に進み、いよいよ完全に繋がる時が やってきた。結合式である。金のボルトでしっかり、 締めた。この時は、本当につながったのだと実感できて、 みんなが、感無量だった事だと思う。 五ヶ瀬川の対岸の国道に陸路として繋がった瞬間であった。  
    両岸から架かる橋げたをバックに上崎区民
   
  盛大に行われた上崎橋閉合式   金のボルトを締める区民。今もあるのかな?
  一方で、橋の高欄に地元の杉を使い、住民参加型の公共事業とするプロジェクトも進んでいた。 地元の杉を切り出し、丸太にして、つなげて手摺に使用するというのだ。
全ての区民がもろ手を挙げて賛成した訳ではないが、どうにかプロジェクトは前に進む事が出来た。 各家の山林から杉を提供してもらう事も決まり、いよいよ伐採が始まった。
   
  上崎地区の棟梁   一段落して休憩中
  何十年もその場に立ち続けていて、まっすぐ伸びている 杉の木をチェーンソーで、バッタバッタと切り倒すと、 ズドーンと大きな音をたてて倒れていった。規格にそって、丸太に切って搬出し、広場に集められた。 それを見て、何となく、達成感を感じた事を覚えている。 この後は、皮が剥がされ、高欄に取付ける為の加工を経て 薬剤が注入されてから、戻ってくる。 区民としては、一段落着いたことになる。  
    イベントに参加した九州保健福祉大学の学生
   
  山林から軽トラックにて運搬
  広場に山積みされた丸太
  帰ってきた丸太をみて感動した。
木目がくっきり浮き出ていて、とても綺麗なのだ。一本一本、個性があり自己主張している。
この丸太が、200本つながると、どのような風景になるのだろうかと想像を膨らませた。
丸太の底(高欄の金具との接着面)にメッセージを残そうと、小学校や物品販売所に運び、 仕上げのヤスリ磨きと同時に行った。誰もが、喜んで想い想いにメッセージを記入してくれた。
   
  帰ってきた丸太を前に作戦会議   愛情を込めて最後の仕上げをするご婦人の方々
   
  物品販売所にて仕上げとメッセージ記入   北方小学校にて仕上げとメッセージ記入
  いよいよ、手摺を取り付ける日となった。雨模様となったが、多数の参加者によってスムーズに取り付ける事が 出来た。勢い余って川に落とす事態が起きかねないと、予備も準備していたが、無用な心配だった。 皆さん、大事に取り付けてくれた。
   
  手摺の取り付け手順を説明する田丸さんと海野さん   大切に取り付けてくれてるイベント参加者のお二人
  そしていよいよ、開通式当日である。前日の雨も上がり、すっきり晴れ渡り澄み切った天気になった。 式典を終え、渡り初め、餅まき、祝賀会と進んでいった。
   
  開通式
  渡り初め
  自分たち家族三世代で、先頭で橋を渡ったのだが 何とも言えない体験であった。清々しい風が体全体に 刺さる感じで、とても心地よい気持ちで渡った記憶が 残っている。
ここまで来るには、人それぞれに、色々な事が あったのだろうと考えながら、一歩一歩踏みしめながら 進んでいった。
その日から、上崎地区は陸の孤島から開放され著しく 利便性が向上された。
 
    初めて国道に向けて橋を歩く人々
  その後、“上崎ふるさとづくり推進協議会”を立ち上げる事となった。橋が開通した後、上崎地区がどのように 変わって行くのかが重要で、上崎区民がまとまって、元気を発信していく事が大切だと考えたからである。
今では、春に菜の花祭り、夏にはTR路線の草刈り、秋には高欄磨き、冬には門松作成を恒例の行事として 活動を続けている。速いもので、十年の歳月が流れ、上崎橋十周年記念行事を行うこととなった。
今回も同じ様に式典を行い、高欄磨き、ワックスをかけてメンテナンスを行い、餅まき、祝賀会と進んでいった。 当時の関係者、総数70名ほどの方々が参加してくださり、本当にありがたい事だと思った。
   
  念入りに磨いていただいた千代田さん
  集合写真
  今回、十周年記念行事において、2本を取り外してみたが、 メッセージは当時のまま、しっかりと鮮明に残っていた。 今回の十周年記念にあたり、上崎区民で、5年後と10年後と  二通の自分への手紙を書いた。タイムカプセルである。 これからも続く事であろう上崎橋のイベントに合わせて開ける事になっている。 上崎橋の高欄の見えない所には、十年前に書かれたメッセージが タイムカプセルとして、これからも残っていくのだと思った。
メンテナスフリーであったなら、ここまでの人と人との 繋がりは生まれなかっただろう。
橋が完成し落成式を行い、その後、道路の一部として認識される だけとなり、普段の生活道路の中に溶け込んでいって しまっただろう。 手をかけた程、愛着が沸き、大切にもするし、いつまでも綺麗で いて欲しいと願うし、思い入れも強くなると思う。 すると、自然に団結もするし、行動を起こす様になり地域の 活性化に繋がるのだと思う。
 
  メッセージが鮮明に残ってる手摺の底面
   
  完成当時の高欄
 

これからも一緒に年月を重ね、 上崎の誇りでもある上崎橋を末永く使い続ける事が出来るように大切にメンテナンスを繰り返して行こうと考えています。

最後に上崎橋の建設に係った全ての皆様に感謝を申し上げます。
また、記念イベントでお会いするのを楽しみにしています。

   
   
   
  ●<はせがわ・ともひさ> 上崎住人 北小路調剤薬局。 代表。 
宮崎県西都市生まれ。 平成15年3月に福岡市から上崎に移住。

   
 
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