連載

 

スギダラ家奮闘記/第14回

文・若杉浩一

「秋田と神田のスギダラケ」  

 
 

みなさん、全く持って申し訳ございません。スギダラ家は、現在またまた暗礁に乗り上げております。進行状況をお知らせするにはもう少し時間が必要です。僕らの親分とのすり合せがうまくいきません。もう少し、2ヶ月ぐらいは状況をお話しするのに時間がかかると思います。
さて、そんなことで今回は千代田や、北のスギダラでも紹介されている秋田のスギダラと先日の神田のスギダラのことをお話ししたい。

先月号で少しお話ししたが、元はと言えば、南雲さんへ秋田のスギッチさんこと(菅原さん)から秋田のイベントの相談に乗ってほしいとの話が持ちかけられたことから始まる。何はともあれ、スギダラ3兄弟の中で最も女性のお願いに弱いのは南雲さんなのである。こっちの都合は関係ない、「若ちゃん、いく日決めたから、空けといてよね」である。まあ、いつものリズムである。
それから、秋田へ。秋田でのノリは凄かった。妄想に近い盛り上りネタが飛び出す飛び出す。
「サンピノより駐車場じゃなきゃだめだよ」「スギステージなんてどうだろう?」「3坪長屋やろう!!」「スギ横丁やろうぜ!!」「街の中に小さい横丁つくろうよ!!」冗談なのか本気なのかわからない。まさにダジャレのように飛び出てくる。こっちもやられっぱなしじゃ面白くないし、さらにダジャレデザインをかます、乗って、乗られてあっという間に、案が出来上がる、というより一方的な思い込みが出来上がる。
相手の事情なんて関係ない、「楽しい」だけである。確かに面白いのであるが、まだまだ凡人の私には、冗談の後の不安がよぎる。
しかしいつもは、南雲親分の突き進む、こぼれネタをいち早く拾っていればよかったのだが、今回は違った。その後、南雲さんから「若ちゃん、秋田は頼む」という電話と「スギステージなんか、良いと思うんだよね」のみである。
実感がわかないまま、ひょろひょろのスケッチを書き、まあなんとかなるのかなと思いつつ、待っていた。そこへ上崎のミニチュアモデルと図面が送って来たのである(前号で書きました)、本当にはっとした。目が覚めた。冗談を本当にする迫力に。しかも簡単な仕口であるが、デザインは一歩もひるんでいない。
覚悟は決まった、デザインに挑んだ、図面、モデル、関わる皆が一つになれるようにと、千代田と秋田の方々と確認しながらモノづくりは進んで行った。

色々ないきさつと、苦労はあったと思うが、秋田の渡辺さんと菅原さんそして小林さんのスギダラ秋田3姉妹の頑張りで、そして「すみれ会」の女性陣の強力な行動力と熱意で見事な、そして楽しいイベントになった。
来てくれた人たち,関わった方々、市、県、国の方々も一体になった感じがした。スギを通して様々な人間がつながった瞬間だった。その感動の中に自分も参加できてよかったと思った。南雲さんの「頼む」から始まり「まあ、若ちゃんやるからには、最低2,3回は秋田に行かなきゃだめだよね〜」残念ながらそんなに通えなかったが、その気持ちと南雲流の立ち向かい方を今回随分学ばせてもらったと思う。
「いつものリズム、結局いつでも何処でも楽しむリズムと本気にさせる強力なリズム。アドリブとリードは様々な人がとればいい。できればたくさんの人たちで演奏した方がもっと盛り上がる。」

 
 

秋田スギダラ空間

 
  秋田スギダラ幹部

 
  子供のたまり場へ

 

