ようび ツギテプロジェクト 参戦!!
  5500本の挑戦

文 / 斉藤丈史

   
 
   
 

柱総数約5500本。

加工箇所約2万箇所。

初めてビジュアルを見せてもらった時には鳥肌が立った。ここで僕も家具を作るのかと。

そして、柱の加工は自分たちですると決まった時は、茫然とするしかなかった。これのすべてをプロの大工さんが作るのではなく、小さな村の家具屋と世界各地から来てくれる未だ見ぬ人びとの手で作ると言うのだ。想像も追いつかないままプロジェクトは進み、大原のとある工場跡地に柱材が運び込まれてきた。まず1000本。その圧倒的な量を目の当たりにして不安だけが募っていった…

   
 
   
 

加工初日。

まず大工さんに基準となる線を丸鋸で入れてもらい、僕たちようびの職人がその線の間に丸鋸で数か所線を入れる。するとバールを使って軽い力でパキパキと簡単に折れる。あとはそれを鑿できれいに仕上げていく。

これらの工程を経て、一本の柱が完成する。

   
 
 
     
 
     
 

この建物は、合かきと言う加工を施した柱を立体的に組んで建てられるのだ。

翌日から丸鋸でひたすら線をいれていった。家具職人は丸鋸を使うことがほとんどないので、数本入れた段階で右腕が上がらなくなったり、にぎってる手が痛くなって丸鋸を持ちたくなくなってしまう。「大工さんはすごいなー。」と同じ木を使ってものを作るという職業なのに、全然違う職業なんだと実感させられた。何本か加工したところで実物大の模型ならぬ仮組作業に入る。「かけや」と呼ばれる巨大なハンマーでガンガン叩いて組み上がっていく。その迫力たるや。組み上がったものを見て「かっこいい…」三方格子のディテール、接合部のかっこよさが際立っている。

   
 
   
  暫くは一人で作業する日が続いた。柱も加工しなければいけないのだが、通常業務である家具製作も同時で進行しなければいけないためだ。朝、誰もいない工場で作業を開始する。丸鋸を入れ終わった木材が積み上げられていて、降ろしてはパキパキ折り、小さな鑿できれいに仕上げる。一本終わるのに20分掛る。これじゃとてもじゃないけど終わらない。どうやったらキレイに早く終わるのか。試行錯誤を繰り返すがなかなかペースが上がらない。そんな日々のなか、ある日大工さんに「こういう道具があるから買った方がいいよ」と言われて渡された「突き鑿」という道具。その名の通り突いて削る。普通の鑿より大きくて柱加工に向いている「これは便利!…ん?この道具見たことあるな…。」そう、それは僕がようびに入ることが決まった今年の正月、まさに実家で見て研いだあの鑿だった。早速実家から取り寄せ、作業スピードが飛躍的にアップする。どうやら祖父が生前使っていたものらしい。「ありがとう。じいちゃん。」
   
 
   
  それからも一人加工する日々。この作業、一日中続けると「飽き」という最大の敵と戦わなければいけない。それに拍車をかけるのが「孤独」というもうひとつの敵だ。作業場がみんなと離れていた為、自然とお昼は一人で食べる様になった。すると節約の為でもあったが、だんだん質素になっていき最終的に手軽さからおにぎりとコロッケばかりになった。しかし、さすがにやつれはじめた僕を見て、ようびのメンバーがお昼だけでもみんなで一緒に作業場で食べようと言ってくれた。次の日からみんなで作った「ようび飯」を食べることに。この時久しぶりにみんなで食べるご飯は一人の時より美味しいと改めて実感したのだった。
   
 
   
 

そしていよいよ最初のツギテノミカタの登場。鳥取環境大学から来てくれた二人は、とても明るく元気で、人見知りな僕の緊張をすぐに取り払ってくれた。そして今までほぼ一人でやっていた作業場にようやく沢山の話声や作業音が響き渡るようになった。テンションが上がり僕の作業スピードも自然と上がって行く。こんなにも仲間の存在が大切だとは。こうしてツギテプロジェクトは始まるのだった。

その日から、沢山の人達がこのプロジェクトに参加してくれた。このプロジェクトの面白いところは、日本各地か多種多様な人々がこの小さな村の一角に集まり、出会い、コミニュケーションが生まれるところだと思う。僕自身短い期間にこんなにも沢山の人々と話すのは初めてなので本当に貴重な体験をしていると感じる。次第に人と話すのが苦手だった僕も、次に出会う人を心待ちにするようになっていった。

中には一か月いて手伝ってくれたりする学生さんもいて、彼は加工の腕が上がると同時に、来てくれる人たちにやり方を教えてくれたり、僕に「もっとこうしたらいいんじゃないか」などツギテプロジェクト自体の盛り上げにも大きく関わってくれた。

   
 
   
 

そんな日々の中、ある一大イベントが迫っていく。「スギダラツアー」と銘打たれたそのイベントは、二泊三日のスケジュールでスギダラクラブのみなさんが来てくれて、「ガッツリ加工しようじゃないか!」というイベントである。季節7月半ばに差し掛かり、ジリジリと焼ける太陽の日差しと蒸し暑さで工場の熱気は異様なものになっていた。

7月15日。スギダラツアー当日。

ようびメンバーフル出動。スギダラクラブの方々や個人で参加してくれる方々も合わせると総勢約25名。2〜3人でまわしていた作業を今までにない大人数でこなしていく。皆加工をしたくてうずうずしている様だった。25名ともなると人と材料で工場は埋め尽くされ、夏の熱気に負けないほどの熱量が工場に充満していた。いざ作業が始まると、最初こそみんな戸惑っていたが道具に慣れていくと同時に作業スピードもあがっていった。みるみるうちに加工された材料が積まれていく。加工する量が足りなくなってはいけないと、僕たちも作業スピードを落とさず丸鋸をどんどん入れていった。  

お昼はみんなでワイワイ楽しく流しそうめんを食べた。夏の暑さで火照っている体もそうめんの冷たさで落ち着いていった。昼から一段とます気温に体力は奪われているはずだが、みんなのものすごい集中力で初日の加工は終了した。

お待ちかねの夜の宴の時間。ここで豪華なようび飯。お酒も入り楽しい時間はあっという間に終わってしまう。色んな人が思い思いの話をしていた。その光景はまるで親戚の集まりのようなとても温かいものだった。
   
 
   
  2日目。みんな1日目で作業をマスターしたことにより柱の加工スピードは上がっていった。とにかく作業が滞らないよう裏方に徹し、鑿をひたすら研ぎ続ける。こんなに鑿を1日に研いだことなんてないしこれからもないだろう。
   
 
   
  5500本中591本。約1割の柱をこのイベントで加工出来た。たった2日でこの本数はすごいことだ。一人だと1日60本が限界だろう。10日分の作業が2日で終了してしまった。人海戦術とは正にこのことだろう。今でもあの熱気は鮮明に残っている。し、夜の語らいも。
   
 
   
  8月20日。遂に全柱の合かき加工終了。思えばスギダラツアーの暑い夏の日。あのイベントからがラストスパートだったような気がしている。それからまた沢山の人たちが参加してくれてこの日を迎えることができた。そして今、柱は長さを切り部材となって次の章へと繋がっていく。また新たに人と人を繋げてゆくのだろう。そんな日々が楽しみで仕方がない。
   
   
   
   
  ●<さいとう・たけふみ> ようび 家具職人
   
 
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