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そんな事を学んで、またまた、休む間もなく今度は、なんだ神田のイベントに突き進む事と成る。地元のお祭りにスギダラクラブが地元の商店街の居酒屋さんと組んで町づくりのきっかけづくりへの参加である。仕込んだのは、東京支部長、萩原さん。
神田の商店街にスギダラ空間を、そして地元の方々と焼き鳥屋を共同で運営しようと盛り上がったのであった。現地を確認し、神田の方々とお会いし、こっちの準備も進んだ。ただブンブクスギッチンの中身までは(鍋)までは用意できないとの事、すぐにウチダデザインメンバーに指示し(韓国に出張してました)我が軍のおでん隊長斉藤君へ(彼が作るおでんはうまいのです)ブンブクスギッチンでおでんをやろうとお願いをした。もう頭の中は神田の商店街の中に忽然と現れた杉空間、杉太や立てスギ連塀、タコスギ,イカスギ、そして焼き鳥場はなんといっても吉本ポール制作の焼きとりバーから煙が立ち上がっているイメージでいっぱいであった。そして飲み物は当然焼酎!!焼酎バーで行こう、南雲さんをあっと言わせよう!!千代田君と盛り上がっていた。
韓国からの出張を終え、翌日の朝、神田に行って不安になった。屋台とブンブクスギッチンしかない「あれ、他はどうしたんだ?焼きとリバーば?」今回取り仕切ってくれた千代ちゃんに聞いた。「時間もなかったし、焼き鳥は自分たちでやるので、とおしゃるし、場所もどこかわかんなかったので、・・・」
いつも元気な千代ちゃんにしては、歯切れが悪い。「お付き合い」って感じなのだ。
神田の商店街の片隅で寂しく佇む語りバーとブンブクスギッチンがまたまた、可哀想でたまらなかった。
またまた、出てしまった、千代ちゃんの苦労をわかっていながら、
「いつも、同じリズムって言ってたじゃないか、これじゃただ屋台を貸しただけじゃないか、南雲さんや、スギダラの仲間がきたらガッカリだぜ、普通じゃやらない事をやるから、盛り上がるんだ、千代ちゃんしっかりせ〜!!」
それからのウチダデザインチームの動きは凄かった、トラックを手配し、杉太や様々なスギダラ家具を持ち込み,商店街の方々に交渉し設置場所や焼酎バーの設置へお願いをし、あっという間にスギダラ空間を作った。僕と千代ちゃんも焼酎の手配、交渉に奔走した。汗だくだった。焼きとリバーはどうしても用意できなかったのが気がかりだったが、今回はどうしようもなかった。
そこへ、南雲さん登場。見るや否や「若ちゃん、焼きとリバーがないじゃん、どうしたんだよ」「やっぱり、言われると思った」二人でそう思った。
辺りが暗くなるにつれ、屋台と、スギッチン、そして杉空間の魅力は増して来た。多くの人たちが集まり、仲間が集まり、地元の人たちも集まり、スギ空間とおでん,焼酎、焼き鳥を満喫した。地元の人たちもスギダラの暑苦しさと、スギダラ空間の魅力を理解してくれた、来年は神田屋台化計画をやりたいとまで言ってくれた。
まだまだ、南雲流「感動」までは、道のりは長いが、今回はスギダラ2兄弟で関わったスギダラ奮闘記である。
いつでも夢と冗談で最後まで突っ切る。そしてあれよあれよと巻き込まれ、いつの間にか皆で夢を現実にして、感動の渦をつくる。その渦は実は関わった皆がつくっていた。
ちょっと待て?それって日向の富高小学校の「移動式夢空間」じゃないか。まっだまだ続いていたのか「夢空間」
みなさん、えらいことになりました、マダマダ夢は続きますよ〜〜。
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