そんな事を学んで、またまた、休む間もなく今度は、なんだ神田のイベントに突き進む事と成る。地元のお祭りにスギダラクラブが地元の商店街の居酒屋さんと組んで町づくりのきっかけづくりへの参加である。仕込んだのは、東京支部長、萩原さん。
神田の商店街にスギダラ空間を、そして地元の方々と焼き鳥屋を共同で運営しようと盛り上がったのであった。現地を確認し、神田の方々とお会いし、こっちの準備も進んだ。ただブンブクスギッチンの中身までは(鍋)までは用意できないとの事、すぐにウチダデザインメンバーに指示し(韓国に出張してました)我が軍のおでん隊長斉藤君へ(彼が作るおでんはうまいのです)ブンブクスギッチンでおでんをやろうとお願いをした。もう頭の中は神田の商店街の中に忽然と現れた杉空間、杉太や立てスギ連塀、タコスギ,イカスギ、そして焼き鳥場はなんといっても吉本ポール制作の焼きとりバーから煙が立ち上がっているイメージでいっぱいであった。そして飲み物は当然焼酎!!焼酎バーで行こう、南雲さんをあっと言わせよう!!千代田君と盛り上がっていた。
韓国からの出張を終え、翌日の朝、神田に行って不安になった。屋台とブンブクスギッチンしかない「あれ、他はどうしたんだ?焼きとリバーば?」今回取り仕切ってくれた千代ちゃんに聞いた。「時間もなかったし、焼き鳥は自分たちでやるので、とおしゃるし、場所もどこかわかんなかったので、・・・」
いつも元気な千代ちゃんにしては、歯切れが悪い。「お付き合い」って感じなのだ。
神田の商店街の片隅で寂しく佇む語りバーとブンブクスギッチンがまたまた、可哀想でたまらなかった。
またまた、出てしまった、千代ちゃんの苦労をわかっていながら、
「いつも、同じリズムって言ってたじゃないか、これじゃただ屋台を貸しただけじゃないか、南雲さんや、スギダラの仲間がきたらガッカリだぜ、普通じゃやらない事をやるから、盛り上がるんだ、千代ちゃんしっかりせ〜!!」

それからのウチダデザインチームの動きは凄かった、トラックを手配し、杉太や様々なスギダラ家具を持ち込み,商店街の方々に交渉し設置場所や焼酎バーの設置へお願いをし、あっという間にスギダラ空間を作った。僕と千代ちゃんも焼酎の手配、交渉に奔走した。汗だくだった。焼きとリバーはどうしても用意できなかったのが気がかりだったが、今回はどうしようもなかった。
そこへ、南雲さん登場。見るや否や「若ちゃん、焼きとリバーがないじゃん、どうしたんだよ」「やっぱり、言われると思った」二人でそう思った。
辺りが暗くなるにつれ、屋台と、スギッチン、そして杉空間の魅力は増して来た。多くの人たちが集まり、仲間が集まり、地元の人たちも集まり、スギ空間とおでん,焼酎、焼き鳥を満喫した。地元の人たちもスギダラの暑苦しさと、スギダラ空間の魅力を理解してくれた、来年は神田屋台化計画をやりたいとまで言ってくれた。
まだまだ、南雲流「感動」までは、道のりは長いが、今回はスギダラ2兄弟で関わったスギダラ奮闘記である。
いつでも夢と冗談で最後まで突っ切る。そしてあれよあれよと巻き込まれ、いつの間にか皆で夢を現実にして、感動の渦をつくる。その渦は実は関わった皆がつくっていた。
ちょっと待て?それって日向の富高小学校の「移動式夢空間」じゃないか。まっだまだ続いていたのか「夢空間」
みなさん、えらいことになりました、マダマダ夢は続きますよ〜〜。

 
  おでん隊長斉藤君とスギッチン

 
  一緒にやった地元の居酒屋さん

 
  若ちゃん焼き鳥バーは何でないのよ〜〜」「これで勘弁を」

 
  地元の方々とスギダラメンバー

 

  ●<わかすぎ・こういち>インハウス・プロダクトデザイナー
株式会社内田洋行 テクニカルデザインセンターに所属するが、 企業の枠やジャンルの枠にこだわらない活動を行う。
日本全国スギダラケ倶楽部 本部デザイン部長




   
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