鬼塚電気工事 ZEB社屋に集った思い
 

この作品への思い

文/有馬晋平

   
 
 
   
 

樹齢約140年。大分県日田市上津江に植林され、大きく育った杉の木は、スギコダマになった。 今回の作ったスギコダマについての僕の思いは以下の通りだ。

この杉は、脂が少なく、冬目がやや太く、年輪が柔らかい縞模様をなす特徴が表れている。おおらかにしてダイナミックな木目が印象的だ。

この杉を仕入れた原木市場の担当者は、杉の産地を「井上さんの山」と呼んでいた。おそらく、井上さんとは、林業者のことを指すのであろう。きっと井上さんの先祖が植えた杉なのだ。

旧上津江村と言えば、北部九州の最も内陸で、熊本県、福岡県の県境に位置する。この付近には、熊本県小国町があり、小国杉と呼ばれる杉が有名であるが、今回の上津江の杉は、小国町のそれとも違う杉である。同じ九州、隣町でも植えられた杉の特徴は違うもので、植えた人々の好みや意思が反映されるようだ。しかし、このような地域の植林の細かい特徴は、徐々に失われているように感じる。

この杉は約140歳。伐採されたのは十年ほど前だから、今から150年ほど前に植えられたことになる。150年前というと、明治時代が始まったころだ。明治時代というのは、杉植林の一つの転機だったように推測している。近代国家が動き出し、新たな産業が興り、人々の生業も変化し、今ほど大規模ではないが、各地域で計画的な杉の植林がさかんに行なわれ始めたと思われる。その証拠に、私が住む大分県各地には、まれに樹齢150年から130年の杉林が集落や個人の山単位で残っているのを目にする。

明治時代には、街に電気が通り、郵便局が各地に設置され、実業家が鉄道や発電、炭鉱や鉱山事業などを起こし、近代国家の基礎が築かれていったのであろう。そんな時、山にあった木々たちは、切られることもあっただろうし、杉のように植えられることもあっただろう。

そんな時代にこの杉は植えられたのであろうかと、スギコダマになった杉への想像を巡らせるのだ。

おそらく、この上津江の杉を植林した人々も、数十年後、あるいは100年後を見据え、見ることもない子孫たちが使う杉をせっせと植林したのであろう。明治時代初期に植林され、150年という長い時を経て、現代に残った杉の木は、切り出され、僕の手の中で削り出されてスギコダマへと姿を変えた。

スギコダマは、これから設置された地でどれほどの時間を過ごすのであろうか。僕の作品は、設置された地で人々の営みの中で存在し、その地の人々と共に時を過ごす。その中で、表面が空気に触れ、光に当たり、人々が触ることで表面の色彩や肌触りは少しずつ変化していく。

作品は一度僕の手元で完成したものの、設置された後に新たな成長を遂げていく。

150年前に植えられた杉は、明治、大正、昭和、平成を生き、令和にスギコダマに生まれ変わり、人々に見守られながらスギコダマとしての時間を過ごしていく。これからどんな時代を過ごしていくのだろうか。杉とスギコダマへの思いは尽きないのである。

   
 
   
   
   
   
   
  ●<ありま・しんぺい> 造形作家
   
 
Copyright(C) 2005 GEKKAN SUGI all rights reserved